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ノート:徳富蘇峰/過去ログ1

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"『旨意』は" 以降はhttp://www.kohara.ac/virtual_museum/excerpts/neesima04.htm からの流用と思われます。--KZY 2004年7月10日 (土) 10:58 (UTC)

注意:上で指摘されているものはすでに削除されています。Mulukhiyya 2005年9月8日 (木) 11:06 (UTC)

地名「山王」の由来について。(2005年9月7日 (水) 12:27 Chutaさん追加部分) 大田区大森の「山王」の由来は、池上通り八景坂(はっけいざか)上にある日枝神社(山王社・山王権現)に由来するもので、付近では古くから「山王さん」と親しまれていた。よって大森の「山王」は徳富蘇峰が命名したのではなく、古くから地域の地名として存在していたと理解しております。蘇峰が命名したという情報の典拠は何かございますか。 --Kogane 2005年9月8日 (木)8:32)

当時の正式地名は大森町新井宿字源蔵原ですが、蘇峰が「長すぎる」と言って「山王」と名づけたという話を蘇峰の娘が語っていたそうです(記念館で聞いた話だったと思います)。それ故、蘇峰の「山王草堂」から正式な地名になったと判断してました。再度確認しておきます。 --忠太 2005年9月8日 (木) 13:19 (UTC)

忠太さん、一方的に記述を変更してすいませんでした。お許し下さい。なお「新井宿」の地名は16世紀の小田原衆所領役帳にすでに見えますからかなり古い地名で、現在の地番で言えば大田区の大森から山王、中央までを含む広域の地名で、明治の地番表記にも引き継がれます。「山王」も近世江戸期にまで遡る事は間違いないようです。

新井宿字源蔵原は昭和の地番変更で山王1丁目となります。ただし、山王1丁目のエリアには、字(あざ)「源蔵原」地区の他に、字「山王」、字「山王下」と、「山王」という字名を冠した地区が含まれます。すなわち(江戸時代からの)明治の字名表記の段階で、「山王」の地名表記は、字名として既に存在しており、「山王」の地名表記は決して蘇峰の創案では無い事がわかります。

よって「山王草堂」の名称から正式な地名が生じたとする記述は、正確ではないと思われます。むしろ「山王草堂」の方が、由緒ある地域名に由来したネーミングであると解すべきです。

おそらく貴方が耳にされた情報とは、正確には次のような内容を指摘したものかと推測します。すなわち、昭和の地番変更の際、三つの字(あざ)を統一する際の新たな地名表記として、既存の字名の中から「山王」が採用された事。その選考の過程で、蘇峰の山王草堂の存在、あるいは蘇峰自身の意向が影響を及ぼした可能性がある、という事かと存じます。地元の名士にして、和漢の歴史に通じた蘇峰なれば、山王権現に由来する由緒ある「山王」の地名を推挙した可能性は、充分あるかと思います。--Kogane2005年9月9日 (金)1:32)

ご指摘ありがとうございました。そのように解釈するのが妥当かと思います。ちなみに『東京地名考』には昭和7年(35区になった際)、山王が(字名から)正式な町名(大森区山王)に昇格した、という記述がありましたが、蘇峰のことはふれていません。 --忠太 2005年9月14日 (水) 14:40 (UTC)