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中将局(ちゅうじょうのつぼね、元禄4年(1691年) - 宝暦3年7月10日(1753年8月8日))は、江戸時代中期の女性。実名は不詳。
倉橋泰貞と、土御門隆俊の娘との間に生まれた。元禄11年12月27日(1699年1月27日)、8歳で霊元上皇の後宮に入る。候名は小左京、のち中将。中臈であった。宝永7年9月13日(1710年11月3日)、20歳のときに第十五皇子たる峯宮を生む。享保9年11月13日(1724年12月28日)、院御所を退出する。出家後は智覚院と号した。宝暦3年7月10日(1753年8月8日)、卒去した。享年63歳。