ノート:内村鑑三

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冒頭に

人格的には慈愛に満ち、高潔で、強固な意志の持ち主である反面、非常に短気で激昂しやすく、人間の好悪の感情が強く自分に好意を示してくれる人には信義が厚いが、その反面、反対者に対しては辛辣な攻撃を加える二面性があったとされる。

との文がありますが、この文章の根拠は何でしょうか? 書名だけでも示して欲しいと思います。また、この文の内容自体を見てみても、最初に「人格的には慈愛に満ち」としながら、「好悪の感情が強く」、「二面性があった」というのは矛盾ではないでしょうか。さらにいえば、このような二面性は、特筆すべき点なのでしょうか。「高潔で、強固な意志の持ち主であった。」で済むのではないでしょうか。--Shinya1739 2005年12月30日 (金) 14:19 (UTC)[返信]

偉人といわれる人にも、その反面大きな短所を持つということは内村においても例外ではありません。
例えば、友人某に対し、自分の気に入らない人間との交際を絶つように執拗に書簡を送っています このようなエピソードは公刊されている資料のみではなく第一次的な資料もあたることによって確認できる事実です。まず、既存の資料を権威付けてそれに頼るのではなく、まず自ら足を運び情報を確認する努力をしてください。
「人格的には慈愛に満ち、高潔で、強固な意志の持ち主である反面、非常に短気で激昂しやすく、人間の好悪の感情が強く自分に好意を示してくれる人には信義が厚いが、その反面、反対者に対しては辛辣な攻撃を加える二面性があったとされる」というアンビバレントな感情を持つことは決して矛盾ではありません。むしろそれこそ虚飾を排した生身の人間の姿ではないでしょうか。  後世の歴史家や小説家によって作り上げられた、イメージをそのまま受け売りするのではなく、まず事実を確認し、自分の頭で分析し、判断するトレーニングを詰まれることをお勧めします。  がんばってくださいね。~~

一次資料ですか。全集の何巻に入っているのかその巻数だけでも欲しい、と思っていたのですが。確かに私は全集に当たってみるだけ動いていませんでした。これから調べてみようと思います。
しかし、あなたが例えで出してくれた書簡の文、「自分の気に入らない人間との交際を絶つように執拗に書簡を送ってい」る、についていっても、内村の「二面性」を明らかにするに足りないと思います。信仰・信条をもっている人間が自己の信仰・信条に反するような人間に反発するのは当然ではないでしょうか。外部的に見て、内村が二人の人間に対して、一人には優しく、一人には厳しくあたっているからといって、彼が二面性を持つとはいえない。冒頭の文章で問題なのは、その内村の信条が、ただ内村個人の「好悪の感情」つまり「恣意」で決められるものである、つまり信条とはとてもいえないものに由来していると表現されていることです。
好悪の感情によってものごとを判断することと、(慈愛に満ちた)信仰者であるということは、論理的にいって、全く同居不可能な事実だと思います。それを矛盾がないとして書くのなら、既に1つの人間の見方を読む人に提供しています。それは暴露趣味といえないでしょうか。
私としても、別に内村を聖化するつもりはありません。ただ、生身の人間を求めようとするあまり、暴露主義の方に、自然主義的な人間の描写のほうに傾くのは防ぎたいと思っているだけです。--Shinya1739 2005年12月31日 (土) 05:36 (UTC)[返信]

ある個人の人格的評価はその人間の行った行為やエピソードによって判断するしかいないでしょう。  例えば極端な例ですが、どんな善行を積んで、学識のある立派な人物でも一度、痴漢行為をすれば全人格がその行為によって判断されることは致し方ないでしょう。  私の文章をもう一度読んでいただければ分かると思いますが、「内村が二人の人間に対して、一人には優しく、一人には厳しくあたっている」ことを以て彼の短所としているのではないのですよ。  氏が自分が嫌いな人物への評価を、(主体的判断をもってしかるべき)第三者にも自分の好悪の感情を押し付けようとしたした事実を指摘したまでです。これは明らかに一般に流布している人格者としてイメージとは違うものですね。  しかしながら、氏の偉大な業績と、氏が自分が友情を感じる人間には友誼に篤かった事は、否定できない事実です。  氏の二面性をありのままに認め客観的に記述することがwikiに求められていることではないでしょうか。  
PS. 歴史学で言うところの「一次資料」の意味をもう一度確認してみてください。  上記のエピソードは内村の研究者ならば誰で知っていることです。もし出来れば、それらの方に直接連絡を取って聞いてみるのもいいかもしれませんね。~~

ウィキの一次資料をみて確認しました。私の前の文は、私自身、研究者と親しいわけではなく図書館が唯一の情報源なので全集のどこに書いているかを示してくださるのなら、そのようなエピソードを確認できるのに、と思ったまでです。
「氏の偉大な業績と、氏が自分が友情を感じる人間には友誼に篤かった事」は全く矛盾していませんよね。それがなぜ「二面性」に至るのか、それが分からないのです。
私の勉強不足がまず一番にあるので、来年、勉強していきます。どうもありがとうございました。--Shinya1739 2005年12月31日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
全然関係ないことですが、署名は--~~~~と入力すればできます。

内村鑑三のご子息、内村祐之氏が書かれた父親の自伝『内村鑑三』にも鑑三の多様な側面について記述されています。 鑑三はいったん人が嫌いになると許せない達で、友人たちにもその人間と付き合わないように働きかけているというエピソードがあります。このエピソードは祐之からではありませんが。2006年6月7日 (水) 14:26 (UTC) 220.159.18.109

氏と交友のある人に対して一度期に異なった対応(個別の対応が背反する)を行わないと、氏に二面性があるとは、言えないと思います。「一旦人を嫌いになると許せない性質(たち)」と「友人にも付合わないようにと...」と言う表現では、単に人への対応を原因(嫌いになった)に基づいて変えただけで、それぞれ、頑固者(一度決めたらテコでも動かない)でお節介焼き(人に自分の意見を押し付ける)とは言っても、二面性があるとは言えません。別な根拠を挙げてください。--Yuan.C.Lee 2006年6月7日 (水) 17:00 (UTC)[返信]

彼が二重性格云々であるということを示したかったのではありません。祐之が述べられていることは外に対し温和な人柄を演出する反面、親しい友人や家族に対しては虚飾を配した生の人間性を曝け出すという内弁慶的なエピソードを語っているのではないでしょうか2006年6月7日 (水) 21:18 (UTC) 220.210.8.192 [投稿記録[1]]


割り込みます。人の書き込みを「悪戯」と決め付けるのはまずいでしょう。あなた自身は「内村鑑三」の記事を充実させようともしないのに。てっきり私は去年の終わりにあなたに勉強不足を注意されたとき、これから資料をよく読んでいるあなたがこの記事を強化していくものと思っていました。ところが、今回もあなたは「二面性」云々の文章を守るためだけに現れ、ブロック依頼までちらつかせている。(だいたいあれからずっとIPのままでアカウントをとろうともしないことが、あなたのまじめさを疑わせます。)あなたは価値判断と事実の違いについての理解があいまいです。「外に対し温和な人柄を演出する」という解釈が既に公平性を欠いているのです。くだらない一文の保守(あなたがご執心の一文が内村鑑三の業績全体に較べてどれほど重要なのか。)に労力を使われるぐらいなら、ぜひ、記事全体の充実に努めてください。あなたがノートで資料を小出しにして説明になっていない説明を繰り返されるよりも、記事を充実させ記事全体で包括的な理解を促し、勉強不足で内村の「二面性」に気づかない人たちを啓蒙されるほうがはるかに意味のあることです。--Shinya1739 2006年6月8日 (木) 16:44 (UTC)[返信]

Yuan.C.Leeさん
Shinya1739さんがおっしゃられているように「人の書き込みを「悪戯」と決め付け」削除するのではなく、発展的なウィキの加筆にご協力ください。2006年6月8日 (木) 22:56 (UTC) 220.210.14.66 [投稿記録[2]] [返信]

利用者:220.210.14.66氏へ

本文を編集で開いて内容をご確認ください。私は、イタズラと判断してはいません。2重に表記されることを避けただけです。
時系列では以下の通り。
2006年6月7日 (水) 11:29 Yuan.C.Leeが記事概略部分の二面性を含む文章を発見。コメントアウトとともに根拠明示を要求
2006年6月7日 (水) 12:00 220.159.18.109が具体的根拠明示を行わなず、また、記事概略部分への変更を無視し、同記事の「生涯」の部分に新たにまったく同じ文章を記載
この時点で、具体的根拠の明示なし
2006年6月7日 (水) 14:09 Yuan.C.Leeが220.159.18.109の対応が一貫させず、また記述内容が、二重になっていることから、新たな追加生かされた全く同じ文章のみを削除。再度根拠要求。
2006年6月7日 (水) 14:24 220.159.18.109 が記事概略部分をそのままに「生涯」の部分に再度同じ内容を追加。
2006年6月7日 (水) 14:26 220.159.18.109 がこの時点で初めて根拠明示
2006年6月7日 (水) 14:33 220.159.18.109 が本記事を保護化。
つまり、根拠明示と、編集の焦点を分散させることない一貫性を220.159.18.109氏に求めたまでです。
彼の根拠を示さずに記述箇所を変えて(概略→生涯:この時点で意図的に根拠の明示を避ける思惑が見て取れ)、再度まったく同じ文章を投稿するのは、イタズラといっても過言ではないと言えますが。

(ここから本論)

記述内容が事実であり、誤解を与えない内容で、一般人にない特筆すべき内容であれば、当然、百科事典として記載されるべきものでしょう。
ですが、再度申し上げます。「人間の好悪の感情が強く自分に好意を示してくれる人には信義が厚いが、その反面、反対者に対しては辛辣な攻撃を加える二面性」を本人の変わらぬ人物評として、記事に表現するには、いささか根拠が薄いと考えます。
理由1 現在まで根拠として挙げられている事例は1つのみ。
理由2 しかも、1つの事例では、単にその時だけとも取れる。
理由3 辛辣と表現する具体的根拠が挙げられていない。
1つのエピソードから、類推して人物評を書くのは危険すぎます。人物評としたいなら、同様な事柄の他の例の提示が必要と考えます。
これにより、本人の行動が一時的な行動(単なるエピソード)であるか、一般的行動である(人物評として記載されるに値する)のか初めて、分かるでしょう。
さらに反対者がどの程度の反対であったのか、氏に攻撃的な反応が在ったのかなかったのか?も疑問です。相手も辛辣な行動であるなら、当然辛辣な行動で対応するでしょう?
もし反対者から、攻撃的な反応があれば、それに対して、当然、自分の地位、名誉、財産など、個人の生活を脅かすものであるわけですから、例えそれを攻撃しても、人間一般に認められる防御反応の域を出ません。(これは一般人の反応である。)
よって
(要求1)エピソードをエピソードとして記述するか、一般的な人物評とするための新たな根拠を提示することを要求します。
(要求2)議論をしたいなら、限定でもよいので、誰の発言かを特定できるように署名をして下さい。一つ一つ相手が誰であるかを見るために履歴を確認しなければならないのは、負担です。IPでは発言者が誰なのか?特定が不可能です。"二面性表記推進論者No.1"などのように、議論の場だけでも特定できるようにして下さい。

--Yuan.C.Lee 2006年6月9日 (金) 07:31 (UTC)[返信]

Wikipedia:ログインの仕方をお読みください。
「もちろんウィキペディアの記事を編集する際にもログインする必要はなく、誰でも自由に、好きな記事を編集できます。」 とあります。ログインするかしないかは個人の裁量にまかされています。ウィキは完全な匿名の世界ですから、遺恨や削除合戦を回避したりする目的で色々使い分けることが許されているのです。まずルールを理解して、それに則って礼節ある行動を示されればこちらも敬意を表します。2006年6月9日 (金) 10:23 (UTC)--以上の署名のないコメントは、 220.210.3.186 会話/220.210.3.186 Whois)さんが に投稿したものです。--追加 Yuan.C.Lee 2006年6月9日 (金) 15:32 (UTC)[返信]

だから、(要求2)を要請する根拠はWikipedia:ログインの仕方にある「アカウントを持つことの利点」を読めば分かります。
なお、(要求1)を満たしていません。証明責任は、事実であると言うあなたの側にあります。適切に対処してくださることを望みます。--Yuan.C.Lee 2006年6月9日 (金) 15:32 (UTC)[返信]

まずあなたが理解されていないようでしたのでご指摘したのです。「「アカウントを持つことの利点」を読めば分かります。」ではなく、 まず自分の理解が不十分であったことを説明し、謝意、理解した旨、書くことがまず常識的対応ではないですか?一方的に自分の要求を突きつけるやり方は礼節にかけていると思いませんか?まずあなたが冷静な対話をするスタンスを示されるか確認して対応したいと思います2006年6月9日 (金) 21:01 (UTC) --以上の署名のないコメントは、 220.210.127.230会話/220.210.127.230 Whois)さんが に投稿したものです。--追加 Yuan.C.Lee 2006年6月11日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

(要求2)について
あなたは、他者には、Wikipedia:ログインの仕方をお読みください。と言いながら、私がその中にあるIPユーザーの問題を指摘すると、要求するな!とおっしゃるのですか?
どちらが正論かは、おのずと分かるでしょう。
Wikipedia:ログインの仕方には以下の通り記述されています。
「IPアドレスは場所によって、あるいは接続状態によって変化したりするので、それが確実に一人の人物であるとは他の人には分かりませんし、何より数字の羅列は他の利用者の記憶に残りにくくなります。利用者名があれば、記事が変更されたとき、それが誰によるものかが容易に分かります。アカウントがあれば、自らの利用者ページ(マイページ)を持つことができるので、そこにちょっとした自己紹介を書いたり、自分の利用者名の会話ページで他の人と会話をすることができます。」
つまり、あなたは、確実に一人の人物であるという状態での「議論」誰が誰だか分からない、論旨に一貫性があるのかどうかさえ分からない。そういう状況であなたが議論を要求していると言うことをまずご理解ください。
(要求1)について((要求1)の詳細は "2006年6月9日 (金) 07:31 (UTC)" の投稿をご覧下さい)
(要求1)はあなたが、IPユーザーであろうが、特定ユーザーであろうが、あなた(?断定は不可能)が記事に記載した内容を裏付けるための根拠を要求,あるいは、記事を推論に基づくことなく正当な表現にすることを要求しているだけです。
これに答えられない場合は、あなたの側に根拠がない、あるいは、正当でない表現をWikipediaに書き込もうとしている人物と判断されますが?いかがですか?--Yuan.C.Lee 2006年6月11日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

<<「あなたは、他者には、Wikipedia:ログインの仕方をお読みください。と言いながら、私がその中にあるIPユーザーの問題を指摘すると、要求するな!とおっしゃるのですか? どちらが正論かは、おのずと分かるでしょう。」<<
ウィキにはルールが存在し相手がそれに準拠して対応しているのに、自分の気に入らないならば駄々をこねる。困った方ですね。
PS.他人の書き込みを書き加えたり、改作することはブロックに値する行為ですよ。2006年6月11日 (日) 07:49 (UTC)