ノート:親鸞/過去ログ5

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導入部の生没年月日について

済み本文の詳細解説であるため、このセクションを過去ログ化しないでください。2016年4月18日 (月) 00:17 (UTC)

編集上の注意

Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部」に準じて表記すると、「親鸞(しんらん、承安3年4月1日〈1173年5月14日〉 - 弘長2年11月28日〈1263年1月9日〉)は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。」となります。

しかし、「弘長2年」を和暦に基づいて1262年と表記する場合と、西暦に換算した1263年と表記する場合があります。例を挙げると、東本願寺公式サイト「真宗大谷派(東本願寺)沿革」では「親鸞聖人(1173~1262)」と表記され、西本願寺公式サイト「本願寺の歴代宗主」では「親鸞聖人(しんらんしょうにん)【1173~1263】 」と表記されています。

また本願寺派・高田派では、親鸞の生没年月日を明治5年11月の日本における改暦に合わせて、日付をグレゴリオ暦に換算し、生誕日を5月21日に、入滅日を1月16日に改めています[1][2]

中立的な観点」の方針に沿わせるために、導入部に西暦の生没年月日を表記せずに「生没年月日の西暦表記については注意を要するため、生年月日については「誕生」の節を、没年月日については「入滅」の節を参照のこと。」と脚注(注釈)を付すことで対処しました。--Resto1578会話) 2015年2月5日 (木) 03:19 (UTC) ・(修正)--Resto1578会話) 2016年4月18日 (月) 00:19 (UTC) ・(修正)--Resto1578会話2016年4月18日 (月) 02:39 (UTC)

教えのセクションについて(2016年5月)

ページ「親鸞」における教えについて

本願寺派と大谷派の二派のみを挙げて「真宗十派における教義」とするのは無理があるのでは?

  • 伝統宗派としての真宗十派というカテゴリを設けて、新宗教と区別するためです。つまり「真宗十派」に数えられるものの内、ページに教義内容を記述したものです。なんら問題はないと思います。
  • Resto1578さんの編集はこちらの不適切な編集による「完全な差し戻し」ではなく、私の執筆内容に沿って既存の記述を修正されたものですね。ノートを読みましたが、なぜ私の編集だと問題が生じるのか理解できませんでした。宗派や宗教団体によりとするならどれが伝統宗派であり、どれがいわゆる新宗教団体とされるのかの区別がある方が客観的だと思います。(というか、その区別をなくそうとするResto1578さんの意図が分かりません)
  • 私の意図を要約すると伝統宗派と新宗教団体の区別ははっきりさせておくことが中立性の観点からも相応しいので、そうすべきだということ一点です。

実りある会話になりますように--Ryo 625会話2016年5月17日 (火) 08:40 (UTC)

コメント
こんにちは、Ryo 625さん。よろしくお願いいたします。
「真宗十派における教義」とするのであれば、「真宗高田派」・「真宗佛光寺派」・「真宗興正派」・「真宗木辺派」・「真宗出雲路派」・「真宗誠照寺派」・「真宗三門徒派」・「真宗山元派」の教義の差異についての説明が必要と考えます。本願寺派と大谷派へのリンクのみで「真宗十派における教義」とするは、中立的な観点の方針に沿っているとはいえず問題がある表現だと考えます。
また、真宗教団連合に加盟している10派以外にも、大谷派から独立した「真宗浄興寺派」や「浄土真宗東本願寺派」などがあります。ウィキペディアの「新宗教」を読む限り、これらの宗派も分類上では新宗教に当てはまるのではないでしょうか?(詳しくないので厳密にはわかりません。)だとすると、少なくともこの2派と大谷派との差異なども記さない限り「新宗教」という分類を作成することに無理を感じます。
「親鸞会」については、教義について本願寺派や大谷派と相いれない部分が多くあることは存じております。だからといって、「真宗十派における教義に関して - 浄土真宗本願寺派/真宗大谷派」、「新宗教団体における教義に関して - 浄土真宗親鸞会」と分類するのは、やはり無理があると考えます。浄土真宗系新宗教=親鸞会と誤解しかねません。
あえて私が分類をするのであれば、「元亨元年(1321年)に成立した本願寺を起源とする宗派 - 浄土真宗本願寺派/真宗大谷派」/「明治以降に発足した宗派・宗教団体 - 浄土真宗親鸞会(昭和33年〈1958年〉に発足)」のように成立時期によるものでしょうか。(あまり良い分類とは自分でも思いませんが。)
「ノート:親鸞/過去ログ2」については、非常に長い議論の末に、「教義に関しては、各派により解釈などが異なるため下記のリンク先を参照の事。」という記述に落ち着いたことについての説明です。
私の意見の要約としては、浄土真宗本願寺派の教義と真宗大谷派の教義が浄土真宗の伝統宗教を表しているとは言えない。各派の教義の記述へのリンクでしかない。新宗教という分類に「浄土真宗親鸞会」のみを入れて「新宗教団体における教義」とすることは問題があるということです。
以上、私見を述べさせていただきました。--Resto1578会話2016年5月17日 (火) 14:27 (UTC)
コメント
Resto1578さん、こんにちわ
教義の差異についての説明が必要なのはそうですが、各派のページに教義が詳しく記述されているわけではないので、それぞれの下に「以上の内、ページ内に自派の教義を説明しているもの」とするのはどうでしょうか?
この案は現在の記述の不適切な点を改善するものとなると考えます。すなわち、宗派や宗教団体に「本願寺派」と「大谷派」と「親鸞会」しか挙げられていない点です。
「真宗浄興寺派」や「浄土真宗東本願寺派」については真宗十派より独立した寺院からなる宗派とすると、新宗教および真宗十派との両方から区別することができると思います。(現在、「真宗浄興寺派」、「浄土真宗東本願寺派」のページに教義が詳述されていないのでこのカテゴリは空欄ということにするなどの対処が必要ですが)
「新宗教」を読む限り、これらの宗派も分類上では新宗教に当てはまるのではないでしょうか?
  • Wikipdiaの記述が出典とならないのを承知の上で参考にすると、「既成の宗教組織を引き継いでいないもの、新たな教義を掲げて伝統宗教から自立したものを新宗教と呼ぶ。」というのがポイントになるのではないでしょうか。この点で、既存の寺院の独立である日蓮正宗は新宗教ではなく、逆に新宗教の派生元として扱われています。また、「真宗浄興寺派」や「浄土真宗東本願寺派」が一般に新宗教として扱われない説明にもなるのではないでしょうか。
浄土真宗系新宗教=親鸞会
  • これはないと思います。たとえば日蓮正宗系新宗教に顕正会しか挙げられていなくても、誰も「日蓮正宗系新宗教=顕正会」とは考えないでしょう。
この説明が可能ならば(繰り返しになりますが)逆に宗派や宗教団体とは「本願寺派」と「大谷派」と「親鸞会」に他ならず、その他は存在しないと誤解されうる、という懸念が出てきます。なので、上述したように真宗十派十派より独立した寺院よりなる宗派新宗教団体にわけて以上の内、ページ内に自派の教義を説明しているものと明記するのが中立的ではないでしょうか。
「ノート:親鸞/過去ログ2」については、非常に長い議論の末に、「教義に関しては、各派により解釈などが異なるため下記のリンク先を参照の事。」という記述に落ち着いたことについての説明です。
ありがとうございます。
  • まとめに入ります。私も浄土真宗本願寺派の教義と真宗大谷派の教義が浄土真宗の伝統宗教を表しているとは言えない。に賛成します。しかし、それを記述の詳細化ではなく、ある意味、曖昧なままにし、雑多に列挙したままなんの説明もないのでは、(宗派や宗教団体を「本願寺派」と「大谷派」と「親鸞会」が代表するという)誤解を生み、中立的ではないのではないかと考えます。新宗教という分類に「浄土真宗親鸞会」のみを入れて「新宗教団体における教義」とすることは問題がある。これも伝統宗派と同じ論点だと理解しています。本願寺派と大谷派のみが伝統宗派でないように、親鸞会だけが新宗教ではありません。そして、これらの問題は、現在の記述をそのまま踏襲するよりも、より詳しい説明を加えることで解決されると考えます。--Ryo 625会話2016年5月20日 (金) 09:56 (UTC)

コメント(インデント戻す)

変更前の記述
教義に関しては、各派により解釈などが異なるため下記のリンク先を参照の事。
; 真宗各派における教義に関して
:* 浄土真宗本願寺派
:* 真宗大谷派
:* 浄土真宗親鸞会
Ryo 625さんによる変更(2016年5月16日 (月) 22:29 (UTC))
教義に関しては、各派により解釈などが異なるため下記のリンク先を参照の事。

真宗十派における教義に関して
:* 浄土真宗本願寺派
:* 真宗大谷派

新宗教団体における教義に関して
:* 浄土真宗親鸞会
Resto1578による再変更(2016年5月16日 (月) 23:05‎ (UTC))
;教義に関しては、宗派や宗教団体により解釈などが異なるため下記のリンク先を参照の事。
:* 浄土真宗本願寺派における教義に関して
:* 真宗大谷派における教義に関して
:* 浄土真宗親鸞会における教義に関して

合意形成に至るために、具体的な変更案を提示していただけると助かります。

私としては、「親鸞」の記事の「教え」の節が特定の宗門や宗教団体に偏向せずに、WP:NPOVの方針に沿った記述に変更されることを望みます。--Resto1578会話2016年5月24日 (火) 15:50 (UTC)

コメント
Ryo 625による記述提案例
教義に関しては、宗派や宗教団体により解釈などが異なるため下記のリンク先を参照の事。
== 真宗十派 ==
以上の内、ページ内に自派の教義を説明しているもの
* 浄土真宗本願寺派における教義に関して
* 真宗大谷派における教義に関して
== 真宗十派より派生した宗派 ==
以上の内、ページ内に自派の教義を説明しているもの
(節スタブ|date=201X年X月)
== 新宗教団体 ==
以上の内、ページ内に自派の教義を説明しているもの
* 浄土真宗親鸞会における教義に関して
以上が提案例になります。この記述提案で特定の宗門や宗教団体に偏向したものになっている場合、具体的に指摘していただけると助かります--Ryo 625会話2016年5月26日 (木) 10:50 (UTC)
コメント
真宗十派という区分の必要性について疑問を持ちます。
新宗教を時期的に定義するのであれば、「幕末維新期以降に興った宗教」(『大辞林』第三版)です。
よって「新宗教団体」に対して、「伝統宗派、もしくは伝統宗派に源流をもつ宗派」と定義し、脚注で補足説明するのはどうでしょうか?
なお、セクションを追加することについては反対します。
Resto1578による記述案
教義に関しては、宗派や宗教団体により解釈などが異なるため下記のリンク先を参照の事。
;伝統宗派[a 1]、もしくは伝統宗派に源流をもつ宗派[a 2]
以上の内、ページ内に自派の教義を説明しているもの
* 浄土真宗本願寺派における教義に関して
* 真宗大谷派における教義に関して
;新宗教団体[a 3]
以上の内、ページ内に自派の教義を説明しているもの
* 浄土真宗親鸞会における教義に関して

脚注(Resto1578による記述案)

  1. ^ ここでいう「伝統宗派」とは、幕末維新期以前に成立していた宗派のこと。
  2. ^ ここでいう「伝統宗派に源流をもつ宗派」とは、真宗浄興寺派や浄土真宗東本願寺派などのこと。
  3. ^ ここでいう「新宗教団体」とは、幕末維新期以降に興った宗教団体のこと。
上記の案に対して明確に反対されるのであれば、2016年5月26日 (木) 10:50 (UTC)の「Ryo 625による記述提案例」(敬称略)を支持し、合意形成いたします。--Resto1578会話) 2016年5月28日 (土) 21:40 (UTC)・(修正)--Resto1578会話2016年5月28日 (土) 21:55 (UTC)
コメント分類及び脚注での補足について同意します。セクションについては拘りはないので追加しない方向で良いと思います。Resto1578さんのこの記述案に賛成します。--Ryo 625会話2016年5月29日 (日) 12:59 (UTC)
済み一週間以上、異論がなかったのでResto1578さんによる記述案を反映させました。ありがとうございました--Ryo 625会話2016年6月18日 (土) 20:44 (UTC)

玉日姫の「姫」表記について

Resto1578さんが繰り返し「玉日姫」表記における「」を敬称であるとして「玉日」に書き換えていますが、この理屈が正しいなら、「千姫」も「」でしょうか?--Ryo 625会話2016年11月2日 (水) 17:54 (UTC)

出典に基づいてください。--Resto1578会話2016年11月2日 (水) 17:56 (UTC)
回答になっていません。松尾剛次氏による二次資料では「玉日姫」と記載されています。--Ryo 625会話2016年11月2日 (水) 18:10 (UTC)
ウィキペディアでは、基本的に敬称を付さないのがルールです。「玉日」とする文献が一次資料、二次資料にて確認できます。「玉日姫」という二次資料があるから何が問題なのですか?
「親鸞」と記述する二次資料もあれば、「親鸞聖人」とする二次資料もあります。ウィキペディアのルール上、文中では「親鸞」です。(引用文は除く。)——以上の署名の無いコメントは、Resto1578ノート履歴)さんが 2016年11月2日 (水) 18:28‎ に投稿したものです(Resto1578会話)による付記)。
親鸞は現存する宗教団体による信仰対象なのだから二次資料に「親鸞聖人」とつくのは当然ありうる話でしょう。問題は、なぜ「千姫」のような記事名が許される一方で、このような扱いが生じるのかですね--Ryo 625会話2016年11月3日 (木) 07:54 (UTC)
コメント 追記。「尼」については私の不勉強によるものでした。訂正いたします--Ryo 625会話2016年11月3日 (木) 08:15 (UTC)
コメント 「千姫」を「お千」や「千」とする記述をネット上では見つけられませんでした。身分の高い女性や大名、公家などの娘につける「姫」で、「千姫」はそれ自体が個人を表す名ということであっているはずです。すぐに明示できる出典を持ち合わせていません。また、門外漢のためここまででご容赦を願います。
「玉日」については、(名前)「玉日」に(敬称)「姫」を付しています。情報源により「玉日」/「玉日姫」となるのはそのためです。
「出典に基づいてください。」というのは、すこし乱暴な物言いでした。お詫び申し上げます。--Resto1578会話2016年11月3日 (木) 08:52 (UTC)
「千姫」表記が認められるならば、「玉日姫」表記もそのようであるはずですね。『知られざる親鸞』(松尾剛次氏)による扱い(「親鸞」表記と「玉日姫」表記の同居)はまさに同様のものでしょう。--Ryo 625会話2016年11月5日 (土) 15:11 (UTC)
報告
  • 出典1. 『正明伝』
(略)綽空を五條西洞院の御所に移し、御娘玉日姫に配家したまふ。玉日は今年十八歳なり。 — 佐々木月樵 編『親鸞伝叢書』p.39、「常樂臺釋存覺述『親鸞聖人正明傳』巻二上」
  • 出典2. 『親鸞聖人御因縁』
その夜、やがて月輪の入道前關白太政大臣兼實公の御息女、玉日の御方とまうして、今年十八にならせたまひける御料人にあはせたてまつらせたまへり。 — 佐々木月樵 編『親鸞伝叢書』p.79、「常樂臺釋存覺述『親鸞聖人御因縁秘傳集』末」
  • 出典3. 『正統伝』
遂に、殿下第七の姫、其名は玉日と申に配嫁したまふ。時に玉日十八歳、是即如意輪觀自在、かねて變現の賢婦也。 — 佐々木月樵 編『親鸞伝叢書』p.167、「五天良空述『高田開山親鸞聖人正統伝』巻之三」
上記のように『正明伝』も『親鸞聖人御因縁』、『正統伝』も「玉日」の名で記されている。『正明伝』には、「玉日姫」とあるが、直後に「玉日は今年十八歳なり。」と記されているため、「姫」は敬称です。
以上、一次資料集である『親鸞伝叢書』に収録されている書籍を検証可能な情報源として明示いたします。これ以上の差し戻しはお控え頂きたく存じます。--Resto1578会話2016年11月5日 (土) 20:37 (UTC)
コメント 一次資料というより二次資料の問題だと思うのですが、CiNiiにて検索したところ「玉日」表記の論文が多数見られ、「玉日姫」表記は松尾氏のものしか見当たらなかったので、今回の件は私の独り相撲だったようです。お手数をお掛けしましたことお詫びいたします。--Ryo 625会話2016年11月6日 (日) 06:59 (UTC)

情報 人名の一般性を判断するにあたっての基本文献として、日本最大規模の人名辞典である『日本人名大辞典』(講談社)では、親鸞の妻は「玉日」、秀忠の長女は「千姫」の表記になります。--Saigen Jiro会話2016年11月6日 (日) 01:44 (UTC)

>{{要出典範囲|「七箇条制誡」の署名は、公式文書であるため基本的に実名か僧名が記される。房号とおぼしきものは住蓮房のみ。|

二尊院「七箇条制誡」写真版を調査すると、署名は、基本的に実名僧名が記される。房号とおぼしきものは住蓮房のみ。これは公式文書であることの証明となる。——以上の署名の無いコメントは、大塚芳明ノート履歴)さんが 2016年11月4日 (金) 23:32‎ (UTC) に投稿したものです(Resto1578会話)による付記)。

返信
今一度、ご自身の会話ページをお読みください。
特に、「Wikipedia:検証可能性」・「Wikipedia:信頼できる情報源」・「Wikipedia:独自研究は載せない」について理解してください。
また、ノートページにコメントを書き込む際は、署名をしてください。--Resto1578会話2016年11月4日 (金) 23:58 (UTC)

「七箇条制誡」の要出典について

『絵伝にみる法然上人の生涯』の「七箇条制誡」の署名のなかで、官僧・沙門・私度僧etcが存在する。と同時に親鸞は「遁世僧」なく「官僧」であったことの証明となる。大塚芳明 --以上の署名の無いコメントは、大塚芳明会話投稿記録)さんが 2016年11月5日 (土) 07:39 (UTC) に投稿したものです。

系図について

系図の出発点が藤原鎌足であることには何か意味があるのでしょうか。
藤原有信(日野有信、日野家嫡流との分岐点にあたる人物)からの系図があれば十分かと思いますがいかがでしょうか。
--Nao Costas会話2020年8月8日 (土) 14:33 (UTC)

賛成 同感です。現状は冗長すぎると思います。藤原有信まで遡ればそれ以前の系図も辿ることが可能なので、そこからで十分と思います。--Snap55会話2020年8月9日 (日) 00:15 (UTC)
系図部分の編集が(familytreeの説明を見ても)自分ではうまくできないので自力作業は断念しました。どなたか系図編集できる方、お願いします。ちなみに大谷家の記事にある系図でも同じ編集作業が必要ではないかなと思っています。--Nao Costas会話2020年8月20日 (木) 12:36 (UTC)
藤原有信より前を削除しました。名前の中心からずれる縦罫線が発生するのがもどかしいのですが、もしここをうまく整形できる方がいらっしゃいましたらお願いいたします。--Nao Costas会話2020年10月6日 (火) 04:23 (UTC)