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ノート:渡辺勘兵衛 (石田家臣)

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出典について[編集]

学研歴史群像シリーズ『戦国セレクション 決戦関ヶ原 戦国のもっとも長い日』の190ページ、中井俊一郎氏の記事の中に、この人物の出典に関する記述を発見しました。500石の知行の全てを与えたという逸話が『「国史美談」にある』とのことです。同書には参考文献一覧がないため、この『国史美談』なるものがどういった文献であるか(国会図書館の蔵書で調べる限り、戦前に異なる作者名で三種類ほど、該当するタイトルを持つ書物が刊行されているようですが)判然としませんが、とりあえずご報告までに。

とりあえず出典を挙げておきましたが、いずれも戦前明治以降の、大衆向けに作られた極めて俗悪な性質のもので、史料的価値は限りなく低いです。 そういう名前の人が西軍の石田三成隊にいた、という以外の情報はすべて明治以後の情報しかない、というのが現状です。 上記のほか直接に依拠した三次史料を挙げておきます。 新人物往来社『石田三成のすべて』213〜214ページ 宝島社『悲劇の智将 石田三成』82ページ 自害の場面については、『石田三成のすべて』では国史美談教訓画蒐を出典として「関ヶ原の東西決戦で討死」とするのですが、その記述では一次史料たる「佐和山落城記」が三成とともに敗走としている(死についての言及は無し)ことと矛盾しますので、とりあえずこのまんまにしておきます。

--114.162.73.121 2010年2月25日 (木) 05:45 (UTC)刹那五月雨撃[返信]

経歴について[編集]

『佐和山落城記』で名前を見つけたのでその旨書き加えておきましたが、名前以外のプロフィールについての記述はなかったので「生涯」の方はそのままにしてあります。内容について保障するものではありません。 --114.162.73.121 2010年2月19日 (金) 05:27 (UTC)刹那五月雨撃[返信]