ノート:松岡洋右

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岸信介との関係[編集]

岸信介の配偶者の実父ではなく、彼の従妹たる佐藤寛子の実の叔父と言う関係なので、変更しました。 --以上の署名のないコメントは、Kode1134会話投稿記録)さんが 2006年4月22日 (土) 02:02 (UYC) に投稿したものです。

国際連盟会場からの退場[編集]

>日本語で「さいなら!」と叫んで会場を退場した。

実際には言っていないのではないでしょうか。 --以上の署名のないコメントは、58.93.126.97会話/Whois)さんが 2007年1月27日 (土) 17:43 (UTC) に投稿したものです。[返信]

仮面浪人?[編集]

「駿河台の明治法律学校(明治大学の前身)に籍を置きながら東京帝国大学を目指すことにした」とのことですが、この当時、旧制高校を経由せずに東京帝大に入学することはできたのでしょうか。--Chesapeake 2008年12月19日 (金) 00:32 (UTC)[返信]

当時の東京帝国大学の入学資格は3つ、①旧制高校の卒業、②文部大臣が高等学校又は大学予科に準ずると認める学校の卒業、③帝国大学の通告により旧制高校で試験を行い大学予科と同等の学力があると認定された者、です。松岡はオレゴン大学卒業という文句なしの学歴を有してるので、入学資格としては②に相当すると思われます。--Rinpoche 2009年2月22日 (日) 23:11 (UTC)[返信]

プロテスタントからカトリックへ改宗[編集]

アメリカ留学時にキリスト教に関心を持ち、プロテスタントの信者となったクリスチャンである。しかし、戦後に肺結核を発病したまま収監された際、主治医の井上泰代(ベタニア修道女会所属の女医)の影響でカトリックへの関心を強めてカトリックへの改宗を決意し、臨終のわずか数時間前、井上医師の手によって洗礼を受けた。

前提として、カトリック教会では一般にプロテスタント諸派での洗礼を有効と認めています。また洗礼は一生に一度だけ受けるものとされています。したがって本文の記述は前提と矛盾することとなります。この辺をお判りになるかたがおいででしたらご教示お願いいたします。--トマス秋茄子会話2014年1月20日 (月) 07:05 (UTC)[返信]