朝鮮人被爆者

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朝鮮人被爆者(ちょうせんじんひばくしゃ)は日本への原子爆弾投下被爆した朝鮮人。その正確な数はわかっていない[1]

背景[編集]

1910年韓国併合以降、働き口を求め日本に移住する朝鮮人が増えていた。日中戦争が長期化し労働力不足が深刻になった際には軍需工場へ動員される人も多かった[2]長崎県広島県には合わせて十数万人の朝鮮人が住んでいた[3]

被害[編集]

その正確な被害の実態はわかっていない。これまでにいくつか推計が試みられている。

  • 広島 5万人(死者2万人) 長崎 2万人(死者1万人) - 韓国原爆被害者協会による推計[3]
  • 広島 2万5000人〜2万8000人(死者5000人〜8000人) - 広島市・長崎市 原爆災害誌編集委員会『広島・長崎の原爆災害』岩波書店、1979年[1]
  • 広島・長崎合わせて5001人 - 中谷悦子による調査[1]

慰霊碑[編集]

広島県広島市中区中島町広島平和記念公園内には在日韓国・朝鮮人犠牲者への慰霊碑が設置されている。

脚注[編集]