堀江興成

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堀江 興成(ほりえ おきなり、生年不詳 - 1844年天保15年)頃)は、江戸時代後期の装剣金工家である。通称は弥太郎。号は一枝軒、晴雲堂等。幼名は益随後に英俊。

経歴・人物[編集]

江戸に生まれ、神田後に八丁堀に居住する。後に2代目浜野政随の門人となり、後に師匠の死により大森英秀の門人となり装剣金工を学ぶ。

後に独立して、精密な装剣を制作し多くの弟子を育てた。同時期に尾崎直政から学んだとも推定されている。その後、阿波藩主であった蜂須賀斉昌に仕えた金工家となった。

出典[編集]