ノート:関東大震災

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。



執筆用資料[編集]

富豪による寄付金(主に臨時震災救護事務局への寄付金。震災地の自治体へ直接寄付したものは除外)

『日本大雑誌 大正篇』(流動出版、1979年)から。元リストは「金がかたき」大正15年10月号。 --以上の署名の無いコメントは、119.150.0.148会話投稿記録)さんが 2008年3月15日 (土) 05:07 (UTC) に投稿したものです。[返信]

発生時刻(当時の時計の精度)について[編集]

地震の発生時刻の注釈に「当時の観測所の時計は13時間で2分ほど遅れることが指摘されており、必ずしも正確な時刻ではない」とありましたが、本注釈の出典とされている論文(武村雅之「1923年関東地震の本震直後の余震活動-岐阜測候所の今村式二倍強震計記録の解析-」)には、“岐阜測候所の記録紙から読みとれる時刻”が“気象台原簿に残されている、岐阜測候所から報告された時刻”と比べて「2分程度」遅れている理由が述べられています。その報告値は「(岐阜測候所が受信している標準時の)時報によって補正されている可能性が高」い、とされています。--M1m1m3m会話2021年2月7日 (日) 21:46 (UTC)[返信]

§3. 震央距離において、「関東地震当時の観測に使用されていた時計の精度は本稿でも指摘 している通り必ずしも+分でなく、さらに本震直後においては資料の混乱[勝又(1975)]も重なって原簿類に報告されているP波初動時刻の精度は未知数である.」と続きますので、「必ずしも正確な時刻ではない」とする表現に誤りがあるとは思われませんがいかがでしょうか?--Y.haruo会話2021年2月7日 (日) 23:35 (UTC)[返信]
また、「上記の差は当時観測に用いられていた時計の精度のレベルをおよそ表すものと考えられる.」としており、当時の岐阜測候所以外の観測所の時計のレベルについても推考しております。従いまして本記述が誤っているとは思えませんので、「資料の混乱」についても付記したうえ、除去された部分を戻します。--Y.haruo会話2021年2月8日 (月) 20:40 (UTC)[返信]
そもそも出典とされている論文は標題のとおり「本震直後の余震活動」について論じており、本震の発生時刻について述べたものではありません。「まえがき」にも「本研究では、これら4枚の記象紙をもとに本震発生直後の余震活動について過去の研究結果の妥当性を検討するとともにその実態を明かにする」とあります。地震の発生時刻を「11時58分32秒」とする文献が多く存在するのは周知のとおりです(例:武村雅之「関東大震災、大東京圏の揺れを知る」(土地総合研究 第11巻第4号、2003)、内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会「第2期報告書 1923 関東大震災(第1編)」(2006))。地震の発生時刻に注釈を入れるならば、本震の発生時刻について論じた出典をもとにすべきで、余震の記録について論じているものを出典として本震の発生時刻について疑いがあるとするのは独自研究ではないでしょうか。ましてやこの表現では、当時の時計が不正確であるがゆえに地震の発生時刻に分単位のズレが考えられるような誤解を生みかねず、あきらかに不適切と考えますので、取り消していただけると幸いです。参考までに、震災の3年前(1920年)に東京教育博物館(現在の国立科学博物館)で行われた「時」展覧会に出展された「東京天文台報時系統図」(東京天文台出品)には、東京天文台の報時室内にある報時用鍵盤から「東京本郷大学構内地震学研究室(地震観測用)」と「中央気象台(地震及気象観測用)」に直接つながっている経路が記されています(『教材収録』第9巻第10号(臨時号)誌上時展覧会(南光社) 169p、井上毅『時の記念日のおはなし』(明石市立天文科学館、2019)37p)。--M1m1m3m会話2021年2月10日 (水) 14:33 (UTC)[返信]
本出典は「本震直後の余震活動」についてのみ論じているわけではありません。4枚の記象紙は「岐阜地方気象台に本震ならびに余震をほぼ完全に記録した今村式二倍強震計による」ものであり、「関東地震当時の観測に使用されていた時計の精度」について論じているものです。題名に記載がないことを理由とするのは失当だと思われます。また、本記載は当論文に基づいての註釈ですので、独自研究とはまったっく異なります。この記載が独自研究とするのであれば、当時の観測に用いられていた時計の制度について差異が少ないと論じている出典が最低でも必要でしょう。また、『地震の発生時刻に分単位のズレが考えられるような誤解』とあなたは主張されますが、本震の各観測所における発震時刻は日本国内だけでも、例えば布良では「11時55分?秒」としており、一方で和歌山では「12時00分2秒」としており、分単位の開きが報告されております[1]。誤解ではなく事実としか読み取れず、むしろ「11時58分32秒」は何を基としたのか非常に気になります。「東京天文台報時系統図」については、「地震観測網が、十分に整備される前の時代の、しかも無線報時による時計の補正が、ようやく実施されるようになったばかりの時代」と評されており[2]、無線報時の信頼性が正確であるとは言えないでしょう。--Y.haruo会話2021年2月11日 (木) 22:57 (UTC)[返信]
地震の発生時刻を「11時58分32秒」とするものは、当該出典の著者によるより新しい著述(2003[3],2013[4])をはじめとして、防災科研のWebサイト(2012[5])にも「11時58分31.6秒」とあります。秒単位まで確定されているのには相当の理由があるはずです。複数の信頼できる情報源(2003,2012,2013)に記載されている発生時刻について、あえて「必ずしも正確な時刻ではない」との注釈を入れるのであれば、本震が甚大であったために正確に把握できていなかった「余震活動」について論じた文献(1994)の記述を引いて独自の解釈を記述するのではなく、地震(本震)の発生時刻そのものを論じた出典をもとにすべきでしょう。非常に気になるとのことですので、ぜひそのようにお取りはからいいただければと存じます。--M1m1m3m会話2021年2月12日 (金) 08:56 (UTC)[返信]
発生時刻に出典がなかったので追加し、出典の記述に合わせて時刻を修訂しました。防災科研のWebページ「関東大震災の被害状況」の冒頭に「11時58分32秒発生」とあり、同ページの「災害の概要」欄には「発生時刻:11時58分31.6秒」とあり、同ページに参考文献としてあげられている気象庁の「震度データベース検索」の「地震の発生日時」に「11:58:31.6」とありますので、それらに従っています。--M1m1m3m会話2021年2月14日 (日) 15:16 (UTC)[返信]
1925年の時点で、今村明恒(「關東大地震調査報告(1)」震災豫防調査會報告,100(6),271-280)が東大本郷の記録として「発震時刻 午前11時58分44秒、この時刻は教室内における他の地震計の観測をも総て採用し之れから推算した結果である、観測用時辰儀は次の三個で毎週月、木曜日東京天文台からの信号と比較して居ったのである。則ちナルダン製1497号、フロドシャム3548号、ラッセル製7102号である」(25p)と記しており、さらに「各観測所に於ける観測」には「近時本邦各測候所に於いては天文台の正時を基とせる無線信号により其の時計を正しく整調する様になったから地震発震時の観測は余程信用の度を増して来た、第一表に於いては僅に少数の疑問とするのがあるだけで、大抵数秒以内に正しいものと見做して宜しい、それも多くは地震計に属する欠点から起こるものと見做して宜しいのである」(29p)としています。同論文の図「発震時と震原距離との関係を示す走時曲線」の「発震時」には「+2h58m30s」と記載されており、これが11時58分30秒の意であれば、現在の値の2秒前です。1987年には浜田信生(「1923年関東地震の震源の深さについて」験震時報, 50, 1-6.、1987)が「ここでは,現在の気象庁の震源決定法資料の用い方も参考lとして,B による震源(A = 13908.9'士1.4',ゆ=350 20.8'土1.8',h = 25km, OT= l1d58m31.6士0.3s)を関東地震の震源として採用する」(※PDFファイルのテキスト情報ママ)としており、これは現在の気象庁の震源データベースにある「11時58分31.6」と一致するように見受けられます。2009年には、問題の注釈の出典とされた論文の著者である武村雅之(『未曾有の大災害と地震学』(古今書院、163p)が上述の浜田らの論文を引きつつ「これらの研究によって、関東地震の本震のすべりは9月1日の11時58分32秒から始まり……ということが明らかになった」としています。震災2年後の値と現在の値が2秒しか違わず、現在の値が「士0.3s」という精度で求められているのであれば、本注釈は独自研究であるのみならずその内容も適切ではなかったといえそうです。--M1m1m3m会話) 2021年2月20日 (土) 09:15 (UTC) /表現を修正しました。--M1m1m3m会話2021年2月20日 (土) 18:56 (UTC)[返信]