劉興 (北海王)

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劉 興(りゅう こう、生年不詳 - 64年)は、後漢皇族。北海靖王。

経歴[編集]

劉縯の次男として生まれた。26年建武2年)、魯王に封じられ、光武帝の兄の劉仲の後を嗣いだ。37年(建武13年)、魯公に降封された[1]39年(建武15年)、試みに緱氏県令を代行した。劉興は知謀に明るく、人の訴えを良く聞いたことから、名声を得た。弘農太守に転じ、やはり善政で知られた。太守として政事をみること4年、引退を願い出た。洛陽に召還されて、奉朝請とされた。43年(建武19年)、魯王に進められた[1]51年(建武27年)、はじめて魯国に下向した。52年(建武28年)、魯国が東海国に編入され、このため劉興は北海王に徙封された。

56年建武中元元年)2月、光武帝が東巡して泰山に詣でると、劉興は東嶽で参朝した[1]63年永平6年)1月、明帝のもとに参朝した[2]64年永平7年)8月戊辰[2]、劉興は死去した。

子の劉睦が後を嗣ぎ、北海王として立った。

子女[編集]

  • 北海敬王 劉睦(後嗣)
  • 臨邑侯 劉復

57年(建武中元2年)、さらに劉興の2子が県侯に封じられた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 後漢書』光武帝紀下
  2. ^ a b 『後漢書』明帝紀

伝記資料[編集]

  • 『後漢書』巻14 列伝第4