ブロンソン・アローヨ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブロンソン・アローヨ
Bronson Arroyo
シンシナティ・レッズ時代
(2011年3月16日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州の旗 フロリダ州キーウェスト
生年月日 (1977-02-24) 1977年2月24日(47歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 MLBドラフト3巡目(全体69位)でピッツバーグ・パイレーツから指名
初出場 2000年6月12日 アトランタ・ブレーブス
最終出場 2017年6月18日 ロサンゼルス・ドジャース
年俸 $9,500,000(2015年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ブロンソン・アンソニー・アローヨBronson Anthony Arroyo, 1977年2月24日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州キーウェスト出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1977年2月24日、キューバ人の父とアメリカ人の母の間に生まれる。父が「チャールズ・ブロンソンのようなタフガイになってほしい」と願ったことから "ブロンソン" と名付けられた、という[2]。その後野球を始め、高校時代まで遊撃手や投手として活躍する。子供の頃のヒーローは、同じ遊撃手のオジー・スミスだった[2]

プロ入りとパイレーツ時代[編集]

1995年MLBドラフト3巡目(全体69位)でピッツバーグ・パイレーツから投手として指名を受け、プロ入り。投手専門になる。

2000年6月12日のアトランタ・ブレーブス戦で、先発としてメジャーデビューし、5回5失点で勝敗はつかなかった。0勝3敗で迎えた6試合目の登板で初勝利を挙げた。その後、主に先発や中継ぎとして2年間で44試合に登板する。しかし3年目は9試合のみの登板にとどまった。

レッドソックス時代[編集]

2003年2月にウェイバー公示を経て、ボストン・レッドソックスへ移籍した。

AAA級ポータケット・レッドソックスでプレーしていた2003年8月10日、AAA級のインターナショナルリーグにおいて、2000年の大家友和以来、史上4人目となる完全試合(9イニング)を達成した[3]。この年、インターナショナルリーグ最優秀投手に選出された。[4]

2004年にメジャーで先発ローテーションに定着し、自身初の2桁勝利(10勝)を挙げた。7月24日に投球をアレックス・ロドリゲスに当てて乱闘騒ぎになるなど、この年は両リーグ最多の20個の死球を与えてしまった。この因縁もあって、10月19日のリーグチャンピオンシップシリーズ第6戦、ロドリゲスが打った投手ゴロでアローヨがロドリゲスにタッチしようとすると、ロドリゲスはそのグラブを手で払いのけ、ボールが転々とする間に三塁ランナーのデレク・ジーターがホームインしたように思えたが、直後に守備妨害が宣告され、ロドリゲスはアウトになった。第3戦ではアローヨから場外ホームランを打っていたロドリゲスがイライラして起こしたプレーだと思われる。その後のレッドソックスにとって86年ぶりとなるワールドシリーズ優勝にも貢献した。

2005年には自己最高となる14勝を挙げた。

2006年1月には代理人から安すぎると反対されるも3年総額1125万ドルで契約延長した[5]

レッズ時代[編集]

2006年3月20日にウィリー・モー・ペーニャとのトレードで、シンシナティ・レッズへ移籍した。

移籍1年目は、アーロン・ハラングとともにレッズ先発投手陣の柱となった。開幕から5連勝を記録し、苦手と公言している打撃では開幕から2試合連続で本塁打を放った[5]。前半戦は9勝6敗で防御率はリーグ5位の3.12を記録し、オールスターゲームに初めて選出された。元チームメイトのペドロ・マルティネスからは「彼が前半戦のサイ・ヤング賞」と評価された[5]。35先発・240.2投球回はリーグ最多、防御率3.29・WHIP1.188はチーム1位、14勝はチーム2位だった。9月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でキャリア初の完封勝利を挙げた。また、オフには日米野球MLB選抜として来日した。

球団は、アローヨとの契約が2年残っていたが、2007年2月8日に2009年から2年総額2500万ドル(3年目は球団オプション)で契約延長[6]。2007年は、22QS(チーム最多)を記録する安定感があったが、34登板中15試合で味方打線が2点以下に抑えられたため援護に恵まれず[7]、9勝15敗と負け越しに終わった。

2008年は自己最多の15勝を記録したが、防御率は前年よりも悪化し、4.77。6月24日のトロント・ブルージェイズ戦では先発投手としてメジャー史上6人目となる1イニング以下で自責点10以上を記録[8]

2010年、自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した。レッズの投手が同賞に選出されるのは1958年のハーベイ・ハディックス英語版以来52年ぶりであった。尚、ハディックスは3年連続で同賞に選出されたが、レッズに在籍したのは1958年の1シーズンのみである。

2011年11月3日、球団はアローヨの契約オプションを行使し、さらに2013年までの2年3500万ドルの契約延長に合意した。

2013年10月31日にFAとなった。

ダイヤモンドバックス時代[編集]

2014年2月7日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと総額2,350万ドルの2年契約に合意したことが報道され[9]、2月12日に球団が発表した[10]。6月16日、右肘の故障によりキャリアで初めて故障者リストに入った。7月15日にトミー・ジョン手術を受け、シーズンを終えた。先発ローテーション定着以来10年続いていた規定投球回到達(また、9年連続199イニング以上)が途切れた。

ブレーブス傘下~ドジャース傘下時代[編集]

2015年6月20日にフィル・ゴセリンとのトレードで、トゥーキー・トゥーサンと共にアトランタ・ブレーブスへ移籍した[11]。7月30日にブレーブス、ロサンゼルス・ドジャースマイアミ・マーリンズ間の三角トレードでアレックス・ウッドジム・ジョンソンルイス・アビランホセ・ペラザと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。見返りとしてブレーブスは、ドジャースからエクトル・オリベラパコ・ロドリゲスザカリー・バードの3選手を獲得し、さらにマーリンズからは2016年のドラフト指名権を獲得した[12]。故障者リストに入ったままシーズンを終え、球団が450万ドル(約5億3000万円)でバイアウトしたため、11月7日にFAとなった[13]

ナショナルズ傘下時代[編集]

2016年1月27日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。

レッズ復帰[編集]

2017年2月3日に古巣レッズとマイナー契約を結んだ[14]。4月8日にメジャー契約を結んで25人枠入りし[15]、同日のセントルイス・カージナルス戦で2014年6月以来、約3年ぶりに登板した[16]。同年9月23日に現役引退を表明した[17]

投球スタイル[編集]

ひざを曲げずに足を高く上げる独特のフォームで、時折腕の角度を変えながら投球する。平均球速138km/hのシンカーを主体に、チェンジアップカーブなどの変化球を組み合わせて[7]、打たせて捕る技巧派投手。多彩な球種を持っており、2012年まではスプリッターカットボールも投げていたが、以降は投げるのをやめている。また、フォーシームを投げる割合も年々低くなっており、現在持ち球としている中では一番頻度が少ない。あえて打たせるピッチングをするため、どの球種も空振り率は低いが、状況に応じて三振を狙う場合はスライダーを投げる事が多い。

配球は巧みで、レッズのジェリー・ナロン監督(2005年 - 2007年)は「彼のピッチングを見るのは楽しい。彼のように打者の打ち取り方を知っている投手は最近は少なくなってきたからね」[18]とアローヨの投球術を高く評価している。

ミュージシャンとして[編集]

2008年1月に行われたコンサートでのアローヨ

野球選手としてプレーする傍ら、ミュージシャンとしての顔も持つ。2005年にはアルバム "Covering the Bases" を発表し、デビューミュージシャンランキング2位に入った[19]。また、レッズ時代にチームメイトだったリッチ・オーリリアの夫人は歌手で、2006年6月に一緒にチャリティーコンサートなども行っている[5]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2000 PIT 20 12 0 0 0 2 6 0 0 .250 338 71.2 88 10 36 6 4 50 3 1 61 51 6.40 1.73
2001 24 13 1 0 0 5 7 0 2 .417 390 88.1 99 12 34 6 4 39 4 1 54 50 5.09 1.51
2002 9 4 0 0 0 2 1 0 1 .667 123 27.0 30 1 15 3 0 22 0 0 14 12 4.00 1.67
2003 BOS 6 0 0 0 0 0 0 1 0 ---- 66 17.1 10 0 4 2 1 14 0 0 5 4 2.08 0.81
2004 32 29 0 0 0 10 9 0 0 .526 764 178.2 171 17 47 3 20 142 5 0 99 80 4.03 1.22
2005 35 32 0 0 0 14 10 0 0 .583 878 205.1 213 22 54 3 14 100 5 1 116 103 4.51 1.30
2006 CIN 35 35 3 1 0 14 11 0 0 .560 992 240.2 222 31 64 7 5 184 6 0 98 88 3.29 1.19
2007 34 34 1 0 0 9 15 0 0 .375 921 210.2 232 28 63 6 13 156 4 0 109 99 4.23 1.40
2008 34 34 1 0 0 15 11 0 0 .577 871 200.0 219 29 68 2 6 163 6 0 116 106 4.77 1.44
2009 33 33 3 2 1 15 13 0 0 .536 923 220.1 214 31 65 6 9 127 1 0 101 94 3.84 1.27
2010 33 33 2 0 0 17 10 0 0 .630 880 215.2 188 29 59 5 6 121 1 1 95 93 3.88 1.15
2011 32 32 1 1 1 9 12 0 0 .429 855 199.0 227 46 45 5 6 108 0 0 119 112 5.07 1.37
2012 32 32 1 1 0 12 10 0 0 .545 835 202.0 209 26 35 1 5 129 3 0 86 84 3.74 1.21
2013 32 32 2 1 1 14 12 0 0 .538 823 202.0 199 32 34 2 7 124 1 2 88 85 3.79 1.15
2014 ARI 14 14 1 0 0 7 4 0 0 .636 357 86.0 92 10 19 1 3 47 2 0 40 39 4.08 1.29
2017 CIN 14 14 0 0 0 3 6 0 0 .333 322 71.0 94 23 19 2 2 45 1 0 59 58 7.35 1.59
MLB:16年 419 383 16 6 3 148 137 1 3 .519 10338 2435.2 2507 347 661 60 105 1571 42 6 1260 1158 4.28 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



投手(P)












2000 PIT 20 3 5 1 0 .889
2001 24 3 15 2 1 .900
2002 9 3 7 0 0 1.000
2003 BOS 6 2 0 0 0 1.000
2004 32 24 16 2 2 .952
2005 35 21 21 2 1 .955
2006 CIN 35 29 33 0 4 1.000
2007 34 11 27 1 0 .974
2008 34 18 31 0 0 1.000
2009 33 18 31 2 3 .961
2010 33 18 31 0 5 1.000
2011 32 22 30 4 2 .929
2012 32 16 31 0 1 1.000
2013 32 15 29 1 1 .978
2014 ARI 14 12 12 1 2 .960
2017 CIN 14 6 6 0 0 1.000
MLB 419 221 325 16 22 .972

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 69(2000年 - 2002年)
  • 61(2003年 - 2014年、2017年)

脚注[編集]

  1. ^ Bronson Arroyo Contract, Salaries, and Transactions” (英語). Spotrac. 2013年3月29日閲覧。
  2. ^ a b 阿部寛子「MLB TALK SHOW ブロンソン・アローヨ[レッドソックス]」『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、67-69頁、雑誌15509-10。 
  3. ^ Minor League Perfect Games” (英語). 2015年3月9日閲覧。
  4. ^ Bronson Arroyo Awards” (英語). The Baseball Cube. 2009年8月1日閲覧。
  5. ^ a b c d 谷口輝世子「ブロンソン・アローヨ[レッズ] ロックスター、シンシナティへ行く」『スラッガー』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、42-44頁、雑誌15509-9。 
  6. ^ Mark Sheldon (2007年2月8日). “Reds, Arroyo agree on extension” (英語). MLB.com. 2015年11月9日閲覧。
  7. ^ a b LINDY'S, Special to FOXSports.com(2008年3月5日), "Preview 2008: Cincinnati Reds," FOX Sports on MSN, 2008年3月30日閲覧。(2008年2月29日時点のアーカイブ
  8. ^ TORONTO (AP) (2008年6月24日). “Burnett goes eight strong as Blue Jays blast Reds with 14-run effort” (英語). ESPN. 2009年8月1日閲覧。
  9. ^ Steve Gilbert (2014年2月7日). “D-backs reach two-year contract with Arroyo” (英語). MLB.com. 2015年11月9日閲覧。
  10. ^ "D-backs agree to terms with Bronson Arroyo" (Press release) (英語). MLB.com (. D-backs). 12 February 2014. 2015年11月9日閲覧
  11. ^ Jason Lempert (2015年6月21日). “Diamondbacks, Braves announce three-player deal on Saturday”. FANTASY NEWS. CBSSports.com. 2015年7月31日閲覧。
  12. ^ Ken Gurnick (2015年7月30日). “LA deals for Braves' Wood, Marlins' Latos” (英語). MLB.com. 2015年7月31日閲覧。
  13. ^ Steve Dilbeck (2015年11月6日). “Dodgers decline options on Joel Peralta, Chase Utley, Bronson Arroyo” (英語). Los Angeles Times. 2015年11月9日閲覧。
  14. ^ Sheldon, Mark (2017年2月13日). “Arroyo, Reds reach Minor League deal”. MLB.com. http://m.reds.mlb.com/news/article/215044660/bronson-arroyo-reds-reach-minor-league-deal/ 2017年4月12日閲覧。 
  15. ^ Sheldon, Mark (2017年4月9日). “Arroyo feels good after long-awaited comeback”. MLB.com. http://m.mlb.com/news/article/223069914/bronson-arroyo-makes-long-awaited-comeback/ 2017年4月12日閲覧。 
  16. ^ Arroyo feels good after long-awaited comeback MLB.com (英語) (2017年4月8日) 2017年5月1日閲覧
  17. ^ “Bronson Arroyo and Reds fans say their goodbyes…for now” (英語). Cincinnati.com. (2017年9月23日). http://www.cincinnati.com/story/sports/mlb/reds/2017/09/23/bronson-arroyo-and-reds-fans-say-their-goodbyes-for-now/697306001/ 2017年9月25日閲覧。 
  18. ^ 月刊メジャー・リーグ11月号増刊 イオン日米野球2006公式プログラム』、ベースボール・マガジン社、2006年、16-17頁、雑誌08626-11。 
  19. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、343頁。ISBN 978-4-331-51213-5 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]