プロジェクト‐ノート:紀年法/過去ログ3

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和暦を西暦単年記事の冒頭末尾に付ける提案[編集]

2014年等の各西暦年記事の冒頭への和暦(平成26年など)の追記を提案します。

  • ex: 2014年(2014 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。平成26年。

(冒頭最後尾に追記)

和暦テンプレートの使用停止により、テンプレートを使用していた各一般記事では和暦を手入力で記入する方法に切り替わりましたが、この作業の手助けと記述ミスを防ぐために、各西暦年記事の冒頭に和暦を追記したいと思います。各一般記事から西暦年リンクをクリックすることによって和暦を(画面をスクロールせずに)確認できます。なお、一部地域に特化した記述に関する規約「WP:JPOV」ですが、この規約は他の各暦を同列に扱わなければならないという結論を導き出すものではありません。

関連議論

--Triglav会話2014年8月11日 (月) 02:45 (UTC)

書き加えました。--Triglav会話2014年11月3日 (月) 04:18 (UTC)
コメント
  • (賛成)西暦から和暦(およびその逆)を調べることがわりと多く、「和暦→西暦」はすぐわかるのに「西暦→和暦」はスクロールしないといけないのが、ほんのひと手間とはいえ毎度不便で、開いた瞬間に目に入る場所にあったらいいなあと常々感じていました。たとえば1872年なら冒頭末尾に「日本天保暦では明治4年11月21日 - 明治5年12月2日にあたる。」などと書かれていたら、日本関連記事の執筆のとき、とても助かります。--miya会話2015年4月9日 (木) 03:47 (UTC)

会話ページでの助言に従い、和暦表示を冒頭テンプレートの中に収容しました(明治6年~平成80年)。天保暦以前についてですが、日本史執筆陣はこの点に関してとても優秀ですから、変換の難しさも十分に配慮してくださるでしょう。まずは、西暦置換が進んでいる近代(わかりやすく言うと日本史以外の日本の事象すべて)を編集する執筆者を支援して、それから天保暦以前を別途考えてみましょう。--Triglav会話2015年4月15日 (水) 14:35 (UTC)

安閑天皇在位の西暦対照について[編集]

第27代天皇安閑天皇の在位の西暦対照についてです。

現在、「安閑天皇#在位年と西暦との対照表」の表(‎Nnhさんによる2007年2月1日 (木) 09:25(UTC)時点の版で追加)において、「年代は『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えたもの。」という注意書きとともに、安閑天皇元年を西暦532年とするものから、同4年を535年とするものまでの天皇在位の西暦対照が記載されています。また、「532年」より「535年」までの各西暦記事においても「ほかの紀年法」節で同様の内容が記載されています。これらの記載は、『日本書紀』において安閑天皇の先代である継体天皇の崩年が継体天皇25年(531年)であり、崩御の日に「立大兄為天皇」(大兄(勾大兄皇子、安閑天皇)を立てて天皇と為す)という記述があるために、その翌年を安閑天皇元年と考えたものと思われます。しかし『日本書紀』には、安閑天皇元年条の末尾に「是年也太歳甲寅」とあり、甲寅年は534年に当たるため、安閑天皇は(理由は不明ながら)即位の3年後を元年としたものと考えられます。よって、『日本書紀』を根拠とする限り、「安閑天皇」の記事の表および各西暦記事は534年を安閑天皇元年、535年を同2年に修正するべきと考えています。しかしその場合、532年と533年をどう扱うかという問題が生じてしまいます。よって、これらの事柄について1週間意見を募集したのち、編集を行いたいと思います。なお私としては、532・533年については「安閑天皇」の表は「-」(ハイフン)に、各西暦記事は「(在位:安閑天皇)」のように修正することを考えております。--61.125.219.213 2018年5月10日 (木) 12:57 (UTC)

コメント ご連絡を頂いたので参りました。当該時期の紀年には揺れがあり確定出来ませんので、一説に寄るべきではないと考えます。不記載(ハイフン)とするより複数説併記すればよいかと。信頼性の高い二次資料・三次資料ではこの時期の紀年についてどう記載されているか情報を頂けると、判断材料になります。--Saigen Jiro会話2018年5月10日 (木) 20:15 (UTC)
提案者です。二次資料・三次資料についてはまだ確認しておりませんが、「安閑天皇」の表については「年代は『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えたもの。」とある以上『日本書紀』の紀年を第一とすべきかと思います(現在の記事には参考文献の記載がないので、どのような書に記載されている説なのかわかりません)。その上で現状の表を併記することが最善策ではないでしょうか。--61.125.219.213 2018年5月10日 (木) 21:09 (UTC)
以上、『日本書紀』の記載を中心に述べてきましたが、『本朝皇胤紹運録』に異説を発見したため記載します。
  • 継体天皇項 - 「(前略)廿五年二月崩。(中略)此後二年子丑王位。(後略)」 「」とは子年の532年と丑年の533年を指します。この期間は安閑天皇在位ではなく空位だったということです。
  • 安閑天皇項 - 「(前略)天皇元年卽位。(後略)」 「天皇元年」は534年ですので、安閑天皇の即位は『日本書紀』に記される継体天皇25年(531年)ではなく安閑天皇元年(534年)だったということです。
これらの記述を使用すれば、『日本書紀』で532・533年が安閑天皇在位として数え始められていない理由が説明できるので、この説も併記する諸説に加えるべきと思われます。その場合、532・533年は空位期間の他例(例えば「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」の神武天皇77年~同79年)にならい、それぞれ(継体天皇26年)・(同27年)としておくのがよいでしょう。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 03:37 (UTC)
さらに異説を(こちらを先に記載するべきでした)。『日本書紀』継体天皇段に、割注の形式で「或本云、天皇廿八年歲次甲寅崩。」(或本に云ふ、天皇廿八年歲次甲寅534年)崩す。)とあります。これを採用すれば、継体天皇の崩年は安閑天皇元年と同年となります。この説を記すことも、記事の正確性確保には不可欠でしょう。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 03:55 (UTC)
まだ異説がありました。『扶桑略記』安閑天皇条に「年六十八即位。〈明年元年〉元年甲寅」(〈〉内は割注)とあるので、これをとれば安閑天皇即位は533年となります。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 04:13 (UTC)

見づらいノートとなり申し訳ございません。ここで以上の諸説より改訂版の表の案を作成します。ハイフンは使用せず「紀年なし」と書きます。

--- 以下表の案 ---

--- 以上表の案 ---

これでどうでしょう。少々わかりにくいかもしれませんが、諸説併記ならこれがベストです。各西暦記事は、「天皇在位紀年については諸説あるため、「安閑天皇#在位年と西暦との対照表」を参照。」と最初に述べたように「(在位:安閑天皇)」と修正するなどすればよいでしょう。本来『日本書紀』によって書くべきところですが、『日本書紀』に意味不明の無紀年があるこの時期はこうするほかはないかと。

以上をもって私の案といたします。ご意見をよろしくお願いいたします。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 07:01 (UTC)『古事記』の記述を追加など。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 07:44 (UTC) 年齢追加など。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 08:24 (UTC) スタイル修正--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 09:09 (UTC) 修正。在位年と西暦との対照表をつくっているのだから、在位紀年部分のみ強調すべきと判断。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 09:35 (UTC) 表注形式に修正。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 08:44 (UTC) 修正--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 10:03 (UTC) 2書追加--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 11:37 (UTC) 表を単純化。--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 09:47 (UTC) 修正--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 09:56 (UTC)

対照表に天皇の年齢を追加しました。各説で天皇の在位紀年が異なっていても年齢は同じであることを示すためです。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 08:24 (UTC)
やはりわかりにくすぎるように思うのでスタイルを改めます。--61.125.219.213 2018年5月11日 (金) 09:09 (UTC)
コメント Wikipediaの信頼性とは信頼できる情報源に拠るべきで、特に一次資料に拠って記述されるべきではないとされているかと存じます。説の有力性・妥当性(一次資料の有力性・妥当性)に関しては二次資料・三次資料に基づいて記述されるべきですので、編集者様個人の判断ではなく学術的な判断が記事に反映されるべきかと。急ぐ案件ではないはずですので、二次資料・三次資料に基づいたご議論の方を切にお願い申し上げます。--Saigen Jiro会話2018年5月11日 (金) 12:36 (UTC)
情報 とりあえず吉村武彦『ヤマト王権(岩波新書1272)』(岩波書店、2010年)p. 137の年表に改変を加えたものを下記します。やはり二次資料・三次資料の無い限り平安以降の遺文を取り上げるのは危険と考えます。--Saigen Jiro会話) 2018年5月11日 (金) 22:05 (UTC)(追記)--Saigen Jiro会話2018年5月13日 (日) 21:42 (UTC)
西暦 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552
干支 乙巳 丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑 甲寅 乙卯 丙辰 丁巳 戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥 甲子 乙丑 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申
書紀
[注 1]
継体19 継体20 継体21 継体22 継体23 継体24 継体25 安閑元 安閑2 宣化元 宣化2 宣化3 宣化4 欽明元 欽明2 欽明3 欽明4 欽明5 欽明6 欽明7 欽明8 欽明9 欽明10 欽明11 欽明12 欽明13
帝説・
縁起
[注 2]
(即位) 欽明元 欽明2 欽明3 欽明4 欽明5 欽明6 欽明7 欽明8 欽明9 欽明10 欽明11 欽明12 欽明13 欽明14 欽明15 欽明16 欽明17 欽明18 欽明19 欽明20 欽明21
古事記 継体没 安閑没
[注 3] [注 4]

表注

  1. ^ 書紀 = 『日本書紀』。
  2. ^ 帝説 = 『上宮聖徳法王帝説』。
    縁起 = 『元興寺伽藍縁起』。
  3. ^ 『百済本記』:天皇・太子・皇子没。
  4. ^ 『日本書紀』或本:継体天皇没。
情報ありがとうございます。成立年代が下る『本朝皇胤紹運録』・『扶桑略記』にご指摘によって「参考」を加えました。
質問です。私が『上宮聖徳法王帝説』を見る限り欽明天皇元年は531年ですが、Saigen Jiroさんが記載された表で532年となっているのは誤りではないでしょうか。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 10:03 (UTC)
表に『上宮聖徳法王帝説』・『元興寺伽藍縁起』を追加しました。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 11:37 (UTC)
2・3次資料を確認したので記載します。
文献名\西暦干支 531年辛亥 532年壬子 533年癸丑 534年甲寅 535年乙卯
日本古代史年表[1] 継体25年
 
(書紀紀年の記載なし)
(欽明元年)
(書紀紀年の記載なし)
(欽明2年)
安閑元年
(欽明3年)
安閑2年
(欽明4年)
日本書紀暦日原典[2] 継体天皇25年 安閑天皇即位前2年 安閑天皇即位前1年 安閑天皇元年
安閑天皇2年
日本暦日原典[3] 継体天皇25年 継体天皇26年 継体天皇27年 安閑天皇元年
安閑天皇2年
東方年表 大字版」[4] 継体25年 (空白) (空白) 安閑元年
安閑2年
文献情報
  1. ^ 吉川弘文館編集部/編  吉川弘文館 出版(2006年12月)
  2. ^ 内田正男/編著  雄山閣出版 出版(1988年)
  3. ^ 内田正男/編著 雄山閣出版 出版(1992年6月)
  4. ^ 藤島達朗野上俊静/編 平楽寺書店 出版(1996年)
以上見ましても、記事現状と一致しているものはありません。なお「日本書紀暦日原典」では、「安閑天皇即位前」の表現が使用されていますが、『日本書紀』には継体天皇25年に安閑天皇が即位した記録があるので「即位前」の語は不適当です。--61.125.219.213 2018年5月12日 (土) 12:37 (UTC)「東方年表」追加。--61.125.219.213 2018年5月13日 (日) 14:46 (UTC)
諸史料と照らし合わせれば、「日本古代史年表」と「東方年表」が最も適切と思われます。--61.125.219.213 2018年5月13日 (日) 14:55 (UTC)
コメント 文献ご提示どうもです。文献通りに追記しました。ここまでのコメントですが、他天皇記事同様に(私提示の年表とは言わないまでも)色付けなく単純な表の方が良いです。他天皇記事の表を本記事の表に揃えるか、本記事の表を他天皇記事の表に揃えるかという点では、他天皇記事表の方が正直言って遥かに見やすいです。本記事では単純表に留めて、様々な情報を付加するのであれば「継体・欽明朝の内乱」の方で掲載された方が良いかもしれません。あと『本朝皇胤紹運録』・『扶桑略記』を挙げる学術的妥当性を示す文献は無いのでしょうか。紀年を書いた文献は他に『帝王編年記』もあるでしょうが、それも含めて文献が無ければ参考としても掲載は不適当だと思います。また「その方法をとった場合の紀年」で当該時期の表作成をしている文献はあるのでしょうか。総じて文献にある範囲で潤色なく表作成をなされるべきかと。--Saigen Jiro会話2018年5月13日 (日) 21:42 (UTC)

お返事ありがとうございます。3点あります。

  • 帝王編年記』は完全に失念しておりました。ありがとうございます。確認しましたところ、紀年部分は『本朝皇胤紹運録』と同じでした。
  • 『本朝皇胤紹運録』・『扶桑略記』を参考として記載したのは私の独断です。確かに不適切でした。他記事にならい掲載を控えるとともに、色を除去して表を単純化いたします。表に記載する情報は、これも他記事にならい『日本書紀』のみとします。
  • 「その方法をとった場合の紀年」を使用する文献は、wikipediaの「安閑天皇」の記事の現状そのものです。これはSaigen Jiroさんの「一説に寄るべきではないと考えます。」「複数説併記すればよいかと。」の意見により記載したのですが、必要がないのでしたら除去させていただきます。--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 09:47 (UTC)
返信 ご理解・ご譲歩下さったことに心から謝意を表します。他の方からの意見もあるかもしれませんので、しばらくコメントを置きます。--Saigen Jiro会話2018年5月14日 (月) 10:04 (UTC)
返信ありがとうございます。
妥協点が見いだせたことをうれしく思います。では、反対意見がなければ相当期間が経過したのちにこの内容で編集を行いたいと思います。--61.125.219.213 2018年5月14日 (月) 10:17 (UTC)
最初の提案から1週間が経過しましたが、Saigen Jiroさんの意見以外は特にないようなので現在の案で合意とみなし編集を行いたいと思います。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 12:55 (UTC)
完了しました。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 13:01 (UTC)

見落としていましたが、「531年」の記事でこの年を「安閑天皇元年」としている部分がありますが、この年は同記事内にあるように継体天皇25年であり、『日本書紀』をはじめとした諸文献に安閑天皇元年説がないためこれも修正します。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 13:11 (UTC)

2月7日 (旧暦)」についても同様です。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 13:16 (UTC)
ついでに、安閑天皇在位に関する諸記事の誤りを修正しておきました。--61.125.219.213 2018年5月17日 (木) 14:03 (UTC)