ノート:角行 (富士講)

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編集が進んでしまっているので、ここに指摘します。

①角行の表記はいくつかあって、「書行」とも「畫行」とも「画行」とも書く場合があります。またその下に「藤仏」や「東覚」と名前が付く場合もあります。「カクギョウ」の表記については彼の自筆の段階で複数あると指摘されています(岩科小一郎『富士講の歴史』p.55)。下の名前については、「東覚」は仏の字を避けたい教派神道で主に用いられます。また、「長谷川左近藤原邦武」という呼び方を角行の伝記類で見たことは一度もありません。俗名を説くときは「長谷川左近武邦」(「邦武」ではなく「武邦」)と書かれることが多いようです。藤原姓は藤原鎌足の子孫という伝があるからそのように言われるだけ。

②角行の伝記について、「多くの伝記写本を探した結果元文年間より上に遡り得るものは無い」と伊藤堅吉は「大行の巻」(『あしなか』95輯)で言っています。また角行から四代目にあたる月旺は天和三年にキリシタンの嫌疑をかけられた時、奉行所の審問に対して「角行については昔の人のことなので全く知らない」と言っています(このやりとりは『公事の巻』にある)。つまり、今ここにある角行伝も含めて、およそ流通している角行の伝記は、彼を全く知らない後世の人によって作られたものだということです。それだけに伝記の内容には筆者の立場や時代によって振れがあります。また「初め修験道の行者であった」とありますが、お告げをしに役行者が出てきたことはあっても修験道の行者だったと明記する伝記は見たことがありません。

③「角行は富士信仰の開祖として崇敬され」ということですが、その表現は不正確です。なぜなら古代・中世より神道的あるいは修験道的な富士信仰が存在し、角行はある特殊な富士信仰を行う一派の祖というだけに過ぎません。 以上の署名の無いコメントは、IP:121.92.98.30 (会話/whois)氏が2006年10月25日 (水) 09:21に投稿したものです|(takrankeによる付記)}}