佐野保房

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佐野 保房(さの やすふさ、1899年3月25日[1] - 1980年12月12日)は東京都世田谷区長[2]

来歴・人物[編集]

1969年撮影の佐野保房

山梨県(南巨摩郡身延町常葉竹之島)生まれ。中央大学法学部[3]1927年弁護士として活動を始めた。1932年世田谷区会議員、1947年都議会議員[4]、都選管委員長、笹塚館社長[1]、公明選挙連盟評議員、選挙制度調査会委員を経て[1]1959年から1975年まで世田谷区長(4期)。1966年から1968年まで特別区区長会会長も務めた[5]1980年12月12日肺梗塞のため81歳で死去。墓所は世田谷区慈眼寺

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本人事録 第6版』全国篇、415頁。
  2. ^ 世田谷区議会事務局長 大場啓二 (昭和42年〈1967年〉11月1日). 世田谷区議会だより: 3頁. 
  3. ^ 『山梨名家録』山梨名家録刊行会、1959年5月1日、143頁。 
  4. ^ 東京都議會議員選擧管理委員會委員長 松崎權四郎 (昭和22年〈1947年〉5月2日). 東京都議會議員當選證書. 
  5. ^ 特別区長会歴代会長名簿”. 特別区長会. 2024年4月1日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。