今井寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今井 寿
出生名 今井 寿
生誕 (1965-10-21) 1965年10月21日(58歳)
出身地 日本の旗 日本, 群馬県藤岡市
学歴 群馬県立藤岡高等学校卒業
ジャンル ロック
職業
担当楽器
活動期間 1985年 -
レーベル HAPPY HOUSE
事務所 BANKER
共同作業者
公式サイト Lucy official web site
著名使用楽器
フェルナンデス・STABILIZER SLV
フェルナンデス・BT-480MM
フェルナンデス・BP-220HI

今井 寿(いまい ひさし、1965年10月21日- )は、日本音楽家群馬県藤岡市出身。

ロックバンドBUCK-TICKギタリスト。サイドプロジェクトとして活動しているバンド・Lucyではギターだけでなくボーカルも担当。

身長175cm。血液型はO型。既婚。

デビュー初期の頃は「HISASHI」と表記されていた。他のメンバーと違い愛称はなく、メンバーからは「今井」、「今井くん」、「今井さん」などと苗字で呼ばれている。

来歴[編集]

1984年、同じ高校に通っていた櫻井敦司星野英彦樋口豊、アラキと共にBUCK-TICKの前身バンドである"非難GO-GO"を結成。翌年、バンド名を"BUCK-TICK"に改名。

1987年9月21日、Invitationよりメジャー・デビュー

1989年4月21日、LSD使用による麻薬取締法(現「麻薬及び向精神薬取締法」)違反で逮捕される[1]。懲役6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決。12月29日、東京ドームで行われたライブ『バクチク現象』で復帰。

1991年、藤井麻輝とのユニットSCHAFT結成。

1994年、SCHAFTを本格始動。

2001年、櫻井敦司PIGのレイモンド・ワッツ、KMFDMサシャ・コニエツコと共にインダストリアルバンドSCHWEINを結成。

2004年、KIYOSHI岡崎達成Lucyを結成。

2006年、イベント「WEAR RED SHOES Vol.3」に高樹町ミサイルズのギターとして出演。

2008年5月、ホームページ上で結婚を報告。

2013年8月、第一子が誕生したことをブログで発表[2]

2016年1月、約21年ぶりにSCHAFTを本格再始動。

2019年、公式インスタグラムを開設。

2021年8月17日、左大腿骨転子部を骨折し全治2か月半と診断されたことを発表[3]。リハビリに専念するため、9・10月に予定していたBUCK-TICKのコンサートは延期されることになった[3]。9月15日、骨折にさらにしばらく加療とリハビリの期間が必要となったためBUCK-TICKの10月30日以降の全国ツアー全20公演を中止することが発表された[4]

人物[編集]

バンドでの役割[編集]

  • バンド結成当初から現在に至るまでBUCK-TICKの作曲のほとんどを担当している。アルバム毎のサウンドや世界観の構築は基本的に今井の意向によるものである。
  • 前身バンド"非難GO-GO"と"BUCK-TICK"のバンド名も今井による命名である。結成当初、ザ・スターリンのコピーバンドだったため、今井は"THE NOTALIN"というバンド名を考えたが、樋口豊の強めの反対に合い、"非難GO-GO"とした。
  • 初期は作曲に合わせてほとんどの曲に作詞をしていたが、『TABOO』以降は1つのアルバムに2、3曲となっていた。その後、『天使のリボルバー』以降の近作ではアルバムに4、5曲と増加傾向にあり、シングル曲も今井作詞のものが増えている。
  • MY FUCKIN' VALENTINE』『CHECK UP』『細胞具ドリー:ソラミミ:PHANTOM』『RHAPSODY』などの楽曲で櫻井との掛け合い的にサイドボーカルを執っているが、アルバム『Six/Nine』収録の『相変わらずの「アレ」のカタマリがのさばる反吐の底の吹き溜まり』ではメインボーカルを務め、アルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』収録の『Sid Vicious ON THE BEACH』では、初めてソロのリードボーカルを担当した。
  • 頬に書いてあるB-Tの文字がトレードマーク。
    • デビュー当初は頬全体に大きく書かれていたが、『SEVENTH HEAVEN』の頃より「なんか…みっともねえから」という理由で小さく書かれるようになり、現在に至る。頬ではなく首筋に書かれていたり、「BiTch」と書かれていた時期もあった。また、20年以上前より、右側の前歯2本にそれぞれ、「B」、「T」と金色の文字を入れている[5]
  • BUCK-TICKのライブで開演前に流されるBGM(オープニングBGM)は、今井が聴いている音楽から選んだものである。ライブ期間中になると、使用したBGMのリストをブログに載せて話題にしている。選曲については、会場の広さや客の状態(指定席なのか立ち見なのか)を考慮しているが、あえて無視する場合もある[6]
  • スロースターターの傾向があるのか、作曲期間の締め切りを超えてしまったり、レコーディング中も寝ているというエピソードも多い。その影響で『darker than darkness -style 93-』ではアルバムリリースより前にツアーが始まってしまったり、『Six/Nine』など星野英彦が作った楽曲では今井がギターを弾いていないケースも存在する。
  • ステージ衣装のデザインやアイデアを出すことについてもメンバーの中で一番遅い。今井曰く「(夏休みの)前半後半、遊びまくって、ギリギリでヒイヒイ言いながら、約1ヶ月分の日記をつけ始める。そんな小学生。それは俺。」とのこと[7]

生い立ち[編集]

  • 実家は「今井商店」と言う名前のタバコ屋マンガ雑誌缶コーヒーなども置いてあり、学生時代は仲間の溜り場となっていた。次第に知り合いの知り合いなど今井の知らない人間も出入りするようになり、その中にいたのが櫻井敦司、樋口豊であった[8]
  • 3人兄妹の長男で、4歳下の弟と8歳下の妹がいる。また叔母も同居していた[8]
  • 高校生(16歳)の時に、RCサクセションを聴いて、バンドマンを職業にすることに決める[9]。この時点ではまだ楽器の演奏経験は一切なかった。
    • 初めて買ったギターはフレッシャーのストラトキャスター。ギター演奏は当時ヤガミトールが組んでいた"S.P"のギタリストから教わった。非難GO-GO結成と同時にイベントへの出演を取り付けており、1ヶ月後には初ステージを経験している。
    • また当時は小僧寿しアルバイトをしていたが、店長(女性)とその夫がロック好きだったため、RCサクセションなどの好きな曲をラジカセで聴きながら寿司を握っていた[10]
  • 高校卒業後は都内の東京デザイナー学院に進学。当時、櫻井と星野と樋口はまだ群馬に住んでおり、バンド活動の為、週末毎に当時ボーカリストだったアラキと帰郷するという生活を送っていた。バンド活動が軌道に乗り始めていったこともあり、専門学校は最初の数週間でドロップアウトしている。

音楽性[編集]

ギタースタイル[編集]

  • 非常に独創的なフレージングやコード感を持つギタリストであり、バンドの移り変わりの激しい音楽性をあくまで自己流に創造する。不協和音の多用やノイジーなアドリブなどがプレイ上の特徴である。
    • テクノニューウェイヴからの影響が強いため、雑誌のインタビューなどでも「キーボードシンセサイザーのような感覚で弾いている」と度々語っている。「シンセサイザーが欲しかったけど、高校生には値段が高すぎたのでしぶしぶギターにした」ともネタにしている。
    • ステージではギター以外にテルミンも使用しており、曲によってはギターシンセサイザーも演奏する。
    • インタビュー等で「変な音を出す」ことへのこだわりを多く語っているが、ギターしか使用しないことについては「ギターの形をした楽器しか弾けないから」「(ギターっぽくない音も)結局はギターでないと出せない音だから」という理由を挙げている[11]。一方で、自身の最終的なこだわりは「ギタープレイ云々よりも曲」だと述べている[11]
    • オーソドックスなロックに惹かれなかったことから「憧れたギタリストは?と聞かれてもピンとこない」と語っているが、唯一影響を受けたプレーヤーとして布袋寅泰の名前を挙げている。布袋からは「ソロを弾かなくても格好良いギタープレイ」「ギターではないようなサウンドをギターで奏でる」といったスタイルの影響を受けている[11]
  • レフティ・ギターだが利き腕は右。本人曰く「初めて持った時に左のほうがしっくりきたから」であり「祖父や父親など左利きが多い家系だからその影響かも」と語っている[11][8]
  • TVの音楽番組において、ギターソロの部分でチューニングを始める、両手を上げる、ギターに弦を張らずに出る、星野と共に生シタールを適当に弾く、ギターソロの部分で携帯電話を出していじり始める、などのパフォーマンスを行うことがある。
    • これは「『カラオケなのに生演奏っぽく演出する』のを嫌っていたから」という噂があったが、今井本人は2010年8月27日のブログでこの件について触れ、機材トラブルへの考慮から、カラオケ演奏が自分や星野の希望によるものであったと明らかにした上で、「(あのような行動をしたのは)面白いから」、「TVでのカラオケ演奏。嫌いじゃないです。俺は、楽しんでます。」とこの説を否定している[12]
  • hideは今井について「狂ってるとか正しいとかいう次元を超えた、不思議な音程感を持ったプレイヤー」と評している[11]

機材[編集]

  • オールド、ビンテージといわれるギターにはあまり興味を示さない。ギターを選ぶ(または作る)際には見た目を重視している。初期の頃(1989年12月東京ドーム初出)はヴァイオリンを模した「マイマイギター」と呼ばれるモデルを使用し、ヴァイオリンの弓でギターを演奏したりしていた。1997年頃には「スタビライザー」と呼ばれる、特殊な形状のオリジナルモデルを作成。のちにテルミン内蔵モデルのギターも作成した。「マイマイギター」「スタビライザー」は現在でもメインギターとして多用している。
    • このように「一目でわかるオリジナルモデル」を作成するようになったのは、布袋寅泰からの影響であるという[13]

受けた影響[編集]

その他[編集]

  • BUCK-TICKの他メンバー同様、大の愛酒家である。公式ブログやインスタグラムではBUCK-TICKメンバーや友人のミュージシャンと呑んでいる様子がしばしばアップされている。特に好きな酒として芋焼酎バローロを挙げている。「酔うと地蔵化する (動かなくなる)」「はしゃぎすぎて骨折した[17]」「翌日の昼まで呑んだ後、最後に蕎麦屋で一杯引っかけて帰る[18]」など酒絡みのエピソードも多い。
  • 料理好きでもあり、パスタメキシカン煮込み料理などをよく作ることがファンクラブの会報誌に掲載されている。
  • 好きな寿司ネタはコハダである[19]
  • 飛行機を苦手としており、ツアー中の移動も他メンバーとは別に新幹線などの列車を極力使用している。列車の移動にはよく樋口豊を付き合わせているという[18]。また沖縄など飛行機でないと行けない場所へ向かう際は「乗る前に酒で酔って寝て、起きたら着いてたっていうのが理想」ともコメントしている。[18]

作品[編集]

BUCK-TICK、SCHAFTt、SCHWEIN、Lucyでの活動についてはそれぞれ該当する欄を参照。

他作品へ参加[編集]

  • 金子美香 アルバム『KICK』(1988年9月21日)
    『私の敵』を作曲。
  • 野沢直子 アルバム『トン吉 チン平 カン太』(1989年12月16日)
    『いとしの外タレ』を作曲。
  • DER ZIBET アルバム『思春期II -DOWNER SIDE-』(1991年10月21日)
    『4-D Versionのらせん階段』にギターで参加。
  • SOFT BALLET アルバム『MILLION MIRRORS』(1992年10月21日)
    『MEDDLER』ギターで参加。
  • PIG アルバム『SINSATION』(1995年4月21日)
    『Analgesia』にギターで参加。
  • THE STALIN アルバム『死んだものほど愛してやるさ』(1995年12月1日)
    『NO FUN』にギターで参加。
  • THE STAR CLUBトリビュートアルバム『Tribute to THE STARCLUB featuring HIKAGE』(1997年3月21日)
    『THE UNKNOWN SOLDIER』を編曲し、ギターで参加。
  • 森雪之丞 アルバム『天使のいた惑星』(1997年4月23日)
    『雪が造る天使』、『囁く天使』、『ジグソーパズルの天使』、『天使に戻れた 悪魔』にギターで参加。
  • PIG アルバム『NO ONE GETS OUT OF HER ALIVE』(1998年1月21日)
    『NO ONE GETS OUT OF HER ALIVE』、『CONTEMPT』にギターで参加。
  • GUNIW TOOLS アルバム『DAZZLE』(1998年8月21日)
    『GRAZING』を作曲。
  • 森雪之丞 アルバム『Poetic Evolution〜with Eleven Guitarists〜』(1999年12月17日)
    『メビウスの鏡』に参加。
  • acid android アルバム『code』(2010年10月27日)
    『balancing doll:1.02』に参加。
  • 布袋寅泰 アルバム『ALL TIME SUPER GUEST』(2011年8月17日)
    『GUITARHYTHM』にギターで参加。
  • 舞台『天守物語』(2012年)
    テーマ曲を製作。
  • hide トリビュート・アルバム『hide TRIBUTE VII -Rock SPIRITS-』(2013年12月18日)
    森雪之丞と共に『EYES LOVE YOU』をカヴァー
  • 黒色すみれ アルバム『Cosmopolitan』 (2014年11月26日)
    『葬列』『チューリップ狂』にギターとボーカルで参加。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 357.
  2. ^ 報告します。 - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK - 2014年4月25日閲覧。
  3. ^ a b “「BUCK-TICK」今井寿 骨折で全治2カ月半 コンサート延期謝罪「不注意で…申し訳ありません」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年8月17日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/17/kiji/20210817s00041000261000c.html 2021年8月17日閲覧。 
  4. ^ “「BUCK―TICK」ツアー全公演中止 ギター・今井寿が左足骨折 加療とリハビリが当面必要”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年9月15日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/09/15/kiji/20210915s00041000505000c.html 2021年9月15日閲覧。 
  5. ^ B T歯 - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK - 2014年4月27日閲覧。
  6. ^ LIST – 091229 - - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK - 2014年4月25日閲覧。
  7. ^ ステージ衣装 – 09 TDIQ - - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK - 2014年4月25日閲覧。
  8. ^ a b c BUCK-TICK LOVE ME (1989年 シンコー・ミュージックISBN 4-401-61275-2
  9. ^ 忌野清志郎 - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK - 2014年4月25日閲覧。
  10. ^ イマーノキヨシロー - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK - 2014年4月25日閲覧。
  11. ^ a b c d e f GUITAR HEROES Vol.1 (1997年 ソニー・マガジンズ
  12. ^ 真相 - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK - 2014年4月25日閲覧。
  13. ^ カドカワムック 別冊カドカワ 総力特集 布袋寅泰 (2009年 角川書店
  14. ^ a b c Ichikawa, Fujitani 2018, p. 71.
  15. ^ Ichikawa, Fujitani 2018, p. 69.
  16. ^ Ichikawa, Fujitani 2018, pp. 69–74.
  17. ^ P.S. - 寿記‐寿的超日常記‐ / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK
  18. ^ a b c ニコニコ生放送西川貴教のイエノミ!!』#71 出演時のコメント
  19. ^ bucktick_imai

参考文献[編集]

  • 市川哲史、藤谷千明 (2018-08-26). すべての道はV系へ通ず。. シンコーミュージック・エンタテイメント. ISBN 978-4-401-64639-5 

外部リンク[編集]