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ノート:豊後電気鉄道

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メモ[編集]

基本的に大分交通の社史『大分交通40年のあゆみ』(1985年)に依拠してるのですが、資料のクロスチェックにより同書記載の内容と異なるものも多数採用したのでその理由をメモしておきます。

  • 豊後電気鉄道初代社長の佐々木長治が、長野善五郎に社長を譲って非常勤となったとあるが、『株式年鑑』や『九州地方電気事業史』の通り副社長が正しい様子。副社長が非常勤とは思えず。
  • 沈堕発電所の完成と大分での供給開始が1910年4月となっているが、逓信省の『電気事業要覧』では1909年末には開業している(NDLJP:805422/52)とあるので、『九州地方電気事業史』の1909年4月が正しい。
  • 豊後電気鉄道・九州水力電気の合併日付は、何をして合併と見なすかの判断が難しいが、『九州水力電気株式会社二十年沿革史』の年表(渋沢社史データベースで閲覧可)によると1915年12月25日に株主総会で合併を議決(合併仮契約承認を指すと思われる)、1916年3月2日に逓信省より合併認可、3月28日に合併報告総会、31日合併登記、4月1日合併終了届提出とある。通常、この場合は報告総会か登記(西鉄風)の日付を採用すべきと考えるが、大分交通では会社発足を大分交通合併報告総会の日付(1945年4月20日)にしているので前者を採用してみた。
  • 上記合併は「事業譲渡」のような記述も混ざっているが合併で正しい。
  • 別府大分電鉄(現・大分交通)の設立は『九州水力電気株式会社二十年沿革史』では1947年4月9日になっているが、会社録をめくると6月なので、これは社史の1927年6月24日設立というのが正しい様子。

--継之助会話2017年11月23日 (木) 04:49 (UTC)[返信]