ノート:間宮林蔵

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

この項目、史実の間宮林蔵と子連れ狼の間宮林蔵が重なって両方読むと混乱するので、後者を間宮林蔵 (子連れ狼)に分離するというのはどうでしょう。--Charon 2004年12月26日 (日) 02:02 (UTC)[返信]

新・子連れ狼に登場したキャラの説明部分を分離して新・子連れ狼に移せばよいと思う。わざわざ登場人物(登場する作品)といった記事を立てる必要はないでしょう。東郷重位、島津光久に関しても同様。220.146.73.177 2004年12月28日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

下条吉之助と村上島之丞について[編集]

ここでは「林蔵は、幕臣下条吉之助に地理や算術の才能を見込まれ、後に幕府の下役人となった。」となっていますが、吉村昭『間宮林蔵』などには、村上島之丞(秦檍丸)の下僕になったと書かれています。また、この後も村上島之丞について地理や算術を学び、蝦夷地まで助手として探検をしています。

村上島之丞と「幕臣下条吉之助」の関係はどうなっているのでしょうか?教えて下さい。

村上島之丞は『蝦夷島奇観』などを著した実績のある人で、間宮林蔵は江戸に出てきた後は彼に師事したようです。蝦夷行きについても彼の配下としてついていったという記事があります。一方、下条吉之助は利根川の普請奉行であり、間宮林蔵という才能を見出した人物ではありますが、測量技術との直接の関連は無いようです。[1]--kanryu 2009年8月10日 (月) 06:05 (UTC)[返信]

参照[編集]

  1. ^ 「函館市史」通説編1 3編4章7節3-1”. 2009年8月10日閲覧。
  • 吉村昭が書いたのは小説ですから、歴史記述で小説を参考文献にするなんて非常識です。