ノート:古富士泥流

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「宇津湖」に関する記述をとりあえずコメントアウトしました。この湖の存在は現在では否定されています(富士五湖山中湖忍野八海の各項を参照)。また、御殿場泥流は噴火史上は新富士時代に属するものなので(本項でも「古富士泥流」は「2〜3万年前の噴出物」、「御殿場泥流」は「2900年前の噴火」による噴出物とある)、「古富士泥流」の項目で記述するのは誤解を招くのではないでしょうか?--Sorafumi会話2017年4月16日 (日) 16:27 (UTC)[返信]

相模川流域について[編集]

現行版で相模川流域については「北東では山梨県の都留市から大月を経てさらには富士山から約40キロメートル先の猿橋まで、」としていますが、もっと先の神奈川県相模原市南区の無量光寺参道まで到達していて、同市地形・地質調査会では富士相模川泥流と定義しているそうです[1]。また相模原市立博物館では地層模型の展示もしているそうです[2]。一般の方のブログですが、Loc.5[1]の山王坂については、こちらのブログも参考になります。

脚注

  1. ^ a b 武原未佳、白井正明、宇津川喬子、河尻清和「富士相模川泥流の堆積学的特徴とその流下機構に関する考察」(pdf)『相模原市立博物館研究報告』2017年3月31日。 
  2. ^ 富士相模川泥流調査”. 相模原市立博物館の職員ブログ. 相模原市コミュニティサイト運営プロジェクト (2019年5月15日). 2022年8月22日閲覧。

--アッシュ・テ会話2022年8月22日 (月) 14:28 (UTC)[返信]