ロイ (護衛空母)
艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1944年3月22日 |
進水: | 1944年6月2日 |
就役: | 1944年7月6日 |
退役: | 1946年5月9日 |
その後: | 1946年12月31日にスクラップとして売却 |
除籍: | 1946年5月21日 |
性能諸元 | |
排水量: | 10,400 トン |
全長: | 512.3 ft (156.1 m) |
全幅: | 108.1 ft (33 m) |
吃水: | 22.6 ft (6.9 m) |
機関: | 3段膨張式蒸気機関2基2軸、9,000馬力 |
最大速: | 19ノット |
航続距離: | 10,240カイリ(15ノット/時) |
兵員: | 士官、兵員860名 |
兵装: | 38口径5インチ砲1基 40ミリ機関砲16基 20ミリ機銃20基 |
搭載機: | 28機 |
ロイ (USS Roi, CVE-103) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の49番艦。艦名はクェゼリン環礁で二番目に大きいロイ=ナムル島に因んで命名された。
艦歴[編集]
艦は当初アラバ・ベイ (Alava Bay) の艦名で1944年3月22日にワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。1944年4月26日にロイに改名され、1944年6月2日にウィリアム・シントン夫人によって進水し、1944年7月6日に海軍に引き渡されP・H・ライアン艦長の指揮下就役した。
サンディエゴでの整調後にロイは空母輸送部隊に配属され、前線基地へ航空機、設備及び人員を輸送した。1944年8月13日に287名の兵員と71機の航空機を積み込みエスピリトゥサント島とマヌス島へ向かい、9月27日にサンディエゴに帰還する。10月21日に再びマヌス島へ向かい、サンディエゴに帰還した後12月2日にエニウェトク環礁とグアムへ向けて三度目の航海に出航する。アラメダ (カリフォルニア州)でオーバーホールを行った後、ロイはマーシャル諸島とマリアナ諸島への往復航海を行い、その後真珠湾に向かい回復訓練を行った。訓練の後は、第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)への補給任務のための準備を行う。
61機の補充の航空機を積み込み、ロイは30日間の戦闘即応態勢に入ってグアムに向かい、第30.8任務群に加わる。ロイの任務は日本本土攻撃を行う第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の空母に対しパイロット、乗組員、航空機及びその他の物資を補給することであった。ロイは7月4日にアドミラルティ・アイランズ (USS Admiralty Islands, CVE-99) 、ホーランディア (USS Hollandia, CVE-97) 、セティス・ベイ (USS Thetis Bay, CVE-90) と共に出航し、第38任務部隊に7月12日、16日、20日に補給を行う。21日にグアムで物資を搭載し、61機を積んで27日に出航、31日に空母部隊に合流する。グアムに戻ると再び航空機を搭載し、8月14日に任務部隊に合流、日本の占領任務のためそのまま第3艦隊に留まった。戦争の終了に続いて、ロイは帰還兵を輸送するマジック・カーペット作戦に従事した。
ロイは1946年5月9日にブレマートンで退役する。その後、5月21日に除籍され、12月31日にオレゴン州ポートランドのジデル・マシーナリー・アンド・サプライ社にスクラップとして売却された。
ロイは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- NavSource Online
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。