ノート:乙未戦争

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本項のソースを求めます。例えばen.wikipediaによれば戦死者164、戦傷者515、戦病者4,700とあり戦死者5000との本項の数字は見いだせませんでした。 また、見出しなのですが、乙未戦争、台湾征服戦争、台湾防衛戦争、いずれも日本で広く用いられる表現とは思えません。台湾鎮定戦などが用いられることが多いのでは?合わせてご一考を。--那珂川 2008年2月2日 (土) 09:40 (UTC)[返信]

日本の研究者だと、大江志乃夫(1978),荒川章二(1995)、森 理恵(2005)が台湾植民地戦争という語を利用していますね。台湾関係者の場合、抗日運動と名づけているようです。日清戦争との記述の兼ね合いを考えながら記載した方がよさげですね--Kulukulu 2009年5月18日 (月) 12:52 (UTC)[返信]

”日台戦争ということばについて”の節名変更について[編集]

現在産経新聞の記事からの引用において台湾人の発言「戦争と言うほどではない」という言葉が選択されていません。これは産経が戦闘の規模を根拠に異議を申し立てていることを考えると非常に不自然な要約です。節の第として”乙未戦争は戦争か”なり”台湾征討は戦争か”とした上で、研究者がどういった言葉を利用しているのか、NHKがどういう説明をしているのか、産経がどう異議だてをした方が非常に事態が把握できるかと思います。--Kulukulu 2009年8月17日 (月) 10:53 (UTC)[返信]

ついでですが、なぜ病死者数についての記事を削ったのでしょうか?不正確な引用にあたるとおもうのですが。もし産経新聞がろくに取材もしない会社であるという当てこすりなのでしたら、それこそ具体的な引用はせずに”産経が異議申し立てをした”とだけ書いておき、NHKによる説明をつけておけばよいかと思います。--Kulukulu 2009年8月17日 (月) 11:04 (UTC)[返信]

日台戦争について[編集]

「日台戦争という言葉に関して」という記述は、研究者の記述をほとんど調べないまま書かれた産経の記事を主体にしたもので、学説的な異論としては成立しませんので両論併記といえるものではありません。非専門家の間で一般的でないなどという記述には何の百科事典的な価値はないので取材を受けた台湾人の感想も不要です。もし産経の記事を引用するにせよ、まず檜山らがなぜそのような用語が選択したのかが分かるようにした上で、産経による批判を記述すべきでしょう。--Kulukulu 2009年8月3日 (月) 11:16 (UTC)[返信]

極少数の学者が言っていることを一般的とはいいません。その言葉の反応が実際に出ているのですから出典と共に正確に記載することがnpovです。--218.217.154.25 2009年8月8日 (土) 07:23 (UTC)[返信]

日清戦争及び1900年前後の国際関係論の専門家の査読論文に置ける主張が存在するのでしたら、反論として有意義ですが、全然取材していないことが丸分かりな産経を根拠にするのは両論併記とは言えません。--60.36.11.194 2009年8月9日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

戦死者から戦闘による死者と病死者を分けて、前者のみを戦死者にすることに何の意味があるのか不明です。日本においては病死者も靖国に祀られているのですけど、国際的に戦争における兵士の死因をもとに死の意味を変える奇習が国際的に存在するのでしたら文献を提示してください。--60.36.11.194 2009年8月9日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

60.36.11.194はKulukulu氏のIPでしょうかね。台湾人の「初めて聞く」「思いもよらない言葉」は、出典どおりの記載であり、私たちが中身を検証する必要はありません([[(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)]])。出典どおりに単に書けば良いのです。隠蔽する必要はありません。反証があるならば出せば良いのみですあり、現在学説としては少数だがあることは書かれていますし良い状態ではないでしょうかね。--220.147.9.218 2009年8月9日 (日) 18:36 (UTC)[返信]

日台戦争や台湾征服戦争という語を外す人がいますが、どういった理由なのかを書いてください。編集の要約もなく、ただ書き換えられても困惑する一方です。また、戦闘を作戦と書き換えたがっているようですが、意図が不明瞭です。文献の提示をする気がないのでしたら荒しと見なしますが宜しいでしょうか?--Kulukulu 2009年8月10日 (月) 15:49 (UTC)[返信]

失礼だが、完全に発表済みの情報の合成による独自研究のテーマ「節」です。もともと日台戦争という用語について論争となった件を載せている節ですので、勝手に改変することは強く反対を申しておきます。--218.217.158.54 2009年8月17日 (月) 13:55 (UTC)[返信]

まず三点確認したいのですが(1)「合成によって何を独自研究とした」ことになるのでしょうか?(2)檜山氏だけが日台戦争という語を使用しているかの編集にしたのはどういうことでしょうか?(3)産経の記事は、”戦争と規模と言えるものではない”ということが重要な論点で図書館云々は本質ではないですよね?--Kulukulu 2009年8月17日 (月) 15:05 (UTC)[返信]
横から失礼します。産経はNHKが番組で述べた死者数はほとんど病死であることを隠していることを指摘しているもので戦争か否かまで述べてないと思います。Kulukuluさんの記述を拝見しましたが、戦争としたいがための情報の合成であることが確定的であり、そうしたいがための節づくりが見受けられます。また、檜山だけでないのならば、具体的に出典を出し、いつどこで誰がその言葉を使用しているのかを記述すればよいだけです。ともかく主張がしたいがための記述はご遠慮ください。--エツヨ 2009年8月19日 (水) 03:55 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。しかし戦争であるという議論は史学的にはほぼ動かせない、と文献から判断しています。特に近年の研究は完全に戦争であるということが前提に議論が進んでいます。ですから誰がではなく学術的には戦争であるとするのが正しい記述です。まだ追記していませんが、防衛大学の准教授も論文で戦争であったとしています。もしエツヨさんが学術研究の中で戦争ではないという議論をご存知でしたら追加をお願いします。一方で戦争とは言えないという議論は、エッセイや非学術的な場で行われているのでそれを否定する気はありません。
なお産経は別記事でも”戦争”と表現したことを問題視しています。その一つの根拠が戦病死者の割合と考えるのが普通の読み方だと思います。もしそうでないとするのなら、ただのウンチクを述べたものだということなのでしょうか?なお戦病死者を戦死者から外すのはおかしいという議論は、それこそ日台戦争の戦病死者を犬死とみなすべきではないという当時の政府が打ち出した方針ですし、靖国神社やNHKがそれに則るのは真っ当なことです。--Kulukulu 2009年8月19日 (水) 05:12 (UTC)[返信]
見出し語がすでに戦争になってますし、経過の節でもあなたが書きたいだけ書いてるですから、戦争か否かはそれで十分よろしいのでは?読んだ方があとは判断することです。日台戦争の用語についての節だと思うので、その用語に対する意見を記載しておけばよく、そして実際にその用語を使用している学者もいる、それでいいじゃないですか。なにもあなたが戦争か否かと一意見に部分的にスポットライトを当て、どちらが正しいかを主張する必要はありませんよ。エツヨ 2009年8月19日 (水) 08:09 (UTC)[返信]
学術的な見解とそれ以外の場での見解を比較するなどという無意味なことに関与して独自研究をする気はありませんよ。ただ学説史として日台戦争という語を単独で出してもwikipediaの記述として意味がないのですよ。例えば原田敬一は檜山の『日清戦争』を引用したうえで、日台戦争ではなく台湾征服戦争を用語として採用しています。このような記載が両論併記ということになります。日台戦争についての節だから、台湾征服戦争派についての記述は不要であるという編集のほうが偏っています。--Kulukulu 2009年8月19日 (水) 08:37 (UTC)[返信]
日台戦争という言葉に大きく反応があった件ですので、征服戦争だかなんだか知りませんが、無関係です。今回の日台戦争の言葉で反応している方々の意見に直接反論しているものでお願いします。--エツヨ 2009年8月19日 (水) 08:43 (UTC)[返信]
学術的に日台戦争と対立しているのは、台湾征服戦争ですから両論併記が原則である以上必要です。--Kulukulu 2009年8月19日 (水) 10:39 (UTC)[返信]

頼むから「日台戦争の言葉について」語っていただきたい。そしてこの言葉が話題になったのはNHKの放送であり、他の言葉を対立軸などと自分で判断し、無関係な言葉を入れないでいただきたい。話を都合よく勝手に広げる行為はおやめいただきたい。徹底的に反対します。--218.217.115.240 2009年8月19日 (水) 11:03 (UTC)[返信]

wikipediaはNHKの足跡やその反応だけを書く場所ではありません。日本の研究者が一般的に使っている台湾征服戦争や、初出の『日清戦争と東アジア世界の変容』で台湾人研究者が同じ戦闘を抗日戦争と記載している事実を併せて記載した方が有意義です。再度尋ねますが、(1)何が合成による独自研究だったのか?(2)産経の議論は「戦争といえる規模かどうか」であるのか?(3)なぜ駒込氏の論文を削ったのか?

NHKが反論まですることになったほど話題になった「日台戦争の言葉について」の節とは、その説明をする場であり、あなたが独自に記載したいものを混ぜないでくださいということです。戦争関係の反論を書きたいのならばNHKの反論としてNHKが主張していることを載せれば良い(しかしNHKも台湾征服戦争がどうたらなどと説明していない)。つまり独自に反論するような内容を選択して書くなということです。これは主張対主張なので、当事者の主張を書いておけば良いのです。--218.217.115.240 2009年8月19日 (水) 13:16 (UTC)[返信]

「主張対主張なので、当事者の主張を書いておけば良い」というのがwikipediaの方針の何にあたるのでしょうか?私はWikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなに基づき、日台戦争にまつわる議論を充実させる必要があると考えているだけです。と同時に218.217.115.240さんには、反対意見の元ネタと思しき黄文雄氏あたりの議論をご存知なら書いていただけるとうれしく思います。--Kulukulu 2009年8月19日 (水) 13:49 (UTC)[返信]
Kulukuluさんの書きたいことは、まつわる議論かどうか不明ですよね。あなたがご勝手に「まつわる議論」にしてるに過ぎないです。主張の事実のみ記載すれば良いという考え方が正当でしょう。--エツヨ 2009年8月20日 (木) 06:47 (UTC)[返信]
産経などの批判団体の言説が何に対して行われ、何を意味しているのかをエツヨさんや218.217.115.240さんに何度もお尋ねしていますが明晰な返事を頂いていませんので、なぜ「まつわらない」ことになるのか私にはさっぱり理解できません。wikipediaはニュースサイトではありませんから、論争の当事者の言説のみで章立てしなくてはならない道理はないはずです。
しかし編集合戦をしていてもおもしろくないですから妥協しまして、次の提案に変えさせていただきます。(a)学説史として学会における議論を節にし、NHKの問題を小節に組み込む(b)学説史を独立させ、NHKの問題と同格の節として取り上げる。(a)案(B)案ともに、当事者同士の議論に集中すべきというエツヨさん218.217.115.240さんの意見を尊重したものとなっていると思いますがいかがでしょう。--Kulukulu 2009年8月20日 (木) 08:55 (UTC)[返信]
NHKの論争と「まつわる」とし、記載するつもりならば、まつわる根拠を提示しなければなりません。NHKの日台戦争用語論争は単独のものです。裁判にもなり、公共放送がわざわざ反論までしている特筆性あるものですから、その話題は独立したものとして載せておけばいいのではないでしょうか。拝見したところKulukuluさんもNHK問題から興味を持ち、こちらや人間動物園記事に出没しているようですね。本当に話題性ある一件でした。学説史を書きたければ別節をおつくりになって書けばよろしいのではないでしょうか。その際、POVとならぬよう中立性を持って記載してくださいね。--エツヨ 2009年8月20日 (木) 10:04 (UTC)[返信]