日下部利貞

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日下部利貞
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下陰陽助
主君 清和天皇陽成天皇
氏族 日下部(無姓)→日下部宿禰
父母 父:日下部歳直
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日下部 利貞(くさかべ の としさだ)は、平安時代前期の貴族陰陽師日下部(無姓)のち日下部、日下部宿禰正六位上・日下部歳直の子[1]官位従五位下陰陽助

経歴[編集]

貞観5年(863年)陰陽大属として陰陽師らと共に滋岳川人に従って大和国吉野郡高山に赴き、虫害を避けるために祭礼を修した(この時の位階従八位上)。清和朝において、陰陽大属・陰陽権允・陰陽助と一貫して陰陽寮官人を務めた。またこの間、貞観6年(864年日下部(無姓)から日下部連に改姓し、貞観15年(873年)には摂津国島上郡から右京二条三坊に本貫を移されている。

陽成朝初頭の元慶元年(877年)までに従五位下・陰陽助に叙任され、同年12月には連姓から宿禰姓に改姓した。元慶6年(882年内位の従五位下に至る。

官歴[編集]

日本三代実録』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観6年8月8日条

参考文献[編集]