ノート:門徒物知らず

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浄土真宗と他宗派との差異について[編集]

「浄土真宗と他宗派との差異」の項目は、この記事名「門徒物知らず」ではなく、「浄土真宗」に載せるべきではないでしょうか。浄土真宗にも簡単な説明がありますが、ここへ移動し充実させるか、別項目で「浄土真宗と他宗派との差異」を作るべきでないでしょうか。--ロリ 2008年8月9日 (土) 14:43 (UTC)[返信]

2008年8月20日 (水) 23:49の版に差し戻す理由。[編集]

  1. Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性の三つの基本方針に反する。
  2. 重複する追記。
  3. 上記のノートでの議論を無視した記述。

以上の理由により、IPユーザー211.2.11.119の記述を削除、2008年8月20日 (水) 23:49の版に差し戻す。--118.109.157.195 2008年10月6日 (月) 21:14 (UTC)[返信]

116.81.238.137及び211.2.11.119の投稿について[編集]

116.81.238.137及び211.2.11.119さんの投稿は、公式方針に反しています

本ページ「門徒物知らず」の冒頭に「Wikipedia:独自研究は載せない」、「Wikipedia:中立的な観点」、「Wikipedia:検証可能性」の三つの基本方針に準じた投稿をお願いします。これらの公式方針に反する投稿は荒らし投稿とみなされます。と、注意書きがされています。よく読んだ上で投稿してください。
  • 要約欄に説明の無い差し戻しは、ルール違反です。
具体的な問題点
  • 「他宗派」とは、広義ではこの場合は、「真宗以外の宗旨」の意味をさすが、狭義では、「その宗旨」の分派をさす語であるため。混乱を避けるため「他宗」とした。(参考文献、大辞林第二版)
  • 門徒物知らず#浄土真宗と他宗との差異の隠しコメントにあるように<!-- 浄土真宗と他宗との差異以外の記述はしないこと。Wikipediaは、演説をする場所ではありません -->として、このセクションにをいては差異について記述するセクションであるため、批判などの百科事典に相応しくない記述は問題がある。
  • そもそもこのセクション名は「浄土真宗と他宗との差異」である。記述は、「浄土真宗」では、~~~である。「他宗」では、~~~である。の形式を取るべきである。(他宗がそれぞれ多岐にわたる場合は、暫定的に浄土真宗の記述のみとした。)
  • 「祟り」に関しては、同一ページに重複する記述が多く削除の対象となる。
  • 「成仏」「輪廻」「戒律」「地獄」の喜寿に関しては、教義上の問題である。「浄土真宗」では、「他宗では」の形で記述しておらず。批判的な記述とみなす。「浄土真宗では~~~。」「他宗では~~~。」の形式かつ批判的記述のない百科事典的な表現をもちいるべきである。
  • 「表書きにこだわらない点も、門徒物知らずということになる。」の記述に関して、逆に言えば浄土真宗の教義にこだわった表書きといえる。そのことが「門徒物知らず」というのは誤りである。
  • 「地獄」のセクションに関する記述について、「地獄」だけがこの世であると誤解を与える記述。「六道」の説明に詳しく述べられているが、この世が「六道」であると説くのが一般的である。また浄土真宗では、六道のすべてに「苦」が存在すると考える。また、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道がこの世であり、あの世に「地獄」があると考えるのは、自制のための方便である。(源信『往生要集』を参照。)
  • 「これは(中略)「ただし、五逆をなしたるものを除く」の但し書きがあるが、親鸞は削除した版を用いて説法した。これが悪人正機説につながる。」は、事実無根である。Wikipedia:独自研究は載せないの公式方針に反する。親鸞の著書『顕浄土真実教行証文類』『浄土三経往生文類』『如来二種回向文』『尊号真像銘文』の文中に確実に用いられており、事実無根の証明とする。(参考文献、真宗聖典編纂委員会 編 『真宗聖典』 真宗大谷派宗務所出版部、1978年。・浄土真宗教学伝道研究センター 編 『浄土真宗聖典(原典版)』 本願寺出版社、1985年。)よって、この行為は荒らし投稿である。

以上の意見に反対意見がございましたら、出典等を明記して反論してください。

今後も、議論に応じず、出典を明記せず独自の研究を載せる場合は、保護等の対策を講じます。--Resto1578 2008年10月7日 (火) 18:36 (UTC)[返信]

(修正)上記の「今後も~講じます。」を取り消し線にて修正。誤って内部リンクにした部分を強調表示に修正しました。--Resto1578 2008年10月8日 (水) 07:26 (UTC) (修正)誤記の修正。--Resto1578 2008年10月8日 (水) 07:35 (UTC)[返信]

保護依頼提出[編集]

(コメント)半保護依頼提出の理由。

  • このページは、過去に2回全保護になっていること。
  • Template:注意」を用いて、注意を促しているにも関わらず、差し戻しを行い、このテンプレートを削除した。また差し戻す際も、要約欄に理由をコメントしない
  • “『佛説無量寿経』の「唯除五逆誹謗正法」の文言を親鸞は意図的に削除した。”というような記述を、同一人物と思われる可変IPユーザーが繰り返しおこなっている
    • 上記の記述が誤りであることを検証できる文献
    • 浄土真宗が用いる聖典に「唯除五逆誹謗正法」の文言が確認できる文献
      • 『浄土真宗聖典(原典版)』P-22、「設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法」。
      • 『浄土真宗聖典(註釈版)第二版』P-18、「(18) たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。」
      • 『真宗聖典』P-18、(漢文)「設我得佛、十方衆生、至心信樂、欲生我國、乃至十念。若不生者、不取正覺。唯除五逆 誹謗正法。」
      • 同P-18、(延書)「十八 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」
    • 親鸞の主著『教行信証』に「唯除五逆誹謗正法」の文言が確認できる文献
      • 『浄土真宗聖典(原典版)』P-264、「至心信楽本願文大経言 設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法」。
      • 『浄土真宗聖典(註釈版)第二版』P-212、「至心信楽の本願(第十八願)の文、『大経』(上)にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽してわが国に生れんと欲ひて、乃至十念せん。もし生れざれば、正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法を除く」と。」
      • 『真宗聖典』P-212、「至心信楽の本願の文、『大経』に言わく、設い我仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれざれば正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法とを除く、と。」
      • 『教行信証』では、少なくともその他に6ヶ所「唯除五逆誹謗正法」の文言が確認できる。
    • 上記に示したように、『浄土三経往生文類』『如来二種回向文』『尊号真像銘文』にも、「唯除五逆誹謗正法」の文言は確認できる。
116.81.238.137及び211.2.11.119の投稿について」および上記の理由を踏まえ、Wikipedia:保護依頼を提出しました。

これらの意見に反対意見がございましたら、以下にお願いします。--Resto1578 2008年10月8日 (水) 07:26 (UTC)[返信]

削除について[編集]

出典はあれども、独自見解に近いように思われますし、どう考えても、このページは「慣用句」について掲載すべきであって、浄土真宗と他宗の教義の差を載せるのは不適当です。 もしも内容がもったいない、消えるのはけしからんと思われる方がいらっしゃいましたら、浄土真宗に移動させるようにしてください。--Kiki379会話2012年12月20日 (木) 07:30 (UTC)[返信]