月岡古墳

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月岡古墳
所在地 福岡県うきは市吉井町若宮358-1
位置 北緯33度20分41.6秒 東経130度45分56.8秒 / 北緯33.344889度 東経130.765778度 / 33.344889; 130.765778座標: 北緯33度20分41.6秒 東経130度45分56.8秒 / 北緯33.344889度 東経130.765778度 / 33.344889; 130.765778
形状 前方後円墳
規模 全長80m
出土品 冑、短甲、武器、馬具、鏡、装身具
築造時期 5世紀中頃
特記事項 出土品は国重要文化財(1961年指定)
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月岡古墳(つきのおかこふん)は、福岡県うきは市の若宮古墳群内にある前方後円墳である。

概要[編集]

墳丘長80メートル(テラスを含めれば95メートル)、周溝を含めた全長は140メートル以上と推定されている。

若宮八幡宮境内にあり、前方部を西に向けている。1805年(文化2年)、後円部から竪穴式石室が発見され、多くの遺物が出土した。このときの記録が当時の若宮八幡宮宮司・安元大炊によって残されている。副葬品は代々安元家によって保管され、1961年(昭和36年)に国の重要文化財に指定された(指定名称は「筑後国浮羽郡月岡古墳出土品」)[1]。現在、吉井歴史民俗資料館に展示されている。後円部に石室の天井石を礎石としてが建ち(文化3年建築)、内部に長持形石棺を納めている。この石棺は事前に資料館へ申込みをすれば見学できる。

1985年(昭和60年)より史跡指定に向けての発掘調査が行われ、前方部に3重の堀が巡ることが確認された。

副葬品[編集]

現在まで伝えられているものは、金銅装眉庇付鉄冑1、眉庇付鉄冑7、金銅装臑当1対、金銅製胡籙金具、金銅製鞍金具、金銅製帯金具、頸甲片、短甲片、木心鉄板張輪3、三角縁二神二獣鏡1、獣形鏡2、珠文鏡1、鉄剣、鉄鏃135以上、滑石製臼玉33、切妻型家形埴輪1である。

墳形・石棺・副葬品の内容は畿内的な色彩が強く、また旧浮羽郡の旧名が生葉郡(いくはのこおり)であることから、的臣(いくはのおみ)との関連を指摘する声もある[2]

脚注[編集]

  1. ^ 国指定文化財等データベース
  2. ^ 吉井町教育委員会 「月岡古墳」 1989

関連項目[編集]

外部リンク[編集]