ノート:源義仲

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根井行親の別名について[編集]

「根井行親」には「光親」という別名もあるようなのですが、「行親」と表記しているページが圧倒的でしたので、こちらを表記しました。難民 12:31 2004年3月15日 (UTC)

義仲の子について[編集]

手元の平家物語(覚一本)では鎌倉に人質に出された11歳の子(つまり義高)が「清水冠者義重」となってますね。尊卑分脈での義仲の子は清水冠者「義基」と義宗の二人。つまり義高=義重=義基で同一人物なのでは。ここは尊卑分脈に従って、子の記載は義高と義宗の二人でよいのではないか思います。信憑性の怪しい子孫については別項で。--小者 2007年12月31日 (月) 18:58 (UTC)[返信]

2008年9月10日 (水) 04:43 Bisuke-san (会話 | 投稿記録) 版の編集について[編集]

Bisuke-sanさんの編集について、いささか疑問が多いので差し戻させて頂きました。

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上記の変更点についてですが、義仲の系譜については前の版の記述は吾妻鏡・尊卑文脈・源平盛衰記・平家物語といずれも出典があるものです。義仲は源義賢の次男ではありますが、第二子とは限りません。そのように書く文献はないと思います。為義派を為義流と書き換えてありますが、為義派というのは為義と義朝の対立で義賢が為義についたということですが、それを為義「流」とすると意味が通りません。また「通称」を消してますが、元服して木曾姓になったという訳ではありません。これらの編集を見ても、義仲やこの時代に関する参考文献や史料を確認された上での編集とは思われませんので、差し戻させて頂きました。--小者 2008年9月10日 (水) 08:32 (UTC)[返信]