播磨屋本店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社播磨屋本店
HARIMAYAHONTEN Co.,Ltd.
生野総本店外観
生野総本店外観
種類 株式会社
略称 播磨屋
本社所在地 日本の旗 日本
668-8585
兵庫県豊岡市神美台1-1
北緯35度30分50.2秒 東経134度51分23.5秒 / 北緯35.513944度 東経134.856528度 / 35.513944; 134.856528座標: 北緯35度30分50.2秒 東経134度51分23.5秒 / 北緯35.513944度 東経134.856528度 / 35.513944; 134.856528
設立 1986年(創業は1862年文久2年))
業種 食料品
法人番号 9140001046870 ウィキデータを編集
事業内容 米菓製造販売業、飲食業
代表者 播磨屋助次郎(本名:阿野拓夫)(代表取締役
売上高 約60億円(うち通販売上:30億円)
従業員数 約300名(うち正社員:約150名)
外部リンク www.harimayahonten.co.jp ウィキデータを編集
テンプレートを表示

株式会社播磨屋本店(はりまやほんてん)は、兵庫県豊岡市本社を置く米菓製造販売会社。キャッチコピーは「日本一おかき処」。日本全国に直売店を6店舗構える[1]

沿革[編集]

1862年文久2年)、但馬国生野(現在の兵庫県朝来市)で初代播磨屋助次郎が創業した、油屋(灯明油売り)の「播磨屋」をルーツとする[2]

1948年に「クロバー製菓株式会社」として菓子製造業に転じ、1971年から、おかき・煎餅の専業メーカーとなった。1985年阿野拓夫(五代目播磨屋助次郎)が社長に就任し、それまでの卸売販売を改めて、通信販売と直売店での消費者直接販売に転換した。1986年、五代目は「株式会社播磨屋本店」を新会社として設立し、クロバー製菓の従業員と業務及び各種設備を承継した[2]1989年豊岡市の豊岡中核工業団地に新工場を建設し、同地に本社を移転する。2008年に無料でおかき・ドリンクが飲食できる「フリーカフェ播磨屋ステーション」を開設し[3]2010年には日本全国に7店舗を展開していたが[4]、同年10月までに全て閉店した。

街宣活動[編集]

トレーラー

1997年、五代目は自らの著書『真実』にて、「環境問題の抜本的完全解決」を提唱[5]。以降、五代目は社業と並行して、社の顧客ネットワークを通して環境・政治問題についての提言を積極的に行うようになった。2010年から「スメラギ特別広報隊」と称して、社が所有する­大型トレーラー10台に環境・政治・皇室に関するメッセージを記し、五代目自ら運転し、東京都内の道路を巡行している[6][7]。2018年、本社の豊の岡工園敷地内に高さ24.546mの皇三重塔を建設した[8]

事業所[編集]

店舗[編集]

過去に営業していた店舗[編集]

工場[編集]

  • 生野工場(兵庫県朝来市)
  • 豊の岡工園(兵庫県豊岡市)
  • 和田山総本部(兵庫県朝来市)

付属施設[編集]

  • 朝来山荘(兵庫県朝来市)

脚注[編集]

  1. ^ 全国直売店”. 播磨屋本店. 2023年12月31日閲覧。
  2. ^ a b 沿革と概要”. 播磨屋本店. 2022年11月10日閲覧。
  3. ^ 御堂筋沿いにおかきとドリンク無料のおかきカフェ「播磨屋ステーション」、梅田経済新聞、2009年7月30日
  4. ^ 播磨屋ステーション全店ご案内”. 播磨屋本店. 2010年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月3日閲覧。
  5. ^ 播磨屋助次郎の著書『真実』”. 播磨屋本店. 2017年12月15日閲覧。
  6. ^ 播磨屋助次郎の論文集『憂国・警世メッセージシリーズ』”. 播磨屋本店. 2017年12月17日閲覧。2017年6月2日付の文章で「東京都心を大型トレーラーのハンドルを握って走り回る」とある。
  7. ^ 「天皇に直訴申し上げます」都内に突如、街宣を始めた大型トレーラーの正体とは?、週プレニュース、2010年12月16日。
  8. ^ 鈴木祥之. “三重塔・五重塔を建設する - 本格的な伝統構法で -”. 立命館大学歴史都市防災研究所. 2019年8月31日閲覧。
  9. ^ 第13回 日本建築家協会25年賞(2013年度)公益社団法人日本建築家協会

外部リンク[編集]