ノート:大田原市

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他国語版における大田原市の記事について[編集]

英語版における大田原市の記事においてしばらくの間、光真寺境内の画像数点が大田原市を代表する風景の画像として用いられていたことがありアラビア語版オランダ語版では、現在も同様の状態になっています。

光真寺は大田原氏一族の菩提寺であり大田原市とも歴史的な繋がりが深いことや(昨日、長い間赤リンクだった光真寺の記事を立項しました)、以前はコモンズにも大田原市の画像が少なかったという事情があることは十分承知しているのですが、それでもなお正直「なぜ光真寺?」と思わないこともありません。特にタジク語版では大田原市を代表する風景として光真寺の観音像が記事の冒頭に掲載されていたので、見かねて先程修正しました

アラビア語版とオランダ語版も何とかしたいと思っているのですが、その際にはタジク語版の記事と異なり解説文の修正が必要であり、外国語には明るくない私には荷が重く感じます。ギャラリーごと除去する程でもないように思え、対処を決めかねています。アラビア語やオランダ語に堪能な方が修正していただければ最善なのですが、長期間そのままになっている現状を見る限り、それもあまり望めないように思えます。何かよい知恵はないものでしょうか。--Kanohara 2010年4月23日 (金) 19:40 (UTC)[返信]

大田原市の発展と国際医療福祉大学の関連性[編集]

2010年5月19日 (水) 01:57 (UTC)の加筆で、平成期に大田原市が発展した主要な理由は国際医療福祉大学大田原キャンパスの開設にある、と読める文章が加筆されたのですが、実際どうなのでしょうか。もちろん、医療福祉大学の開設は大田原市の案内でも教育に関する一つのトピックとして取り上げられている話題ですし、同大学の誘致がキャンパスのある北金丸地区周辺の発展に寄与したこと自体は多分に事実でしょう。ですが、大田原市全体の話として記事冒頭に記述する内容としては、この出来事を市の発展と結びつけて論じるには大袈裟に思え、大言壮語ではないかという印象を受けました。

いや、単に私がそういった常識を知らないだけで、大田原市の発展に国際医療福祉大学大田原キャンパスの開設が寄与したことは疑いようがなく、関連性を示すデータもあり、(国際医療福祉大学の宣伝ではなく)識者の間ではそのような言説が主流となっていることを示す出典がある、というのなら話は別なのですが、そうでない場合は話半分の内容として{{要検証}}をつけておくか、記述を除去するかしておいた方がよいと考えています。--Kanohara 2010年5月20日 (木) 14:32 (UTC)[返信]

報告 その後出典の提示がありませんが、やはり記事冒頭に置いておく記述としてはやや大袈裟に思えるので、記述内容を「教育」の節へと移動しておきました。--Kanohara 2010年10月28日 (木) 08:21 (UTC)[返信]