ノート:幕末

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兵庫沖会談の記述について[編集]

ぽなぽなさんは政治史節の「薩長同盟と幕長戦争(1864年 - 1866年)」において、2度に渡りパークスや兵庫沖会談の記述を比較的詳細に編集され、見出しも薩長同盟を兵庫沖会談に変更していますが、この節は現在幕末政治史の流れを概観する記述となっており、個々の事件の詳細についてはリンク先各記事の説明に譲り、あまり脱線しないように書かれております。また見出しについても、兵庫沖会談の意義を軽視するつもりはありませんが、やはり政治史の流れからすれば、薩長同盟の方がその後の影響は大きいと思います(もし幕末政治史の中で兵庫沖会談を薩長同盟より重視する資料があるようであればご提示ください。参考にいたします)。兵庫沖会談については別項目に立てていただき、「詳細はそちらへ譲る」式の記述の方がふさわしいかと思いますがいかがでしょうか。ぽなぽなさんの方で立てられない事情がおありであれば、差し出がましいようですが私の方で立てることも考えます。手元の資料が乏しいので少々時間をいただくことになりますが。--トホホ川 2010年2月16日 (火) 22:51 (UTC)[返信]

利用者トホホ川様の意見開陳について、その結果を受けて返事をします。正直な意見を言います。非常に困惑をしています。私と貴方の個人的観点に拠る編集意見の開陳のみ、それのみであれば記事のノートに書くべきであったのかと。それは井戸端ででもやるべきではないでしょうか。私はパブリックな意見であれば記事のノートに書くべきだ、と言いました。それは確かです。個人のノートでは記事の発展に何ら寄与しません。ですがトホホ川様の書かれた内容はパブリックとは言いきれません。そのためノートの自治制度を棄損したのではないかと危惧します。

ノートを尊重するのならば、当然に規則に拠る記事の編集方針と重ねた意見開陳であるべきです。個人的観点に拠る編集意見はそれはそれで尊重はします。でも記事のノートには書くべきではない。でないと第三者に勝手に判断されかねませんし、記事の編集精神を冒とくする結果となりかねません。本記事についての特殊性を主張されるのならば私はそれを否定します。不偏性を失った規則は意味がありません。私にとってのパブリックの定義が言葉足らずだったかもしれません。その点は忸怩たるものがあります。

よい記事を書くための意見の交換ですから相克は望みません。決してトホホ川様のご意見に反対ではありません。非常に困惑して混乱しているのです。このことが悪い結果を生むのが心配な訳です。御意見について二、三ほど不明な点がありますので、できますならば井戸端において私との会話を続けていただくか、それとも記事の編集方針の規則に則った意見開陳をお願いいたします。私としてはできれば前者を望みます。お手数をおかけいたしますが、広い心での御考察のほどよろしくお願いいたします。

ぽなぽな 2010年2月17日 (水) 08:17 (UTC)[返信]

いやいや、困惑しているのはこちらです。当該記事について私とぽなぽなさんの間で何度か編集の応酬があったため、私からぽなぽなさんの会話ページに質問・提案を行いました[1]WP:DRに「まず相手とその記事のノートページやユーザーの会話ページを使って問題について議論して下さい」とあるのに従い、ユーザーの会話ページを選択したわけです。しかしぽなぽなさんはその質問に直截その場で答えられることなく、私の会話ページに「記事についての質問・意見はその記事のノートに書くのが筋」と書き込まれました[2]。私はその仰せに従ってこのページに移行したところ、今度はぽなぽなさんが「個人的観点に拠る編集意見の開陳のみ」「パブリックな意見でない」との理由で(私にはこの理由が理解できかねますが)、井戸端に議論を移せとの仰せです。そしてこの間、肝心の私の質問・提案には一切お答えになられていません。正直言って(ぽなぽなさんにはそのつもりがないのかもしれませんが)質問をはぐらかされ続けている感が否めません。非常に当惑しております。
本件に関する私の興味は当該記事の記述の質のみであり、ぽなぽなさんの他の記事の編集についてや議論場所の是非については全く話題にしておりません。H:NOTEにある「各記事ページに用意されているノートページは、主ページの記事についての対話の場であり、百科事典『ウィキペディア』の記事を改善・充実するために使用されます」という記述に則っております。一方井戸端はjaWP全般における「運営や方針、新しいアイディアや作業の仕方」について意見交換する場所であり、当該記事の記述内容について話し合うのに、井戸端を用いるというのは全く筋違いですから、ぽなぽなさんのご希望に添うことはできません。謹んでお断りいたします。あしからず。
ぽなぽなさんの仰る「個人的観点に拠る記事の編集意見の開陳」というのも甚だ意味不明な表現で、具体的に何の記述を指しているのか分かりません。当該記事の既存の記述もしくは私の編集態度について問題を感じておられるならば、その具体的箇所と、ぽなぽなさんがそう判断された根拠となる方針文書を添えて明示していただくようお願いいたします。とにかくぽなぽなさんが当該記事においてどういった編集をしたいのかの方向性が分からないため、議論を行えません。それを知るためにまず会話ページ次いで本ノートで質問したのですが、残念ながら現在にいたるまで些末な論争場所の是非を発言されるばかりで、記事の向上に向けたお言葉をいただいておりませんのでこのままでは何も進展しません。なお断っておきますが、私は当該記事を独占する意志は全くありません。望んでいるのは質の向上のみです。私の上記の「編集意見の開陳」は他の日本の歴史の時代概略記事(たとえば飛鳥時代#概要節、室町時代#概観節などの慣習に従ったもので、「個人的観点による編集」というのが何を指すのか全く心当たりがありません。またぽなぽなさんへは質問および提案を行ったのみあり、決して強制した訳でも私が妥協を拒んでいる訳でもありません。もし一連の私の編集態度について疑義がおありでしたら、コメント依頼を出してくださっても一向に構いません。
とにかく議論に応じてくださらないので非常に当惑しております。--トホホ川 2010年2月18日 (木) 22:50 (UTC)[返信]