ノート:気仙郡

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気仙郡の文献上の初出について[編集]

「気仙郡」の郡名の文献初出について主ページに 「気仙郡という郡名は『続日本紀』の弘仁2年811年)の条が初出である」(2023-12-18 09:33:06 の版)とあります。しかし、これは『日本後紀』が初出の誤り、ではないでしょうか?
WEB検索してみたところコトバンクに 平凡社“『日本歴史地名大系』「気仙郡」の解説” として、「郡名の初見は「日本後紀弘仁元年八一〇)一〇月二七日条で、「気仙郡」とみえる。」と載せ[1]、また樋口知志氏の紀要論文「律令制下の気仙郡 : 陸前高田市小泉遺跡の周辺」(2009年)は、「律令制下における太平洋沿岸最北の郡であった気仙郡の史料上の初出は『日本後紀』の弘仁元年811)10月甲午[27日]条であり同年には存在していたことが確認されるが、その建郡はどのような史的背景の下でいつ頃なされたのであろうか。」との一文で始まっていました[2]
私は『続日本紀』『日本後紀』のいずれも原文を確認できていないのですが、以上から推すに「『続日本紀』の弘仁2年(811年)の条」を郡名の文献初出とする記述は、間違いの可能性が極めて高い のではないでしょうか? どなたか詳しい方のご意見と、郡名の初出を示す信頼できる適切な参考文献をご教示いただければうれしいです。(なお、主ページの『続日本紀』に言及する郡名初出記述は、2013-01-21 06:32:32‎ の版 に登場し、以降10年ほど維持されているようです。)--Yumoriy会話2023年12月19日 (火) 06:17 (UTC)[返信]

情報 上掲コトバンクのページを下部までスクロールしてみましたら、
  • 〔古代〕 弘仁元年一〇月二七日、渡島(北海道)から狄二〇〇余名が気仙郡に来着したことが陸奥国衙から報告された。国衙では所管外であるとして帰るよう促したが、狄らは冬季は海を越えるのが難しいとして春になってからの帰郷を望んだという。朝廷は春までとどまることを許し、衣と食料を与えるよう陸奥国衙に命じた(日本後紀)。〔気仙郡の〕建郡の時期は同年よりさかのぼるとみられる。[1]
—との記述があり、見落としていました(※当該コトバンクの記述は“『日本歴史地名大系』「気仙郡」の解説”からの部分転載)。前掲の樋口論文の冒頭記述[2]とも合致しており、『日本後紀』弘仁元年10月27日条には「気仙郡」についてこうした内容が記載されているものと思われます。--Yumoriy会話2023年12月19日 (火) 07:13 (UTC)[返信]
『続日本紀』『日本後紀』の記載を確認できていないままなのですが、WEB上に次の3件の記事がありましたので報告しておきます。
  1. 「気仙」という地名は『日本三大実録』に「けせま」で登場したのが初見なのか知りたい。 (2012-11-27) | レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000129107
  2. 【気仙概論】黄金の国ケセン | 黄金の国ケセンをめぐる文化財ガイド https://kesen-bunka.jp/article/view/1000
  3. 気仙(けせん)の支配者 (2022-11-03) | はてノ鹽竈 https://ameblo.jp/shiogama4081121/entry-12772660551.html
(1) には出典を「『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 p.322」として、「「気仙郡」の項目に、『日本後記』に「気仙郡」が初見という記載。 ※『和妙抄』には「けせ」とカナがふられている。」とあります。
(2) は「気仙郡の名前が登場するのは『日本後紀』巻十。そこに出てくる日付から、少なくとも弘仁元年(810年)以前には気仙郡という名称が使われていたことがわかります。」と記述。
(3) のブログ記事では、「〔Wikipediaに〕『正しくは〜』とありますが、そこにも明白な誤りがあります。『続日本紀』は、延暦十六(797)年に完成した史書であり、その14年後にあたる弘仁二(811)年の事象が採録されていたわけがないからです。おそらく単純に『日本後記』の誤りなのでしょうが、だとしても、気仙郡の記事を確認できるのはその前年、すなわち弘仁元(810)年です。」と指摘されていました。--Yumoriy会話2023年12月21日 (木) 14:28 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ a b 気仙郡(けせんぐん)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%B0%97%E4%BB%99%E9%83%A1-3022937
  2. ^ a b 樋口知志「律令制下の気仙郡 : 陸前高田市小泉遺跡の周辺」(『Artes liberales (アルテス リベラス)』第74号, 岩手大学人文社会科学部紀要, 2004年6月) https://doi.org/10.15113/00013272