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ノート:山田晴通/過去ログ1

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「読者の便宜のため」と称する署名のない編集について

この書き込みは、項目の主題である山田晴通本人によるものです。 したがって、Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるときによって、このノートの方に、必要な書き込みをするように致します。

現時点での最新版では次のような記述が追記されました。

  • 「だが、これは当時人文地理教室は理学部にもあったせいであり、別に理学的な研究をしているわけではない」
  • 「。最近、加藤政洋のウィキペディアに書き込みを行っている。」

2009年5月8日 (金) 15:24 60.236.213.248 (会話) (2,166 バイト) (読者の便宜のため)

前者の前半は、単純な事実誤認です。当時は、理学部地理学科にも人文地理学専攻の教員は存在していましたが、「人文地理学教室」を名乗っていた事実はありません。人文地理学教室は、当時も現在も教養学部に所属しており「人文地理教室は理学部にもあった」といえる時期は東京大学にはありません。この背景を山田自身が説明しているページはこちら東京大学における地理学関係教室についてにあります。現在の人文地理学教室の公式ページに記述があるように「かつて大学院生は全面的に理学系研究科地理学専攻に所属していましたが,1995年に広域科学専攻広域システム科学系が拡充整備されることによって,人文地理学に関わる大学院生は同専攻に移行しました.」というのが実際です。後半の記述「理学的な研究をしているわけではない」には問題はありません。(「別に」というのが事典的記述にふさわしいかどうかには、別次元の問題があるかとは思いますが。)

後者の記述で、「最近、加藤政洋のウィキペディアに書き込みを行っている」と加藤政洋の項目のみに触れているのは、適切さを欠いていると思います。 山田が加藤政洋を編集したのは、2009年4月21日 (火) 01:39 UTC にリンクを追加し、一部の記述に「要出典」をつけたときだけです。本文自体には何も加除をしていません。 それ以前に、ノート:加藤政洋には、2回にわたり書き込みをしていますが(2009年3月26日 (木) 16:59 UTC; 2009年3月5日 (木) 20:22 UTC)、加藤政洋本文に編集をしているのは、上記だけです。 また、「最近」とありますが、4月21日以降に限っても、山田は地域研究 (社会学)チチェスターなどのページを新設し、清原慶子欧州文化首都などに相当の分量の加筆をし、ノート:ちゃっきり節‎ノート:苫米地英人ノート:ウェスト・サセックスなどで議論を提起しています。 つまり、加藤政洋の項目は「最近」=直近という意味では編集した項目ではありませんし、最近2-3週間ほどに「書き込み」をした項目として最も量が多いわけでも、注目度が高いわけでもなく、唯一具体的にこの項目を挙げる必要があるほどの代表性があるわけでもありません。 (この加筆で、句点の打ち方に乱れがあること、ウィキペディアについて、編集ではなく「書き込み」という表現をすることについては、これも、別次元の問題があるかと思います。また、この記述が残るのであれば、加藤政洋はリンクになっているべきだと思います。)

いずれにせよ、記述の対象となっている本人としては、本文の編集には手をつけませんので、しかるべく議論がなされることを期待します。 --山田晴通 2009年5月8日 (金) 16:41 (UTC)

議論もなにも、自分で書いて自分で管理・評定しているんだから、記述の正当性などもとよりない。削除がベスト。東大のコネで楽に生きてきたのだから、自己主張を必死になってその歳でやらんで宜しい。--以上の署名のないコメントは、60.236.214.26会話)さんが 2009年6月14日 (日) 13:52 (UTC) に投稿したものです。

近年↑都内私学の地理学教室の教員公募に落ちています(本人がHPで公表済)から「東大のコネで楽に生きてきた」というのは明らかな誤りです。--以上の署名のないコメントは、119.107.231.133会話)さんが 2010年7月21日 (水) 11:24 (UTC) に投稿したものです。

ご家族の経歴について

父親の経歴について記述がなされましたがクラシック音楽を聞いて育ったこととの直接的な因果関係は認められず、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんなどにあたりますので編集除去しました。両親が音楽家といったケースであればそれは成長期に影響を受けたことと認められると思いますがこのケースはそうではありませんので。--Tiyoringo 2010年9月6日 (月) 10:29 (UTC)

一般論としては仰せのことに賛成です。この場合には父はプロとしての「音楽家といったケース」ではありませんがバンドに属するなどアマチュアとしては活動されています(既に脚注に出ている国立音楽大の冊子などご高覧下さい)ので「父の方針でクラシックを聴いたこと」も含めて「成長期に影響を受けたことと認められると思います」ので今回の「編集除去」は不適切に思います。地理学者(山田氏の場合にはコミュニティ学者??)が音楽を副専攻にするのは多いわけではありませんので経歴上音楽関係の学位は取得していない山田氏が音楽に関心がありまた一定の学問上の功績があることを説明する「エピソード」として適当(少なくとも「情報を無差別に収集する」事例には当たらない)と思います。但し、確かに元の文章も誤解を招く表現のため一部訂正しました。--118.243.235.239 2010年9月7日 (火) 04:02 (UTC)
地方大学出身という記述は蛇足でしかないので除去しました。六本松キャンパスに父親が通ったとあるので九州大学出身なのだと思いますが地方大学という言い方は地方のあまり有名ではない大学と誤解するおそれが強いこと、その学歴と晴通氏と音楽の関係へ影響があったことにはならないでしょうl--Tiyoringo 2010年9月7日 (火) 04:20 (UTC)
父の「地方大学出身(ママ)という記述」は福岡を出身地と紹介される事が多い山田氏にとっては特筆に当たると考え追記しました。--118.243.235.239 2010年9月16日 (木) 04:35 (UTC)
コメント すみません、横から失礼します。当人の父親の実名を記載する必要があるのでしょうか。別に特定版削除する必要性はないと思いますが、本文に実名を記載する必要はないと思いますので編集除去すべきかと思います。父親は公人ではないでしょうし、著名人とも言いがたいでしょう。単なるアマチュア音楽に過ぎません。もちろん応援歌の作曲者として自身の名を明らかにしており、別に匿名で作曲しているわけではないでしょう。ですので、別に特定版削除する必要性はないと思います。ですが、応援歌の紹介の際に作曲者として名を記載するならともかく、息子の記事でわざわざ実名書くのはやりすぎでしょう。父親の経歴を記すことまでは問題ないと思いますが、実名は不要でしょう。実名を記載しないと記述できないような事情もないと思います。たとえば「父親はアマチュア音楽家(ホルン演奏者)であり、九州大学の学生歌・応援歌を作曲していた。」くらいの記述でいいと思うのですが、これではだめで実名を記載しなければならない理由があるとは思えません。--114.48.146.244 2012年9月1日 (土) 09:45 (UTC)
賛成 ご提案内容に賛成いたします。--Tiyoringo会話2012年9月1日 (土) 10:29 (UTC)
コメント 返信が遅くなりすみません。Tiyoringoさんから「ご提案内容に賛成いたします」とのコメントを戴きましたが、これは私(114.48.146.244)の「父親の実名を記載する必要があるのでしょうか。別に特定版削除する必要性はないと思いますが、本文に実名を記載する必要はないと思いますので編集除去すべき」という意見に賛同していただいたと考えてよろしいですか? 段落の階層的には私の意見に対する賛成だと思うのですが、誰宛か明記されていなかったので、118.243.235.239さんの意見に対する賛同ではないか念のため確認したく。特にご異論ないようでしたら、当人の父親の実名を除去いたします。--111.188.33.105 2012年12月12日 (水) 17:26 (UTC)
コメント 実名は記載しない方向でよいとの認識ですが、Ks aka 98さんにより再び実名が書き込まれました。著名なプロの音楽家ならともかく、さすがにアマチュアの音楽家(つまり単なる一般人)の実名をウィキペディアに記載するのは、重大な問題を引き起こしかねないと思います。もちろん、作詞作曲した曲についての記事なら、覆面作曲家でない以上、氏名を記載せざるを得ないでしょうが、この記事においてあえて実名を記載せねばならない理由がわかりません。一般人の氏名を公表する必要はないのではないですか--以上の署名のないコメントは、114.49.41.79会話/Whois)さんが 2014年4月2日 (水) 05:58 (UTC) に投稿したものです。

写真

どうぞ。File:YAMADA Harumichi wcj2010.JPG --Ks aka 98 2010年11月15日 (月) 13:09 (UTC)

謎の編集を修正

2012年8月5日 (日) 13:17時点の版にいくつか謎の記述があったため、修正。

  • 「東京大学新聞研究所教育部研究生課程にも席を置き修了している」
→たしかに座「席」があったかもしれないが、この場合は在「籍」している、学「籍」を置いている、という意味でしょうから「籍を置き」が正しいでしょう。
  • 「そもそも当時の「新聞」とは現在を含めた後のマスメディア全般の意味であり広くマス・メディアやマス・コミュニケーションを研究する機関であ、(当時「新聞紙」と呼ばれた)新聞を研究する機関ではない。沿革は東大HPの旧・社会情報研究所が詳しい」
→山田博士についての解説ではなく、東京大学新聞研究所の解説になっている。それはリンク先の記事のほうに書けばよい。
  • 「なお現在も配偶者には恵まれている。」
→出典皆無。何を根拠にこのような記述を追加したのか、皆目不明。

以上です。--114.49.56.54 2012年8月8日 (水) 18:12 (UTC)

法政大学の公募について

学生時代(博士号とったのは博士課程出てからですが)選考していた地理学の常勤ポストにはついたことがないが地理学者として一定の需要があることを一番よく示していますから必要な記述と思います(評価されていなければ書類選考ではじかれます)。逆にこうした記述がないと地理学者としては全く需要がないこと(高々非常勤講師どまり)を示す記述になると思います。--118.243.235.239 2012年8月26日 (日) 04:14 (UTC)

何人が応募し、書類選考を通った人物が何人であるかはっきりしない公募について記述するのは適切ではないでしょう。なお、ご本人はどの大学の公募か現在示されている出典には記述がないこと、地理学関連のすべての教員公募が日本地理学会HPに載るものか確かでないこと、別の教員が同時期頃に法政大学に移ったことが、その公募によるものと断定するには不十分なことがあげられます。公募の形を取っていても、中には出来レースな場合もありますし、1回目の公募で1人も適当な人物がいないことから、全員が採用候補にならない場合もあります。山田氏が応募した公募がその公募であった場合、着任時(2008年4月)に40歳以上50歳未満の方とあり、1958年10月生まれである同氏は上限に近いことも、最終選考理由の中に入った可能性もあります。教授公募となれば、それなりに実績があると見られる(自認している)方が多く応募し、選ばれるのが1人ですので、トリビア的な内容であり記述する必要のないことだと思います。--Tiyoringo会話2012年8月26日 (日) 05:38 (UTC)
特別:投稿記録/118.243.235.239および[[1]]を見ても、山田氏への嫌がらせ目的での投稿と推測されます。ご本人が法政大学への応募と明記していない以上、独自研究というべき記述であり、Wikipedia:存命人物の伝記の観点から除去されるべきです。--むじんくん会話2012年8月26日 (日) 05:50 (UTC)
コメント そもそも論ですが、「評価されていなければ書類選考ではじかれます」との主張は独自研究に過ぎません。大学によって選考過程はさまざまでしょうし、そもそも選考過程や選考基準について全てを完全公開している大学など存在しないでしょう。「評価されていない場合、必ず書類選考で落とす」などと断言することはできません。書類選考時の評価が低くても書類選考以降のプロセスに進ませて総合的に判断するかもしれませんよね。そんなことは外部からはわからないし、検証可能性もないでしょう。そんなあやふやな根拠を元に「地理学者として一定の需要があることを一番よく示しています」と主張なさっても、同意を得ることは難しいでしょう。推測に推測を重ねていますので、118.243.235.239氏の「評価されていなければ書類選考ではじかれる『と思われる』。だから、地理学者として一定の需要がある『と思われる』」というロジックは、全く根拠が弱いと思います。したがって、それを理由に本文に記述しようとするのは、無理があると思います。その選考結果が当該人物に重大な影響を与えたとか何かしら特筆性があるというならともかく、単に応募したが採用されなかったというだけならわざわざ書く必要はないでしょう。--114.48.146.244 2012年9月1日 (土) 09:34 (UTC)

この人物にこのようなテンプレートなど不要

コメント 念のためこちらにご報告しますが、この人物に「Infobox scientist」テンプレートを使うのはおかしいと考えられるため、「Infobox 学者」テンプレートに差し替えました。

当人は地理学者と称していますが、それであれば社会科学者の一員と看做せると思います。地理学には人文科学や自然科学の側面もあるかもしれませんが、当人が専門は社会経済地理学と地域メディア論だと主張していることからみても自然科学者とは呼べないと思います。それに対して、「Infobox scientist」テンプレートは、事実上、自然科学者向けのテンプレートのようです。「scientist」ならhuman scientistもsocial scientistも含まれるはずなのですが、なぜかこの「Infobox scientist」テンプレートには「Portal:自然科学」へのリンクが張られており、natural scientistを前提にしたかのようなレイアウトです。

そもそも、「Infobox scientist」テンプレートはあくまで「Infobox scientist」テンプレートであり、「Infobox natural scientist」テンプレートではないはずです。なぜあえてhuman scientistやsocial scientistの存在について考慮せず、「Infobox scientist」テンプレートをこのようなレイアウトにしたのかテンプレート作者の意図は理解できません。が、現実問題として、既に「Infobox scientist」テンプレートがnatural scientist用であるかのようなレイアウトになってしまっていますので、当人の記事内容と乖離している状態になっていました。このような状態は望ましくないので、「Infobox 学者」テンプレートに差し替えました。--1.113.101.28 2012年12月12日 (水) 18:08 (UTC)

「著作」節は内容過剰ではないか

記事主題の本人である山田です。

このところ「著作」節に論文が多数列挙されるようになってきましたが、少々過剰ではないでしょうか。

そもそも「著作」とありますが、山田は単著はありませんが、共著は列挙されているもの以外もあり、この節の内容は「おもな著作」でしかありません。その上で、誤って原著論文のように記載された翻訳論文は訂正しましたが、そもそもこのように、特に何かの受賞対象となったわけでもない論文を列挙するという書き方には違和感を覚えます。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」などに照らして、現状は適切とは言えないようにも思えます。「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるとき」にしたがって、明確な誤り以外の編集は行ないませんが、こちらにコメントを残しておきます。--山田晴通会話2013年1月27日 (日) 08:49 (UTC)

内容過剰もなにも、自分で書いて自分で管理・評定しているんだから、記述の正当性などもとよりない。削除がベスト。東大のコネで楽に生きてきたのだから、自己主張を必死になってその歳でやらんで宜しい。--182.249.242.176 2013年3月3日 (日) 14:09 (UTC)
コメントありがとうございます。「自分で書いて自分で管理・評定している」というのは全く誤解です。そのように疑われる合理的な根拠がありましたら、具体的にご指摘ください。誤解は解きたいと思います。
また、山田はこの記事については、明らかな誤りの訂正以外は編集しないと申し上げております。「Wikipedia:善意にとる」を前提として、なお山田が申し上げていることを信じていただけないのであれば、その理由は是非ご説明ください。
また、182.249.242.176 さんが、本当に「削除がベスト」とお考えなのであれば、あるいは記事の削除を提起されるのがよろしいかと思います。記事の削除はIP利用者にも出来ます。Wikipedia:削除依頼をお読みいただき、必要な手続きをおとりください。--山田晴通会話2013年3月3日 (日) 14:57 (UTC)
・そもそも「Wikipedia:善意にとるを前提と」するならば182.249.242.176 さんが「お考え」になる「削除がベスト」とは記事全般ではなくて山田蛆の指摘する「論文が多数列挙」されている「「著作」節」のことではないですか?
・「東大のコネで楽に生きてきたのだから、自己主張を必死になってその歳でやらんで宜しい。」に反論していないのは全く同意だからですか?
・確かに「「自分で書いて自分で管理・評定している」」のうち、「書いて」の部分の判断は難しいと思います。でも例えば、「要出典範囲など」の節は「自分で管理・評定して」いたり、「自己主張を必死になって」していることを自ら実証しているので反論できないと思います。--133.30.18.83 2013年5月11日 (土) 07:43 (UTC)

既に相当の期間にわたり、状況の改善がありませんので、この件に関して複数の問題点プレートを貼付します。--山田晴通会話2014年8月11日 (月) 00:09 (UTC)

「著作」節は内容過剰ではないか」との問題提起ですが、特に内容過剰とは言えないでしょう。たとえば、文筆活動をしている人物の記事で、当人の著作の一覧が掲載されるのはよくあることです。その人物の主たる職業がもし文筆家であれば、著作の一覧は、その人物の業績を理解するのに当然必要な情報でしょう。さて、この記事の人物は大学教員とのことですので、学術的な業績を伝える情報として著作の一覧は、当然有用でしょう。「「著作」節は内容過剰ではないか」などと主張している人は、ウィキペディアの人物記事から著作の一覧をかたっぱしから削除しようと思ってるのでしょうか。--126.175.101.252 2014年8月22日 (金) 11:38 (UTC)
(追記)「特に何かの受賞対象となったわけでもない論文を列挙するという書き方には違和感を覚えます」とのことですが、受賞したものだけ記載すべきだから「著作」節を削除せよというのは同意できかねます。たとえば、文筆家の場合、芥川賞や直木賞を取った著作「のみ」を抽出して列挙するより、一律掲載した方が業績を俯瞰でき有益でしょう。なお、「そもそも受賞歴皆無なら、この記事の人物には学者としての特筆性がないのではないか」という指摘もあるかもしれませんが、それはこの記事自体を削除すべきかどうか、という議論であって、ここでの「著作」節が内容過剰かどうか、という議論とは直接関係ないので、別のセクションでやってください。182.249.242.176さんの主張は記事自体の削除を主張しているようにも見受けられますが(もし「著作」節のことについてだったらごめんなさい)、もしそうならそれはこのセクションとは別のセクションでやるべき。また、「「著作」節は内容過剰ではないか」という問題提起に対して誰からも同意を得られなかったのですから、問題提起者はいつまでも納得しない態度を取り続けるのはおやめください。--126.175.101.252 2014年8月22日 (金) 11:55 (UTC)
除去ではなく加筆すべき案件。この節の内容が「おもな著作の一覧」でしかないというなら、除去するのではなく、加筆して「完全な著作の一覧」にすべき。
「著作」節は内容過剰ではないか」との問題提起に対して、2013年1月から一年以上にわたって誰からの賛同も得られなかったこと、2014年8月の再度の問題的に対しても、告知期間中に誰からの賛同も得られなかったことにかんがみて、問題提起は否決されたと考えるのが妥当。テンプレは外しておきます--126.197.123.115 2014年8月28日 (木) 14:28 (UTC)

2013年2月17日 (日) 13:20‎ (UTC)とのマージ

2013年2月17日 (日) 13:20‎ (UTC)の版と現在の版とをマージしました。査読なし論文を「毎年コンスタントに書いてきた」とのことですので、意識的に自身のアウトプットの目標を定めて論文を執筆していたということでしょう。それが、ある年から急に論文が書けなくなってしまった、ということなのですから、この記事の主題である研究者にとってインパクトの大きい事象でしょう。自身のサイトでも言及していますし、掲載すべき事項だと思います。--111.188.3.140 2013年3月3日 (日) 20:06 (UTC)

要出典範囲など

3月から始まったIP書諸氏による加筆が一段落したようです。なかなか芸術的な筆法がうかがえて勉強になります。しかし、書かれている本人の立場から不適切と思われる箇所について、以下にコメントしておきます。また、一部については、要検証範囲を貼付しましたので、しかるべくご対応いただければ幸いです。

  • 「研究」節については、「また、査読なしの論文についても、かつては「毎年コンスタントに書いてきた」[7]と述べていたが、2003年夏ころから「雑文を書くのもしんどくなっている」[8]ことを理由に、執筆することができなくなってしまった。2004年に至っては、査読なしの論文すら一本も発表できない状態となった[7]。その後、2007年にも同様の状態となった[9]。」とあります。素直に読むと最後の文の「同様の状態になった」は直前の2004年と同じように「査読なしの論文すら一本も発表できない状態となった」ように見えますが、実際には出典とされているページにもあるように1本は論文を書いています。まあ、こういうのは五十歩百歩ですから0本も1本も「同様」とお考えなのかもしれませんから、間違いとまでは言い切れないのでしょう。実に巧みに印象操作をされているような感じがします。
  • 同じように、間違いとまでは言い切れないところで印象操作をされているような感じがしてしまう例は、「主張」節にも見受けられます。「主張」は、例えば「自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。また、その意見や持論。」などと説明される言葉ですが、「主張」節にある記述が「主張した」「主張している」にあたるものかどうか、元の記述を見れば疑問を感じるのではないかと思います。同様に、22文字で何かを「説いた」とされているのにも違和感を感じます。なお、「評している」の部分は問題ないと思います。
  • 「人物」節は、山田が紹介している、授業アンケートの結果として書き込まれたコメントを典拠として記述がされています。こうしたアンケートに書き込まれたコメントがあることは事実ですが、これを「度々抗議され」「厳しい非難の声が挙がる」「批判を受ける事態となった」と呼ぶのはいささか誇張というか、ある種の「大言壮語」ではないでしょうか。実際に、面と向かってこうした「批判」をされたことはありませんし、「声が挙がる」ことは経験していません。
  • 「それに対し、山田は自らの風貌について「何らかの対応をする考えはありません」[17]との考えを表明し、学生らに対して「不愉快に思われる方がいるとすれば大変遺憾ですが、現実的な対処法がない」[16]と反論している。」とありますが、ちゃんと出典を見ていただければ分かるように後半の山田のコメントは2005年度のもので、2009年度のものである前半のコメントに続けては、次のように述べています
容貌については、何らかの対応をする考えはありません。
体臭についての苦情は、山田が体質として多汗であり加齢とともにそれが著しくなってきていること、今回調査対象となったのが夏場の午後の授業で、前夜に入浴してから18時間以上が経っている状態だったことが関係しているかと思います。
考えられる対策としては、授業の直前(昼休み時間帯など)にシャワー/入浴する、制汗剤を使用する、といったことがありますが、来年度の夏学期までに具体的に対応を考えたいと思います。
冒頭部分を直前で引用しているのですから、明らかにこのコメントをご覧になっているはずなのに、山田が学生の苦情に対して何らの対応もしようとしていないような印象を与えるコメントをわざわざ過去にさかのぼって選び出してきたのでしょう?
「リカちゃん」のコレクションに入れ込む。(~8月)
 もともと、ここ数年少しずつ関心を広げてきてはいたのだが、いろいろきっかけがあって、「リカちゃん」人形のコレクションを一挙に加速させた。ターゲットは、タカラと他企業とのタイアップで作られる「ダブル・ネーム」ものである。そして、最後にオークションで大物(ANA 50周年記念CAリカちゃん 8体セット)を入手して、ひと区切りをつけた。およそ半年とちょっとで、数十万円をこの趣味に投じたことになる。思い入れのあるものはわざわざ出向いて受け取り、和歌山や福岡にも足を運んだ。
これは2005年に集中的に「リカちゃん」人形のコレクションを一挙に形成したことを述べている文章であり、ここで「ひと区切りをつけた」と述べているように、以降は「リカちゃん」人形を購入することはほとんどありません。様々なものに対する「収集癖」はあると思いますが、何かを徹底的に収集するというタイプではありません。実際、人形・玩具類は、収集対象の中では比重が高くないものです。「「リカちゃん人形」に対する収集癖があり」という記述をするなら、明確な典拠が必要でしょう。
  • 「趣味・特技」の小節の後半は、山田の研究主題の一つである音楽に関する記述があります。ここでも「主張している」の使い方が奇妙ですが、何より、研究分野についての記述を「趣味・特技」として位置づけるというのは、明らかに誤りですし、「Wikipedia:善意にとる」を考慮しても、研究者としての山田に対するからかいのような意図があるように思われます。
  • 「居住地」の小節にある「しかし、住民票だけは長野県南安曇郡穂高町(のちの安曇野市)に移している[1]。週末のみたまに訪れる別宅が、穂高町にあるためである[1]。」という記述は、あたかも山田が居住実態がない長野県の住所に、不正に住民票を置いているかのような印象を与えるものとなっています。典拠とされている記述は次のようなものです。
Q:家には帰っているのですか?
A:以前の回答はこうでした。
 「あまり自宅には帰っていません。普段の平日は、大学近くの下宿で寝ています。週末も信州の別宅へでかけることがよくあるので、自宅に連絡してもつかまる可能性は極めて低いです。」
 2003年に離婚したので、現在の自宅は大学近くのアパートです。当然ここしか帰るところはありませんので、帰っていますが、ここには電話もないので連絡のしようもないでしょう。連絡されたい方は、メールを送るか、研究室へお願いします。
(2004.02.09.)
 その後、2005年度から、長野県穂高町に住民票を移し、休日などはほとんどこちらで過ごすようになりました。
(2005.08.24.)
 2005年10月から、合併により安曇野市在住となりました。
(2005.11.28.)

離婚した直後の2003年の時点では、住民票は国分寺市にありました。その後、長野県の物置状態だった家に少し手を入れてまがりなりにも住める空間を作り、2005年以降は、授業期間中はほぼ毎週(週末に東京での用務や、他の場所への出張などがない限り)安曇野市の家に帰っていますし、長期休暇中はほとんど、長野県で過ごしています。「週末のみたまに訪れる別宅」というのは、住民票を移す前の2004年以前の状況に過ぎません。

  • 何より不思議なのは、既に「#「著作」節は内容過剰ではないか」で過剰ではないかと思う旨を書いている「著作」節です。この節の記述では、1990年代までは、とうてい主要著作とは思えないような、学会の発表要旨まで拾い上げて列挙しているにも関わらず、1998年以降の論文はいっさい例示されていません。もちろん,1990年代までにしても網羅的な列挙ではありませんが、当人としては取捨選択の基準が全く理解できません。基本的には、何らかの章を受けたりした論文などはないのですから、いっさい削除すべきものかと思いますが、こうしてどうでもよいものまで含めて、ある時期までのものを多数列挙し、以降を挙げないというのは、2000年代以降に全く論文を書いていないかのような印象を生むと思います。実際の山田の業績一覧を見ていただければ明らかなように、2000年代においても山田は査読のない論文は(2004年のみを除き)書き続けています。
  • なお、ここで書籍の共著とされているものは、分担執筆した論文集に過ぎません。文部科学省に提出される書類などの分類では分担執筆も「共著」に分類されますが、分担執筆は本来の意味の共著とは異なります。また、「共同執筆」とされているのは山田の発言が書き留められたシンポジウムの記録であり、山田は何も執筆していません。これらについては、明白な誤りですので、自ら訂正・除去します。--山田晴通会話2013年4月14日 (日) 13:31 (UTC)
業績に関係しないと思われるところは大きく削除しました。Wikipediaは無差別に情報を収集するところではありません。「授業アンケート」を元にするというのは、いわゆる内輪ネタであり、人物の業績の解説に結び付くものでありません。上のほうの「ご家族の経歴について」の節の同等の趣旨になります。--Los688会話2013年4月14日 (日) 13:38 (UTC)
Los688さん、早速ご対応いただき、ありがとうございました。残念なのは、本人としてはシリアスな研究対象と考えており、また、[その方面で科研費の支給も受けている]ポピュラー音楽研究に関する記述が、大学の刊行物や新聞などの出典があるにもかかわらず「業績に関係しないと思われる」と判断されたことです。もし、IP氏の編集によってこれが「趣味・特技」の節におかれていたためにLos688さんが「業績に関係しないと」判断されたのであれば、それは誤解ですので、適切な位置での記述の復帰をご検討願えないでしょうか。よろしくお願いいたします。--山田晴通会話2013年4月14日 (日) 22:05 (UTC)
(本人が自分の記事にあれこれ口出しするのは望ましいと思いませんが、)音楽については仰せの通り特筆性が高いと思い復帰しています。卒論(学士取得時の論文)は音楽に関してのもののような気がしますので「取得学位とは別に」という表現はどうかと思いましたが、研究の部分は修士課程からのことが書き出しになっているためそのまま引用しています。--Mount ricepaddy sunny st Gyeongju会話2013年4月15日 (月) 13:12 (UTC)

内容を統合したことを報告

2014年3月20日 (木) 17:47のバージョンと2013年3月30日 (土) 01:22のバージョンとを統合しつつ、こちらのノートの論議なども反映したのでメモしておきます。

  • 2007年にこの人物が「最終的に研究ノートを紀要に載せた」ことを明確に記載。
⇒「2004年と同じように「査読なしの論文すら一本も発表できない状態となった」ように見えますが、実際には出典とされているページにもあるように1本は論文を書いています」との指摘に基づき、出典先を確認し、疑念のわかないように明確に記載した。
  • 第44回衆議院議員総選挙についての論評部分の文末を「評した」と記載。
⇒「22文字で何かを「説いた」とされているのにも違和感を感じます」との指摘に基づき、より中立的で実態に近い「評した」と記載した。
  • リカちゃん人形は「収集癖」ではなく「コレクション
⇒「「「リカちゃん人形」に対する収集癖があり」という記述をするなら、明確な典拠が必要」との指摘があり、その詳しい様子については「コレクションを一挙に形成した」ものの、それ以降も継続的に「人形を購入することはほとんどありません」とのことなので、現時点ではコレクションを所持するものの現在進行形で収集しているとまでは言えないと思われる。したがって、「収集癖」ではなく「コレクション」に表現を改め。
  • 父親の実名を除去
⇒「当人の父親の実名を記載する必要があるのでしょうか」との指摘があり、実名を記載する必要性は薄いと思われるので除去。
  • 著作
⇒「節の記述では、1990年代までは、とうてい主要著作とは思えないような、学会の発表要旨まで拾い上げて列挙しているにも関わらず、1998年以降の論文はいっさい例示されていません」との指摘がありましたが、もし不完全なことろがあればだったら加筆するほうがよいとおもう。
  • 週末のみたまに訪れる別宅」を「週末などに訪れる別宅」に修正
⇒このノートでも意見の表明がされているが、少なくともこの話題について、別宅への帰宅頻度を「週末のみたまに訪れる」と週末だけに断定するすよぅな表現はのぞましくない。「週末などに訪れる」くらいがよいであろう。--以上の署名のないコメントは、111.188.34.50会話/Whois)さんが 2014年4月2日 (水) 04:50 (UTC) に投稿したものです。
  • 苦情について、解決策を検討すると表明して解決に向け動き出していることを明確に記載
⇒「山田が学生の苦情に対して何らの対応もしようとしていないような印象を与える」との指摘がなされているため、この人物が2009年に「来年度の夏学期までに具体的に対応を考えたい」と説明したことを明記し、この人物が解決に向けて動き出したことを明確に記載。--以上の署名のないコメントは、111.188.34.50会話/Whois)さんが 2014年4月2日 (水) 04:55 (UTC) に投稿したものです。

Los688さんとKs aka 98さんによる存命中の人物に対する嫌がらせ投稿について

  • コメント この記事については、上のとおり、山田晴通さんご本人をはじめ、幾つかの指摘事項が挙がっています。特に、山田さんは2007年に紀要に一本論文を発表しているのに、あたかも発表していないように見えると苦言を呈されています。その点についてより正確を期した表現に直されたのですが、Los688さんにより再び不正確な記述に戻されてしまいました。現時点でまだ存命中の人物である山田さんご本人が苦言を呈しており、かつ、出典元をみると山田さんのおっしゃるとおりですので、正確を期した表現に直すべきだと思います。にもかかわらず、あえて出典元の記述を無視して差し戻すのは問題ではないでしょうか。しかも、Los688さんは、出典元の記述を無視して、あえて山田さんにとって不正確な記述に直していますが、問題ではないのですか。Los688さんとKs aka 98さんは、山田晴通さんに対して嫌がらせ目的でこのような記述をなさっているのですか?--以上の署名のないコメントは、114.49.50.202会話/Whois)さんが 2014年4月2日 (水) 06:16 (UTC), 06:19 (UTC) に投稿したものです。
  • コメント この記事については、再三議論が挙がっているように、一般人の実名を挙げるべきではないと思います。せっかく一般人の人名を除去したにもかかわらず、Los688さんは、あえてまた実名を書き込んでいますが、何が目的なのでしょうか。しかも、その人物は山田晴通さんのお父さんだということで、その方の実名が挙げられています。しかし、その方と山田晴通さんとが親子であるという出典は、現時点では一つも出されていません。山田晴通さんのお父さんがある楽団でホルン奏者だったとことはある出典から明らかですが、その方の実名までは記載されていません。また、別の出典には、その楽団が演奏したときのホルン奏者の名前が確認できますが、資料観る限り複数名が在籍しているようです。加えて、演奏会に出席しなかった奏者もその楽団にはたくさん在籍しているでしょうから、この人物が本当に山田晴通さんのお父さんがどうかは一つも出典がない状態です。確かに苗字は一緒ですが、山田という苗字は珍しくないので、演奏会に出席しなかったホルン奏者の中にも山田氏がいる可能性はありますし、親子で同じ苗字かどうかも保証はありません。Los688さんは、全く出典もないにもかかわらず、山田晴通さんのお父さんだと称して一般人の実名を挙げているのですが、問題ではないのですか。親子関係なんて、個人情報に属するはなしでしょう。出典なしで書いていいと思っているのですか。Los688さんとKs aka 98さんは、山田晴通さんに対して嫌がらせ目的でこのような記述をなさっているのですか?--以上の署名のないコメントは、114.49.50.202会話/Whois)さんが 2014年4月2日 (水) 06:16 (UTC), 06:19 (UTC) に投稿したものです。
  • コメント Los688さんとKs aka 98さんは、「週末などに訪れる別宅」との記述を「週末のみたまに訪れる別宅」をに修正していますが、なぜこのようなことをするのでしょうか。これは山田晴通さんに対する明らかな挑発行動だと思います。「週末などに訪れる別宅」ともかく、「週末のみたまに訪れる別宅」などと「週末のみ」に限定し、あたかも生活実態がないかのような記述にわざわざ直すのはおかしいのではないですか。山田晴通さんによれば、講義がある週は週末に別宅を訪れるようですが、講義がない週は週末でなくても別宅を訪れているとしています。つまり「週末のみ」ではないということです。にもかかわらず、本人の説明を無視して、あえて山田晴通さんが「週末のみ」しか別宅を訪れていないかのような書き方に直すのは、いかなる理由があってのことでしょうか。「週末のみたまに訪れる別宅」とわざわざ書いて、あたかも別宅には生活実態がないかのごとく修正したということは、Los688さんとKs aka 98さんは何か確たる出典をお持ちなのでしょうか? このような書き方をすれば、生活実態がないところに住民票を不正に置いているかのように見られかねないと、すでに山田晴通さんからご意見が出されていますよね。それを無視するLos688さんとKs aka 98さんは、何が目的なのですか--以上の署名のないコメントは、114.49.50.202会話/Whois)さんが 2014年4月2日 (水) 06:25 (UTC) に投稿したものです。
  • コメント 以上、Los688さんとKs aka 98さんは、出典もないのに、存命中の人物である山田晴通さんに対して問題を指摘されかねない記述を書き込んだのですから、なぜそんなことをしたのか、その理由を説明してください。正当な理由がないのであれば、この場で謝罪すべきです。よろしくお願いします--以上の署名のないコメントは、114.49.50.202会話/Whois)さんが 2014年4月2日 (水) 06:28 (UTC) に投稿したものです。

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たしかにネット上には直接の根拠がないかもしれませんね・・・。少しトライしてみました。
まず、鎌倉市で「山田尚慶」で電話帳を探すとネット検索でも出てくるのと同じ住所にお住まいの1名みつかります
以前論文で言及のあった「藤沢市との境界に近い鎌倉市のはずれに住んでいた」、とありますがこのあたりの住所と一致しているようですが確信が持てません。
なお学部をでるまでは鎌倉市にすんでいたようですがさすがに住所までは書いていません。
またそもそも山田氏のご尊父は電話帳への名前の掲載をしなかったのかもしれません。
「山田の父はホルン奏者として「栄光フィル」に参加してきたが、この演奏会を最後に本格的なアマチュア・オケの演奏活動からは引退したとあります。
件の「山田尚慶」なるホルン演奏者もちょうどこの演奏会を最後に名前が消えていますから、演奏したにも関わらず、名簿に名前が載らなかった理由はともかくとして、同じ時期に同姓のホルン演奏者がふたり引退などされた可能性も否定できません。
したがって、関係者には自明の情報であっても父親認定するのには無理があると思います。
また仮に父親という根拠があったとしても記載すべきかは別のレベルでの議論が必要でしょう。--182.249.240.32 2014年4月20日 (日) 10:29 (UTC)
  • 182.249.240.32さんが挙げている出典については、状況証拠とはいえるかもしれませんが、断定するわけにはいかないでしょう。182.249.240.32さんは「関係者には自明の情報であっても父親認定するのには無理がある」といっていますが、その通りだと思います。
まして、Los688さんとKs aka 98さんは、182.249.240.32さんのように自分で出典を探す努力もせず、何の出典もないのに記事本文に書きこんだのですから、責任を取ってください。出典もないのに家族の実名や続柄といったプライバシーに関する情報を書き込んでよいのですか? 両名はいますぐ説明しなさい。
しかも、この人物は単なるアマチュアの音楽愛好家であり、一般人でしょう。作詞作曲などしているようですから、名前を隠しているとまではいえないでしょうが、明らかに有名人でも著名人でもありません。そんな人物の実名を記事本文に書きこんだのですから、責任を取ってください。単なる一般人の実名を書き込んでよいのですか? 両名はいますぐ説明しなさい。
しかも、このノートにおいて、この人物の実名は書かない方がよいのではないか、という方向で議論が進んでいます。積極的に載せる必要があると強く主張している人はいないはずです。結論はまだ出ていないと言い張るつもりかもしれませんが、実名は書かない方向で議論が進んでいたのは間違いないでしょう。ノートでの議論を一切無視してまで実名を書き込む必要があるのですか? 両名はいますぐ説明しなさい。
Los688さんとKs aka 98さんは、ノートでの議論を一切無視ししてもよい特権があるとでも言うのでしょうか。一般人の実名を書いても許されるという特権があるとでも言うのでしょうか。それとも、ただ単に山田さんのご家族に対して嫌がらせをしたいだけなのでしょうか。山田さん本人ならともかく(もちろん山田さん本人に対しても嫌がらせはダメですが)、なんで山田さんの家族である一般人を標的にこのような行為をおこなうのでしょうか。極めて卑劣かつ悪質な行為だと思います。きちんとした理由があるなら説明してみてください。ないなら謝罪のうえ、二度とウィキペディアに書き込まないでください。--111.188.102.211 2014年4月23日 (水) 13:24 (UTC)
横から失礼します。
「出典もないのに家族の実名や続柄といったプライバシーに関する情報を書き込んでよいのですか? 両名はいますぐ説明しなさい。」というのは誤解です。
名前の見える両名がされたのは、出典付きの記述の復帰だと思います。
もともと出典のある記述を削除する場合は、先にノートで議論を行うのが原則ですから、ろくに議論もされていなかった段階で削除された記述を復帰すること自体は何ら問題ありません。
なお、利用者:山田晴通さんのページ自体で、「山田晴通については、客観的な記述であるWIkipedia の記載をご覧ください。」と数年来載せていることから、山田尚慶氏が父親であることも含めた記載自体は少なくとも本人にとっては「客観的な記述」であったわけです。
(そうでなければ、他の例(上のノートか、氏の所属する学会の(分離前のページの)ノートなど)を見れば自明の通り、ご賢明な氏が本ノートで既に問題提起をしていたでしょう)
もちろん、以上を踏まえても記載すべきか(除去すべきか)は別の次元での議論が必要でしょう。
とるに足らない人物を百科事典がいちいち採録したり、 いたずらに人名をさらすことについては山田さんが最近関わっている他の記事でも議論になっていますね(ノート:白十字 (国立市の洋菓子店)Wikipedia:井戸端#「新聞に載った人名なら、ウィキペディア上で人名を晒して問題ない」というのは本当か?)。--133.30.18.85 2014年5月17日 (土) 05:04 (UTC)