ノート:国鉄485系電車

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refラベルとページ番号との不一致について[編集]

先ほど、参考文献にある出典について参照方法を{{Sfn}}を使う方式に改めましたところ、アンカーで示されているページ番号と出典元のページ番号とに齟齬があるものが見つかりました。明らかな誤記であるものを除き、{{要検証}}を貼りましたので、検証のほどお願いします。またページ番号が欠けているものについては{{要ページ番号}}を貼らせていただきました。--Licsak会話2024年3月24日 (日) 23:00 (UTC)[返信]

{{Sfn}}に変更されたそうですが,その際,refタグの終了タグも取ってもらう必要があります。見つけ次第削除させておりますが,きちんと削除してください。
--Sakura Taio会話2024年3月29日 (金) 08:52 (UTC)[返信]

削除箇所サシ489形とサシ181形改造車ほかは?[編集]

脚注を含む記述の削除について、かなりの記述は改訂版で典拠をつけ、回復されたようです。

読み比べたところ、以下の記述の一部は、除去されたままのように見えます。誤読でしたらお許しください。

サハ489形1両はサハ481形改造車を充当。サシ489形1両はサシ181形改造の100番台を充当。1973年製造車は「白山」3往復化と間合い運用の「あさま」1往復投入名義で製造された12両×2編成と1972年下期製造車組込用サハ489形2両。1973年3月15日より「白山」運用が移管されたこともあり、本グループより新製配置が金沢運転所に変更された。

検証して復活できる人はおられませんか? 除去の範囲をかなり復活してくださり、典拠も{{sfn}}構文で照合可能になり、とても読みやすくなりました。上記の部分も、可能なら解決していただき、事実なら復活を検討してくださると読者として大変ありがたいです。

この場合は、「大ナタを振るって典拠付きの記述を削った」というボットの判断はさておき、このような鉄道史の一コマは、真実であるなら、そしてあくまでも妄想ですが、後世に別の記事の種になるかもしれません(アジアに流れて現役運行など)。よろしくご検討ください。

なお、改版が重なって見づらいため、除去された部分を上記の差分より、転記しておきます。下線部は復活済みです。

ハ489形は下り方が200番台、上り方が600番台に区分された<ref name="rp201411_p23 /">。600番台のCPは0番台車の容量を合わせるため容量2,100 L/minのMH113-C2000<ref name="485Story_205" />を2基搭載としたほか、連結器を密着連結器として解放テコを廃止した<ref name="rp201411_p23" />。前面ジャンパ連結器は奇数向き車が運転席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形・助手席下側にKE9形三相引通、EF63の押し上げと連結する偶数向き車は運転席下側にEF63協調制御用KE70形とKE9形三相引通・助手席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形の構成となった。

〈以下、部分的に除去された。〉
モハ488形は冷房装置を集中式のAU71形へ変更により乗車定員が8名増加となったため200番台に区分されたが、モハ489形は冷房装置をAU13E型へ変更したのみで続番となったことから、それまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。本グループではモハ489-16+モハ488-201 - モハ489-30+モハ488-215の15組30両が該当する。付随車はモハ489形同様に冷房装置変更のみのため基本番台からの続番を踏襲するが、サハ489形は初期型でCP搭載改造を施工された1 - 4→201 - 204に対応して5-を附番し、新製当初からCPを搭載するほか、1986年までに他形式へ改造された。

1972年下期製造車は向日町運転所へ「白山」2往復化<ref group="注">1972年11月25日より急行「妙高」1往復の運転区間延長を兼ねた格上げ。</ref>と

(以下省略)。--Omotecho会話2024年3月28日 (木) 05:19 (UTC)[返信]