ランスフォード・ヘイスティングズ

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ランスフォード・ヘイスティングズ

Lansford Hastings
ヘイスティングズの肖像
生誕 ランスフォード・ウォーレン・ヘイスティングズ
1819年
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州 マウントバーノン
死没 1870年(51歳頃没)
デンマーク領西インド諸島の旗 デンマーク領西インド諸島 セント・トーマス島
職業 弁護士作家冒険家
著名な実績 ヘイスティングズ・カットオフの提唱
代表作 オレゴン・カリフォルニア移民への手引書
配偶者 シャーロット・トーラー
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ランスフォード・ウォーレン・ヘイスティングズ英語: Lasford Warren Hastings1819年 - 1870年)は、アメリカ合衆国開拓者アメリカ連合国軍人。ヘイスティングズは、西部開拓時代において、西部開拓者が通るカリフォルニア・トレイルの中でも、現在のユタ州からカリフォルニア州の間の一部を短絡するヘイスティングズ・カットオフを開拓・提唱したことで知られる。このヘイスティングズ・カットオフは、1846年ドナー隊が利用しており、その後の同隊の悲劇の一因となったことでも著名である。また、南北戦争においては、アメリカ連合国陸軍少佐であった。

若年期[編集]

ランスフォード・ヘイスティングズは、1819年オハイオ州マウントバーノンでウェイトスティルとルシンダ・"ウッド"・ヘイスティングズの間に誕生した。彼は、1634年イングランドイースト・アングリアからマサチューセッツ湾植民地へと入植した開拓者のトーマス・ヘイスティングズ英語版の子孫であった。ヘイスティングズは、弁護士教育を受けた。1842年、ヘイスティングズは陸路でオレゴン州へと旅行し、そこでジョン・マクローリン博士の代理人を短期間務め、ウィラミット滝英語版の近くで土地請求の準備を行い、オレゴンシティ[注釈 1]の調査を行った。1843年春、ヘイスティングズはオレゴンを離れ、メキシコ共和国領で人口の少ない地域であったアルタ・カリフォルニアに向かった。1844年には、アメリカ合衆国へと戻るが、この時にはヘイスティングズはメキシコ共和国からカリフォルニアを無理やり引きはがし、カリフォルニア共和国の建国に助力することに決め、彼は高官でもあり続けた[要出典]

カリフォルニア共和国[編集]

11845年に刊行された「オレゴン・カリフォルニア移民への手引書」の標題紙

ヘイスティングズは、アメリカ合衆国民カリフォルニアへの移住を勧める本、「オレゴン・カリフォルニア移民への手引書」(英語: The Emigrants' Guide to Oregon and California)を著した。この本は、少数であっても、彼らが無血革命に影響することを期待して著された。彼は、カリフォルニアについて、熱い語り口で説明し、陸路での移住者に向けて、実践的な助言も行った。この本の中で、彼は次のような記載を残している。

カリフォルニアへの移住する移民にとって、最も直線的なルートは、ブリッジャー砦英語版オレゴン・トレイルから外れることだ。要するに、そこから西南西、ソルトレイク方面へと進む。更にそこからは記載したルートに沿って進めば、サンフランシスコの港までたどり着くことできる[1]

ヘイスティングズは、自分自身でこのルートを辿る前にこの文書を著しており、ワサッチ山脈ユタ州西部に広がるボンネビル・ソルトフラッツを横断する難しさを認識していなかった。彼が、自分自身が提案したこのルートを最初に辿った時でさえ、ソルトレイクシティからブリッジャー砦英語版の区間のみであり、天候も穏やかで、時間の制約もなかったという。グレートソルトレイク砂漠の部分横断も試みていなかった。この様な状況であったにもかかわらず、その後、ヘイスティングズは自分の提案したこの陸路が、ほかのどのルートよりも速く、優れているという言葉を熱心に宣伝した[2]。歴史家のトーマス・F・アンドルースは、「著書と、トレイルの先導者として、ヘイスティングズの名声は、トレイルでのヘイスティングズの存在と相まって...、ドナー隊の移民に、現在、ヘイスティングズ・カットオフと彼の名前が付けられている近道の採用することを説得することに強い影響力があった」と語っている。

ヘイスティングズの帝国の夢は、カリフォルニアが、米墨戦争の最中にアメリカ合衆国軍に占領されたことで崩壊した。1848年には、グアダルーペ・イダルゴ条約が結ばれ、正式にカリフォルニアはアメリカ合衆国に割譲された。

カリフォニアに残るヘイスティングズの家は、ヘイスティングズ・アドービ英語版(ヘイスティングズのアドービレンガ造の家)として、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。

晩年[編集]

当時のアメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンに宛てられた請願アリゾナ準州の市民によって書かれたものであり、ジョン・C・フレモントをはじめとしたアリゾナ準州人々がランスフォード・ヘイスティングズの任命を求めている。

米墨戦争期間中、カリフォルニア大隊英語版の指揮官を務めていたヘイスティングズは、戦争終結後に法律事務を再開した。1848年に、シャーロット・トーラーと結婚し、1849年カリフォルニア州憲法制定会議英語版の代表者となった。1850年代後半になると、ヘイスティングズ一家は、アリゾナ準州[注釈 2]ユマに移住し、ヘイスティングズは、当地で郵便局長と領地裁判官を務めていた。南北戦争の期間中、ヘイスティングズはアメリカ連合国に属していた。1864年、ヘイスティングズはバージニア州リッチモンドへと赴き、当地でアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスと面会、カリフォルニアをアメリカ合衆国から分割し、アメリカ連合国へと編入する計画への支援を強化するように求めた[3]。この面会により、デイヴィスは、ヘイスティングズをアメリカ連合国陸軍少佐に任命したと宣伝し、アリゾナの陸軍部隊を、カリフォルニアの守護する為に指揮することを求めた[3]。しかしながら、南北戦争が翌年早々に終結したことから、いわゆるヘイスティングズの案は、ほとんど何もなされないままであった[3]

南北戦争の終結後、多くの元アメリカ連合国民たちは、ブラジルに植民地を創るべく、アメリカ合衆国を離れた[注釈 3]。ヘイスティングズも、この移民団が移住した地域を訪れ、ブラジル政府と協定を結び、新たな移住者を募るため、「ブラジルへの移民の手引書」(英語: The Emigrant's Guide to Brazil)を著している。1870年デンマーク領西インド諸島[注釈 4]セント・トーマス島で死去した。この時、彼はブラジル中部のサンタレンにある、彼の植民地への入植者の乗船作業を指揮しており、黄熱に罹患して亡くなったものと考えられている。

注釈[編集]

  1. ^ オレゴンシティは、ロッキー山脈以西で最初に法人格を有した都市になった街であった。
  2. ^ 現在のアリゾナ州
  3. ^ 彼らの子孫は、現在コンフェデラドス英語版という民族グループをブラジル国内で形成している。
  4. ^ 死去当時。現在のアメリカ領ヴァージン諸島

脚注[編集]

  1. ^ The Emigrants' Guide to Oregon and California, pp. 137–138
  2. ^ How the Donner Party Was Doomed by a Disastrous Shortcut
  3. ^ a b c Clendenen, Clarence C. (December 1961). “Dan Showalter: California Secessionist”. California Historical Society Quarterly 40 (4): 309–325. doi:10.2307/25155429. JSTOR 25155429. 
  • Hastings, Lansford W. The Emigrants' Guide to Oregon and California. Bedford, Mass.: Applewood Books, 1994. (Facsimile of the 1845 ed.)
  • Bagley, Will. "Lansford Warren Hastings: Scoundrel or Visionary?" Overland Journal 12:1 (Spring 1994): 12-26.
  • Cumming, John. "Lansford Hastings' Michigan Connection." Overland Journal 16:3 (Fall 1998): 17-28.
  • Andrews, Thomas Franklin. The Controversial Career of Lansford W. Hastings: Pioneer California Promoter and Emigrant Guide. Ph.D. dissertation, University of Southern California, 1970.
  • Dawsey, Cyrus B. and James M. Dawsey, eds. The Confederados: Old South Emigrants in Brazil. Tuscaloosa: University of Alabama, 1995.

外部リンク[編集]