ノート:金沢園

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料亭金沢園が廃業した一番の理由は、この40年来、岡山からの長年の失踪者を匿っていたことが表面化して、それを県警が把握したことにあります。

神奈川県警が知っているということは、神奈川県全体が知っていると言ってもいいです。(金沢園に県警は入ったはずです。そのように県警からは聴いています)

料亭金沢園の元オーナー(元女将)の妹さんのご主人の実のお兄さんが岡山からの40年来の失踪者です。岡山家裁で失踪宣告も確定しています。戸籍上は「死亡」扱いになってはいますが、この金沢園が今日まで大方面倒を看ています。

また、横浜の調理師専門学校との意外な関係性も指摘されていて、まずこれを守るために料亭金沢園は「お店を閉め看板を下ろす」という形で責任を取らざるを得なくなりました。

これは、横浜の難波学園の幹部が県警に対して過去に「金沢園とは一切関わりがない」と明言していることへのケジメです。ところが横浜の難波家と金沢園との繋がりを証言する人間が現れています。

2015年4月前後に、この月の初めに難波学園の元理事長の女性が亡くなって、時を同じくこの学園の学生さんが被害者になる横浜・鶴見川の少年事件が発生し、またすぐに同じような内容のあの多摩川の少年事件も連続しました。直接的には関係はないのですがタイミングが悪すぎて金沢園に対する県警からの目が一層厳しくなりました。そうするとすぐに料亭金沢園は「閉店」をしたと、県警の刑事はそう捉えていました。

以前のメインページにありましたように、元女将(オーナー)がゲストハウスと居酒屋の運営先に「金沢園」という名前を使わせなかったというのは、少なくとも当時はしばらく「金沢園」という名前を使うことが許されない状況にあり、且つ「金沢園」という名前が失墜しているということから「使わない方がいい」というオーナーの配慮でした。

その新しい運営先も「金沢園」での新展開の運営を断念せざるを得ない状況になりました。(もちろんコロナも影響しているとは思いますが、最初から最後までオーナー側と運営先の関係が良好ではありませんでした)

ゲストハウスと居酒屋をスタートさせるにあたってクラウドファンディングという形で資金を募り改修費用の一部に充てておきながら、いざ閉店するにあたって一切の説明、告知をせずいつの間にか何もかも閉鎖、リンク切れです。100年の歴史を誇る金沢園はこの間に2度潰れました。それでこのコロナの渦中にオーナーの娘さんがすぐにタルトのカフェをオープンさせました。

ただ、金沢園はもう何も収益を生み出しません。有名な観光地でもありません。でも国の重要文化財としての維持管理にかかる費用は大変なものです。常にどこかしら改修、修繕をしていかないと建築物そのものがもたないです。ちょっといじるだけでもすぐに数百万、数千万円の費用がかかります。そういう中でオーナー(元女将)は、まず横浜市に話を持って行って、横浜市の方で金沢園を運営管理してもらえないかと要請しました。しかし税金を投入することに横浜市が難色を示してこの話は拒否されました。それで横浜市も協力して新たな運営先、協力先を探して見つかったのが例のゲストハウスと居酒屋の喜多さんでした。

オーナーは金沢園の売却を本当に検討しています。どうやってもこのまま将来、相続税などの支払いでそこで手放すことになります。だったらこのタイミングで売却しようと考えておられますし、そもそもこの金沢園の建築物をこのまま個人で維持管理、保存していくのは不可能です。この点に関しては、本当にご苦労されていますし、文化財を維持していくというのは大変なことです。現在は建築物が倒れないようにいたる所に突っ張り棒で支えて持ちこたえている状況です。--Sibamachi会話2021年8月7日 (土) 05:38 (UTC)[返信]