ノート:松前勝広 (子爵)

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蠣崎氏への統合提案について[編集]

松前勝広に関する個人的項目ではなく、勝広やその子らについて述べた記事であり、蠣崎氏のなかの明治維新以降の項目に移動し統合するべきかと考えます。--立志堂 2009年5月27日 (水) 00:56 (UTC)[返信]

一応、勝広当人の経歴を加筆してみました(サブスタブレベルですが)。ただ、これ以上の特筆すべき事柄がなければ統合もやむを得ないでしょう。--松茸 2009年5月27日 (水) 15:32 (UTC)[返信]
私はあまり詳しくないんですが、貴族院議員や帝国土地開拓役員としての経歴等を加筆すれば公人としての一定のレベルに達するのではないでしょうか?--ろう(Law soma) D C 2009年6月1日 (月) 00:18 (UTC)[返信]
経歴などが加筆されましたので、統合しない方向でよろしいでしょうか?--立志堂 2009年6月4日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
特に反対意見がありませんので、統合しないで存続。--立志堂 2009年6月21日 (日) 07:42 (UTC)[返信]

生年について[編集]

記事中に松前勝広の生年は「明治2年5月10日(1869年6月19日)」とあり、また「父は松前修広」とありますが、一方で記事「松前修広」によると修広は「生誕|慶応元年9月14日(1865年11月2日)」とあります。これらがすべて正しいとしますと勝広は修広の4才のときの子ということになるので、生年か親子関係のいずれかに誤りがあるか、もしくは修広は勝広の養父であるか、ということになると考えます。事実をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?--Mleefir 2010年5月24日 (月) 14:30 (UTC)[返信]