八幡次郎

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八幡 次郎(やわた じろう、1909年6月1日 - 1993年12月15日)は、日本の実業家九州朝日放送の社長を務めた。

経歴・人物[編集]

岩手県出身[1](一部の文献では東京都出身との記載有り[2])。1944年京都帝国大学法学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社し、政治部長、論説委員副主幹、西部本社編集局長、大阪本社編集局長を歴任した[1]

1971年5月に九州朝日放送に転じ、専務に就任し、1973年5月には社長に昇格[1]1981年6月には会長に就任[1]1978年から1980年までは日本民間放送連盟副会長も務めた[3]

1982年4月に勲二等瑞宝章を受章した[1]

1993年12月15日脳梗塞により死去[4]。84歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1985, や14頁.
  2. ^ 「現代物故者事典 1991年-1993年 P641」
  3. ^ 民放連について | 一般社団法人 日本民間放送連盟
  4. ^ 1993年12月16日 日本経済新聞 朝刊 P35

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。