ノート:京都市電梅津線

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項目重複[編集]

この項目は京都市営トロリーバスと重複していますので速やかに削除を検討お願いします。--Miami 2007年9月2日 (日) 00:05 (UTC)[返信]

↑これは二年前に書いたものですがそのまま存続してるようなのでしばらく様子見です。--Miami 2009年8月7日 (金) 13:32 (UTC)[返信]


改名提案[編集]

先走ってごめんなさい。トロバス梅津線も京都市電の一路線です。トロリーバスは京都市電から分離した事業ではないので、京都市営トロリーバスとは別の項目として、路線としての「京都市電梅津線」への改名を提案します。--Kioto 2009年8月6日 (木) 03:58 (UTC)Kioto[返信]

提案の後から編集内容の要約なしの荒らしにあってるみたいだから改名提案とかは早々に取り下げたほうが無難ですよ。--211.131.238.219 2009年8月7日 (金) 13:20 (UTC)otsu-kiyo[返信]
要約しないと荒らし扱い、という決めつけもいかがなものかと。--Miami 2009年8月7日 (金) 13:32 (UTC)[返信]
== お断り ==
211.131.238.81氏へ。私は廃止当時、トロバス沿線住民であり、その当時のありのままを書いております。何を言ってもわかっていただけないみたいなのと、編集合戦になるのも嫌ですので静観いたしますが。
それと、呼び捨てはやめてくださいね。--Miami 2009年8月8日 (土) 01:20 (UTC)[返信]
ちなみにリアルタイムで現状を見ていましたが、残存する資料と食い違う場合も多々あります。御前車庫がトロバス車庫として機能していたのも、京都リハビリテーションセンターに転用されたのもすべてこの眼で見てきました。ラッシュアワー時に松尾ー西大路四条間で折り返す系統もありましたっけ。小学校時代の地図とか出てきたらその内、きちんと記述します。--Miami 2009年8月8日 (土) 01:30 (UTC)[返信]


皆様、度々ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

ところで、嵐は止んだようですね。どうやら裏付けの無い「40年前の記憶」を Wiki に編集されていたようです。だから「交通局」が戦時中に出てきたり矛盾する話が出たりするんですね。様子見と言いながら編集に参加してくるというのも矛盾しています。「四条車庫」の跡地についても出てくるのは「京都リハビリテーション・センター(正確には京都市身体障害者リハビリテーションセンター)」だけで、「ラポール京都」や「四条消防出張所」等は出てきません。「記憶」に無いからでしょうか。「ラッシュアワー時に松尾ー西大路四条間で折り返す系統もありましたっけ」って正に「記憶」です。運行系統についてはもう既に編集されているのを見てないのでしょうか。車庫がトロバス車庫として機能していたかどうかという問題ではなく、情報に裏付けがあるかどうかです。「四条車庫」は検索すればいろいろと見つかりその存在を確認できますが、「御前車庫」は検索しても Wiki を情報源とするものしか見つからず裏付けが取れません。なぜ Wiki だけが情報源なのでしょうか。「小学校時代の地図とか出てきたらその内」ってこれまで編集したことの裏付けをまだ取ってないんですか

そこで、嵐も止んだようなので取り下げた改名提案を再提案します。梅津線は京都市の電気軌道事業の一路線で市電路線網の中に組み込まれていました。有軌条期間は13年、無軌条期間は11年と有軌条の方が歴史が長く、市電梅津線として有軌条期間と無軌条期間を通して編集する方がよいと考えます。京都市のトロバス全般(使用車両等)については京都市営トロリーバスで編集し、梅津線は路線としての編集に特化しては如何でしょうか。よろしくご議論をお願いします。議論期間は2週間を考えております。 --Kioto 2009年8月10日 (月) 04:45 (UTC)Kioto[返信]


最後に[編集]

誤った資料をもとに何も知らない者たちが歴史を改竄していくのは見るに忍びないものがありますが、はなから荒らしと決めつけて個人攻撃してくるようでは話にならない。嫌気が差してきたのでヒントだけ。

  • 壬生車庫は市電専用基地であり、トロバス、市バスの系統を収容するキャパはなかった。
  • 四条大宮ー壬生車庫間のトロバス引き込み線は確かにあったけれど、使われたのを見たことはないし、壬生車庫にトロバスが置かれていたのを見たことはない。トロバスは四条大宮でUターンするのみ。(昭和40年代)
  • 御前車庫を市バス車庫として作られたと思い込んでる人がいるようだが、市バスの走ってないところに市バス車庫を造ると思うか?
  • 京都市リハビリテーションセンターは今もあり、そこがトロバス車庫であった。市バス四条御前通バス停のところ。

くれぐれも資料やインターネットの個人サイトを鵜呑みにしないように。最後にそれを申し添えておきます。--Miami 2009年8月20日 (木) 20:20 (UTC)[返信]


残念です。 Miami さん、少し冷静になってください。私も Miami さんの主張を京都市の図書館等で念入りに調べました。現地で聞き取り調査もしました。

  • 壬生車庫は市電専用基地であり、トロバス、市バスの系統を収容するキャパはなかった。
  • 四条大宮ー壬生車庫間のトロバス引き込み線は確かにあったけれど、使われたのを見たことはないし、壬生車庫にトロバスが置かれていたのを見たことはない。トロバスは四条大宮でUターンするのみ。(昭和40年代)
京都市電氣局『京都市營電氣事業沿革誌』京都市総務部庶務課『京都市政史』上巻に壬生車庫の一部を改築し有軌条電車と共用すると記載されています。同時に壬生車庫所属車両一覧には無軌条電車が含まれています。この当時、市バスの車庫は壬生ではなく三哲です。
また、無軌条電車車庫引込線については千本大宮線 壬生車庫前-四條大宮 複軌道を共用と記載されています。昭和33年にトロバスは壬生車庫から梅津車庫に移管されました。昭和40年代に見たことがなくても不思議ではありません。
  • 御前車庫を市バス車庫として作られたと思い込んでる人がいるようだが、市バスの走ってないところに市バス車庫を造ると思うか?
  • 京都市リハビリテーションセンターは今もあり、そこがトロバス車庫であった。市バス四条御前通バス停のところ。
京都市交通局『京都市バス開業70周年』に掲載されている市バス路線図の四条通大宮-御前-西大路には昭和28年の時点において既に市バス路線(3号、7号、10甲号、11号、21号、23甲号)が記載されています。
『京都市バス開業70周年』京都市交通局『市バス50周年』及び京都市交通局ホームページ『京都市交通局のあゆみ~年表(沿革)~に「昭和31年10月1日市バス四条運輸事務所開設」と記載されています。
さらに『京都市バス開業70周年』には「昭和38年頃の四条車庫」の写真も掲載されています。
また、現地で聞き取り調査をしました。昭和44年撮影の写真も見せていただきました。
  • 四条御前北西角にあったのは「市バス四条車庫」で、ここから30号や31号等の路線が出発していた。市バスは現在ラポール京都が建っているところから出入りしていた。トロバスがこの車庫に入るような配線はなかった。
  • 「市バス四条車庫」が開設される以前は大阪ガスの配管資材置き場だった。
  • 「トロバス御前車庫」は聞いたことがない。
  • トロバスは市電扱いで停留場も市バスとは別であった。特に西行きはバス停が現在と同じ交叉点東のヤサカタクシー営業所(当時)前にあったのに対し、電停は交叉点西の四条車庫向かいにあった。
  • 写真から電停名は「四条御前通」と確認。
跡地には「京都市身体障害者リハビリテーションセンター」だけでなく、「京都労働者総合会館(ラポール京都)」や「四条消防出張所」、「京都市御前児童館」もあります。
  • 誤った資料をもとに何も知らない者たちが歴史を改竄していくのは見るに忍びないものがありますが、はなから荒らしと決めつけて個人攻撃してくるようでは話にならない。嫌気が差してきたのでヒントだけ。くれぐれも資料やインターネットの個人サイトを鵜呑みにしないように。最後にそれを申し添えておきます。
複数の公的文献資料を調べました。現地で聞き取り調査もしました。信憑性は高いと考えます。「誤った資料をもとに何も知らない者たちが歴史を改竄して」いるとは思いません。 Miami さんはこれらの公的文献資料や証言を全て否定されるのですか。ご自分が全て正しいと思っているのですか。昭和20年に京都市交通局を登場させたのは正しい歴史ですか。何も知らないのは誰ですか。

申し訳ありませんが、 Miami さんの主張を裏付けることが出来ませんでした。残念です。

「トロバス御前車庫」の存在を示す客観的且つ具体的な資料はないのですか。「市バス四条車庫」の存在を否定する客観的且つ具体的な資料はないのですか。嫌気が差す前にそれらを示せば問題は無くなると思いますが。--Kioto 2009年8月22日 (土) 11:25 (UTC)Kioto[返信]


ご報告です。京都市交通局に確認しました。四条御前にあったのは市バス四条車庫でした。以上です。--202.174.196.17 2009年8月27日 (木) 13:13 (UTC)海苔鍋[返信]

電停の名称について[編集]

南広町と段町の間の電停について沿革には「梅津(後に高畝町と改称)」とありますが、市電の路線図によっては梅津北広町と記載したものもあります。電停名の変更時期や経緯、時系列について分かれば追記したいと思っており、なにかご存じの方がおられましたらヒントを頂きたいです。(参考:南広町と段町の間、今日の市バス停留所名は「日新電機前」です。)--Pikopikopiko会話2024年1月8日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

Pikopikopikoさん、こんにちは。
今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790027-2 」の39ページ、「梅津線」の項目に、梅津電停の改称前の電停名として「梅津北広町」が掲げられています。梅津北広町電停の開業日は1945年8月3日、改称時期は1950年以降となっています。ご参考になれば幸いです。--うら会話2024年5月13日 (月) 11:34 (UTC)[返信]