ノート:吉村裕基

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Wikipedia:ウィキプロジェクト スポーツ人物伝#記述の注意に基づいてプレースタイルの項目についての修正を実行します。

  • どんなボールに対しても思い切ってスイングを仕掛けていくため
プロ入り後から2009年までの時点で四球が117記録されている。つまり、少なくとも468回以上はボールに対してスイングをしていない事から上記の記述が正確でない事が証明できるため削除。
  • 死球による故障離脱が多い。同様に三振が多いのも特徴。[要出典]
方針「原則としてユーザーによって選手の能力の高低・優劣を定義しない。選手が所属する競技機関や競技規約が能力の基準を設けている場合はそれに準じ、どの基準における定義であるかを明確に記述する。」に基づき、NPBが公式に定義する「死球による故障離脱の多少」「三振の多少」の基準を出典として明示する事。
  • 一塁守備は失策が記録されないミスが目立ちコンバートは成功とは言えず、外野守備は安定性に欠けるものの強肩でそこそこの俊足な為、2008年より再び外野手に復帰した。[要出典]
方針「選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。」に基づき、誰が該当選手に対し「失策が記録されないミスが目立ちコンバートは成功とは言えない」と評価しているのかを出典として明示する事。また、方針「原則としてユーザーによって選手の能力の高低・優劣を定義しない。選手が所属する競技機関や競技規約が能力の基準を設けている場合はそれに準じ、どの基準における定義であるかを明確に記述する。」に基づき、NPBが公式に定義する「外野守備の安定性の高低」「肩力」「走力」の基準を出典として明示する事。および「強肩でそこそこの俊足」と「外野手に復帰」の因果関係を示す出典を明示する事。
  • 中学時代は福岡ライナーズに所属。
単なる経歴でプレーの特徴でも何でもないため経歴へ移動。
  • 高校時代は投手も兼任していて最速147km/hをマークしたこともあり、強肩であるが、2007年頃から守備、走塁などで怠慢なプレーが目立つ様になったため、コアなファンから「真面目にやれ」、「プロなら全力で走れ」などと痛烈な野次を飛ばされる場面が多々見受けられる。この蔑ろなプレーから強肩のイメージが弱く、走者からの警戒が薄いので、補殺の数が多い。[要出典]

「強肩」「俊足」に関しては上記に同じ。方針「原則としてユーザーによって選手の能力の高低・優劣を定義しない。選手が所属する競技機関や競技規約が能力の基準を設けている場合はそれに準じ、どの基準における定義であるかを明確に記述する」「選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。」に基づき、高校時代の投球の最高球速とプロ入り後の肩力の因果関係、怠慢なプレーを行うようになったのが2007年からである事の出典、NPBが公式に定義している「怠慢なプレー」「目立つ・目立たない」「コアなファン、ライトなファン」の基準、上記のような野次が多々見受けられるという出典、「この蔑ろなプレー」と「強肩のイメージが弱い」の因果関係の証明、「走者からの警戒が薄い」事の証明、NPBが定義する補殺数の多少の基準および「走者からの警戒が薄い」事と「補殺の数が多い」事の因果関係の証明を出典として明示する事。

  • また、足も速く2009年には二桁盗塁を記録しており、
「足も速く~記録しており」は方針「選手の能力を裏付ける評価やエピソードがあれば記述してもよい。ただし、それらの評価やエピソードから選手の能力をユーザーによって結論付けない。」に抵触しており、かつ足の速さに関しては前述までで出典を求めているので「足も速く」を削除。
  • 吉村自身は「来年はゴールデングラブをとりたい」と、契約更改時に話している。

単なる抱負であり、かつ文章として前後関係が繋がっていないので削除。

要出典範囲について1ヵ月以内に出典が明示されない場合は方針に基づき記述の削除を実行いたします。なお、方針はwikipediaユーザーによる合意によって決定されたものであり、方針に従わない修正や要出典タグの取り消し、復帰等を行った場合は投稿ブロックなど然るべき処分を依頼する事になります。--Kridro 2010年4月21日 (水) 04:24 (UTC)[返信]

全球団から本塁打について[編集]

2014年の対横浜DeNA戦で達成したことになってますが、これは正確なのでしょうか?ニッカンスポーツで吉村、史上初全打順&全球団弾も実らず記事になったのは確かですが、それ以外の新聞社の記事になってるのは見当たりませんし(全部確認したわけではないので、確実とは言いませんが)、ニッカンの記事では去年6月の相川以来28人目とありますが、パ・リーグ公式サイト[1]の2013年終了時点での達成者は5月の糸井までとなっており、相川に関しては去年の週刊ベースボールで記録の掲載は確認取れてません(これも確実とは言えないですが)ので、はたしてニッカンの記事が正確なのかが判断できません。相川はともかくとして、吉村についてニッカン以外での記事等ありましたら、提示をお願いします--須磨寺横行会話2014年5月30日 (金) 15:54 (UTC)[返信]

私も探しては見たのですが、ネット上ではそういった記事は見つかりませんでした。プロ野球ヌルデータと言うサイトでは確認できたのですが、個人サイトのようなので除外します。後は紙媒体を当たるしかなくて、毎年12月に発行されるベースボールレコードブックに記載があるか否か?又はシーズンオフに発売されるであろう、『2014年シーズン特集号』などの雑誌に記載があるか否か?又は来年発行される選手名鑑の吉村の寸評に当該記述があるか否かをチェックするしかなさそうです。ただ紙媒体でも日刊スポーツ発行のものは除外すべきかもしれませんね。--途方シネマズ会話2014年10月24日 (金) 06:09 (UTC)[返信]
ベースボール・マガジン社「週刊ベースボール10月31日増刊 福岡ソフトバンクホークス優勝記念号」のP.47にて、「5月29日 吉村裕基がDeNA戦(横浜)で、移籍2年目で古巣から初の本塁打を放った。これで吉村は現存する12球団すべてからの本塁打を記録した(プロ野球28人目)。」とあり、吉村が記録達成している旨、また27人目(おそらく相川)が存在していることを記載しています。対中日21HR、対広島20HR、対巨人18HR、対阪神14HR、対DeNA1HR、対西武10HR、対オリックス4HR、対ロッテ4HR、対日本ハム2HR、対楽天2HR、対ソフトバンク1HR。計117HR。以上より、ニッカン以外のソースがあるため正しい記録であると考えられます。--Garaxyx会話2014年11月29日 (土) 14:04 (UTC)[返信]