ノート:血の日曜日事件 (1905年)

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ヴィクトリア朝に血の日曜日事件なる部分あり。Sigh 2005年11月11日 (金) 03:18 (UTC)[返信]

他にも複数の血の日曜日事件が存在するので、この記事血の日曜日事件はあいまい回避にして、現在の記事内容を血の日曜日事件 (1905年)に移動させるのが適当だと思います。一週間待って異論がなければ移動を行います。Iderukuti 2005年11月27日 (日) 14:23 (UTC)[返信]
移動しました。Iderukuti 2005年12月4日 (日) 14:21 (UTC)[返信]

ガポン神父の最期(項目間で記事が矛盾している)[編集]

ガポン神父の最期について、「本項目では社会革命党に暗殺された」と書かれているが、ゲオルギー・ガポンにおいては、その社会革命党と通じて扇動罪で処刑されたと書かれています。どちらが正しいのですか?--水野白楓 2006年2月11日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

ゲオルギー・ガポンの翻訳を行った者です。確認して見たのですが、翻訳元[1]のenでは"エスエルの下した判決にしたがって党員により絞首刑に処された。"とあります。翻訳ミスというか、思い込み?で書いてでっち上げてしまったようです。大変申し訳ありませんでした。訂正は他の文献を当たって確認した後に行いたいと思います。 - Iderukuti 2006年2月12日 (日) 00:28 (UTC)[返信]

「正確性」タグ[編集]

本文に「正確性」タグが貼ってありますが、貼った理由が分かりません。貼った人に説明を求めます。--Bletilla 2007年1月22日 (月) 01:00 (UTC)[返信]

なんらの疑問及び議論は提示されていなかったので、「正確性」タグを削除いたしました。punipico 2007年3月7日 (水) 06:35 (UTC)[返信]