レナータ・スコット

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レナータ・スコット
レナータ・スコット
基本情報
出生名 Renata Scotto
生誕 (1934-02-24) 1934年2月24日
出身地 イタリア王国の旗 イタリア王国サヴォナ
死没 (2023-08-16) 2023年8月16日(89歳没)
イタリアの旗 イタリアサヴォナ
ジャンル オペラ
職業 歌手
活動期間 1952年 - 2002年

レナータ・スコットRenata Scotto1934年2月24日 - 2023年8月16日[1])は、イタリアソプラノ歌手。ベルカント唱法の正統な伝統を受け継ぐオペラ歌手として、歌唱力に加えて美貌と演劇力によっても幅広く称賛された。2002年をもって舞台から引退したが、その後は舞台監督に加えて、イタリアニューヨークに設立したオペラ学校で教鞭を執っていた。

概説[編集]

サヴォナ出身。1952年のクリスマス・イヴにミラノのテアトロ・ヌオーヴォにおいてヴェルディ椿姫》のヴィオレッタ役でわずか18歳でオペラ界にデビューを果たす。1953年にカタラーニ《ラ・ワリー》のウォルター役で、スカラ座のオーディションを受ける。審査員の一人であった指揮者のヴィクトル・デ・サーバタは、彼女の歌唱を聞いて、「ほかの受験者のことは忘れよう」と言ったと伝えられる。《ラ・ワリー》は同年12月7日に、マリオ・デル=モナコレナータ・テバルディとの共演で行われ、スコットはカーテンコールで15回も舞台上に呼び戻された。

大きな突破口は1957年に訪れた。エディンバラにおいてスカラ座は、マリア・カラスをアミーナ役に迎えて、ベッリーニの《夢遊病の女》を上演した。この公演が上首尾だったために、スカラ座はもう一度上演することを決定したが、カラスは出演を拒絶したのである。たったの2日間でスコットはアミーナ役を覚え、カラスの代役として舞台に立った。23歳でスコットは世界の檜舞台に躍り出ることになったのである。

1965年10月13日に、プッチーニ蝶々夫人》のタイトルロールを歌ってメトロポリタン歌劇場にデビュー。同劇場には1987年まで定期的に出演し、劇場近郊のウェストチェスター・カウンティに居を構えて移り住んだこともある。蝶々さん役はスコットの十八番の一つであり、ジョン・バルビローリとの共演による《蝶々夫人》全曲のEMIへの名録音は有名である。

スコットはレパートリーが幅広く、およそ45の役柄を演ずることが出来た。蝶々さん役のほかに、《椿姫》のヴィオレッタ、《愛の妙薬》のアディーナ、《ラ・ボエーム》のミミ(時にムゼッタ役のときも)、プッチーニ《三部作》のすべてのヒロイン、リッカルド・ザンドナーイ《フランチェスカ・ダ・リミニ》のフランチェスカなど。1981年の《ノルマ》の第一夜は、カラスの支持者によるブーイングに遭ったため、決して大成功だったとはいえない。しかしながらその後の1981年から1982年にかけてのメトロポリタン歌劇場における上演は、たいへん成功した。

近年では、プラシド・ドミンゴが数々のドイツ語オペラに進出しているように、ラテン系歌手のイタリア・オペラ以外への積極的な参加が目覚しいが、レナータ・スコットも1992年に《ばらの騎士》における元帥夫人を、1995年には《パルジファル》のクンドリーを演じており、そのほかに《エレクトラ》におけるクリュテムネストラを演じ、プーランクの一人オペラ《人の声》にも取り組んだ。

2023年8月16日、サヴォナで死去。89歳没[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b Langer, Emily (2023年8月16日). “Renata Scotto, starring soprano of 20th-century opera, dies at 89” (英語). Washington Post. ISSN 0190-8286. https://www.washingtonpost.com/obituaries/2023/08/16/renata-scotto-opera-singer-dead/ 2023年8月16日閲覧。