ノート:若宮正則

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死因[編集]

本文には「センデロ・ルミノソ」に射殺され、落命とありますが、『釜ケ崎赤軍兵士若宮正則物語』221ページには「家の外に若宮は仰向けに倒れ、胸の中央と左側をナイフで刺されて死んでいた。(中略)銃が使われた痕跡はなかった」とあります。--221.89.215.128 2012年12月6日 (木) 03:00 (UTC)[返信]

—ご指摘をありがとうございました。当該資料の該当ページを確認しました所、確かにそのような記述となっておりました。信頼に足りる記述だと思います。後日改訂を考えておりますが、死因を「射殺」と記載した方の典拠などを表明する機会がある方がフェアーだと思われますので、2週間ほど猶予期間を取ることが望ましいかと考えておりますが、如何でしょうか。※期間は便宜上とりあえず設定したものです。ノートで合意形成に加わったことがありませんので、一般的な期間や合意形成のあり方から隔たったものであり、又失礼に当たりましたらお赦し下さい。 無論、そちら様が編集に参加し、ご自身で改訂していただいても結構でございます。 取りいそいでのお礼、お知らせまでにて--Impotent Osakan会話2012年12月7日 (金) 02:58 (UTC)[返信]

—死因を資料に基づいて訂正し、同日に命を落とされた現地の方々について記載致しました。今後、若宮さんの生涯と人物像が浮き彫りになるような記事にすべく加筆ができればと思っております。客観性や中立性、検証可能性などについて留意しつつも、wikipediaで若宮さんのことを知った方が氏の歴史・有り様に触れて感銘を受けるような記事にしていければと思っております。--Impotent Osakan会話2012年12月22日 (土) 13:56 (UTC)[返信]