ノート:野崎歓

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  • 「執筆活動」の箇所が全体に大言壮語的、礼讃的に過ぎるので適宜編集しました。谷崎潤一郎文献書誌に載ったのは専門家の高い評価を受けた証拠にはなりません。書誌って何だか分かって書いているのか? 

赤と黒誤訳論争の削除[編集]

赤と黒の項目と同様、この記述は長期間にわたって掲載されているようですが、果たして妥当でしょうか? ウィキペディアはニュースの保管庫ではない訳ですから、報道の梗概を掲載しておくことは全く重要ではないと思われます。仮にこれ以後、議論が広がって、各書籍において取り上げられた、というのであれば、載せてもかまわないでしょうが、ネットにおける反応がほとんどのこの記事を掲載する必要は全くないでしょう。--カシス会話2012年5月6日 (日) 04:23 (UTC)::[返信]

学会誌に論文の体で発表された批判が瑣末なものとは言えません。内容も別にニュース的ではありません。有意な情報を除去しないでください。--頭痛会話2012年5月6日 (日) 04:30 (UTC)[返信]
しかし、学会誌で取り上げられた野崎さんに関する発言を全部取り上げていったら鈴生りになりますよ。それなりに著書を出して、知名度がある方であれば話も変わるかもしれませんけれど、下川さんの知名度が野崎さんに釣り合うとは公平に言っても考えられません。下川さんの名前もこのスタンダールの誤訳騒動で初めて知ったという人が多いでしょうし、その理屈で言えば、全てのマイナーな教授が学会誌で行なった野崎さんに関する発言は全て拾い上げて、掲載しなければならないということになります。それはウィキペディアの役目ではないでしょう。下川さんの記事を別個に設けて、そこに掲載するならば話は分かりますが。それならどうしてこの件が載ったのかといえば、ニュース的な裏付けがあったから、と見る以外にない、しかし、ウィキペディアはニュースサイトではないのですから……となるわけです。--カシス会話2012年5月6日 (日) 06:44 (UTC)[返信]
学会誌に発表された野崎氏に関する発言のすべてに二次情報源が存在するわけではありませんから無意味な想定です。ニュースサイト、専門家のブログはいずれも情報源として適切な範囲です。情報源がニュースであることは内容がニュース的であることとは直結しません。現在の記述内容は別にニュース的ではありません。--頭痛会話2012年5月6日 (日) 21:25 (UTC)[返信]
二次情報源が存在する学会に掲載された野崎さんに関する発言をウィキペディアに載せられるべきである、と私は一度も言っておりませんよ。ただ言いたいことは誤訳騒動に関する記事は頭痛さんの言うように「有意な情報」ではなく、載せることによってゴシップ的情報になってしまう可能性があるということです。専門家のブログとおっしゃいますが、そのほとんどは仏文学者(つまり専門家)というよりもコメンテイター的な発言に終始しているように私は思われます。つまり普通のブロガーと近い見方を持っているわけで、その点においては、専門家というより、時事ネタにコメントをつけただけ、と見たほうがいいでしょう。例えばこれが複数の仏文学者がブログや出版媒体で言及しているのであれば、まだ少なくとも記事の形にできる可能性はないわけではないと思うのですが……。でも正直言って、このままの意見交換では堂々巡りです。頭痛さんは有意な情報といい、私は無意な情報という。第三者の意見を持ってくることにしなければ、どちらかが引き下がる可能性は期待できない。ですから頭痛さんが該当記事を消すという合意に至らないのでしたら、他の方に対しても見解を広く求めることにいたしましょう。宜しいでしょうか?--カシス会話2012年5月9日 (水) 15:01 (UTC)[返信]
下川の知名度が野崎の知名度と釣り合わないだとか「普通のブロガーに近い意見」だとか、あなたの意見には何一つ根拠がなく説得的なものを感じません。意見を集めても無駄です。--頭痛会話2012年5月9日 (水) 23:58 (UTC)[返信]
「彼らがフランス文学を専攻する学者ではなく、また『赤と黒』の誤訳に深く立ち入った批評をしているのではないから」こういう類の根拠を提示すれば、納得いただけるでしょうか。また、なぜ誤訳論争を野崎歓の項目に載せなければならないのか、話が解せません。『赤と黒』の項目にのみ載せるのなら話はまだ分かります。それも現状の記事内容を載せることは不適切であると思われますが。第一、野崎歓という人は『赤と黒』の訳者であっても、その項目に『赤と黒』の翻訳に加えられた批評を掲載する意味を私は十全に見出しかねるのです。
例えば頭痛さんは、藤井一行、中島章利などといった人のトロツキーの『レーニン』に関する批評から分枝した、『赤と黒』誤訳騒動への言及を記載されましたが、これなどは野崎さんの記事に載せておくにはあまりに不適切かつ、不必要な情報ではないでしょうか。頭痛さんは野崎誤訳騒動に言及した、ネットにあるどんな小さなHPの情報でも記載するべきであると考えていらっしゃるのですか?--カシス会話2012年5月12日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
どこが「誤訳に深く立ち入っていない」のかまったくわかりません。翻訳の問題を指摘するのにフランス文学の専門家である必要はありません。スタンダールの文学的評価などが問題となっているのではありませんから。それ以前に内田樹は専門はフランス現代思想ですがカミュに関する学術論文をいくつか書いているのですが。なぜ専門家のいくつかの見解をまとめることが「どんな小さなHPの情報でも記載するべきである」という結論につながるのでしょうか。問題の立て方が恣意的すぎて話になりません。--頭痛会話2012年5月12日 (土) 18:47 (UTC)[返信]

コメント コメント依頼から来ました。野崎氏がフランス文学者であり、その専門分野における仕事で複数の学者から(論文の形も含め)批評を受け、新聞でも取り上げられた以上、氏の項目に掲載するのは全く問題ないと思います。むしろ、『赤と黒』の項目に日本における誤訳騒動を詳細に載せるのは、JPOVによって好ましくなく、野崎氏の記事に誘導する現在の形がふさわしいと思います。--草刈り機会話2012年5月13日 (日) 01:07 (UTC)[返信]

コメント 同じくコメント依頼からきました。競合したので下につけます。さて意見を述べます。3行くらいで簡潔に記述することは必要です。全除去は好ましくありません。一方光文社古典新訳文庫の編集姿勢全般についての記述は、この問題の背景がわかるという点でこの節の読者に親切ではありますが、野崎歓記事の記述としては脇道にそれ過ぎです。--КОЛЯ 会話 2012年5月13日 (日) 01:16 (UTC)[返信]
草刈り機さん、КОЛЯさんありがとうございました。二人のご意見を重ね合わせますと、まず赤と黒の項目から野崎さんの誤訳の件を削除する。その後、野崎歓の項目には誤訳記事を残すが、三行程度の簡潔なものにする。私はこの意見で合意しても宜しいですが、どなたか反論はないでしょうか?--カシス会話2012年5月17日 (木) 12:38 (UTC)[返信]
(反対)自分の意見に都合のいいところだけ抜き出さないでください。--頭痛会話2012年5月18日 (金) 09:04 (UTC)[返信]
それでは頭痛さんから代替案を提示していただけるのでしょうか。もちろん、納得できないものであれば反論はさせてもらいますがね。--カシス会話2012年5月18日 (金) 14:06 (UTC)[返信]
代替案を出さなければならないのはあなたです。記述の削除を主張しているのは私ではありません。あなたの示している削除理由が理解できない点はすでに述べています。КОЛЯさんの言われているバランスに関しては意見がありますが、あなたに対してそれを提示する必要を感じません。--頭痛会話2012年5月18日 (金) 14:51 (UTC)[返信]
私の代替案は既に述べているものです。赤と黒から野崎記事を削除し、野崎には非常に簡潔なかたちで、誤訳騒動を残す。これが私の提示する代替案であって、それ以上のものはないのです。--カシス会話2012年5月19日 (土) 13:56 (UTC)[返信]
私は記述の除去に同意しない旨とその理由を既に伝えています。他に言うことがないのであれば議論の余地はありません。--頭痛会話2012年5月19日 (土) 17:09 (UTC)[返信]

書誌情報[編集]

情報提供ありがとうございます。せっかくなので時間があるときに加筆修正を試みます。--頭痛会話2012年5月10日 (木) 00:36 (UTC)[返信]
同じく情報提供ありがとうございました。これも参照させていただきたいと思います。--カシス会話2012年5月12日 (土) 14:40 (UTC)[返信]