ノート:主権

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主権は「国家主権」の他にも「国民主権」「消費者主権」という使われ方もされますよね? どう書いたらいいかはわからないのでとりあえずここにメモしておきますが。Tomos 00:06 2003年5月4日 (UTC)

国民主権は、主権概念に既に想定して定義してあるので、それがはっきりと分かるように加筆しました。問題は、消費者主権ですね。専ら経済の世界での用語ですし、従来の主権概念との論理的連続性がないように思えるので、別項目を立てるのが良いかと思います。検索する人も「主権」ではなく「消費者主権」を検索するでしょうし。それにしても、「消費者主権」。日本語にした途端に意味が捩れたようですね。Falcosapiens 02:47 2003年5月4日 (UTC)

どうもありがとうございました。

消費者主権というのはConsumer Sovereigntyという似たような言い方が英語にもあるんですが、 捩れているのはどこも同じということですかね?--Tomos 04:36 2003年5月4日 (UTC)

消費者主権を語る文献の、参考文献を眺めるかぎりは、元来はConsumer Sovereigntyの訳語だったようですね。そして、英語では専ら企業姿勢や経営戦略の文脈で使われている。ところが、日本語になった途端に、これを素直に「主権」と結びつけて、政治的な意味で使う人が出現した。しかし、政治的な意味で語る場合の意味を理論的に検証した人間はいないから感覚的にしか使われていない。ま、よくあることですが。 (このまま消費者主権の記事にできそうだな)Falcosapiens 04:47 2003年5月4日 (UTC)

なるほど、そういう事情があるんですか。記事にしたらよいと僕も思います。Tomos 05:06 2003年5月4日 (UTC)


主権、「国家主権(State Sovereignty)」として理解し書きますが、冒頭にある(主権、仏:souveraineté、独:Souveränitätは)「本来形容詞「souverain(e)」「souverän」の名詞化であり、性質を表す語であり、権利そのものではない」に対して違和感を覚えます。「権利(Right)」ではない、ということはどう言うことでしょうか?(自分は<政治学的に>権利だと思ってるので)。法のなかでは「主権」は「権利」として理解されていない、ということでしょうか?
 また冒頭に主権は「主として憲法・国際法で用いられる概念」とありますが、政治学(国際政治も含めて)のコンセプトでもあるわけで、むしろ「権力(power)」<政治(学)>から発展してきて法にintegrateされた、と思っているのですが。
 自分は、上記において、「主権」を「(State) Sovereignty」と同一語として扱い、書きましたが、もしかしたらSovereignty =主権では無いかもしれません。>を今疑ってる...。ご意見をお聞かせ下さい。Cheers : ) Hans castorp81 02:17 2004年4月25日 (UTC)

はじめまして、Hans castorp81さん。会話ページにもメッセージをいただいたようで、ありがとうございます。第一点目については、次のようにお答えすることになるかと思います。
まず、この話は「本来」という留保を附してあることからも分かるように、いわゆる「そもそも論」です。従って、それと異なる用法が流布していることを排除しませんし、実際、ページを読んでいくと、「主権」概念の一内容(対内主権)として、統治権が挙げられています。これは、法的な意味でも権利だと思います。しかし、対外的な独立性というのは、権利ではなく、性質であると思います。また、最高決定権についても、法的な権利だと考えることも不可能ではないですが、単なる事実だという考え方もできます。こういう雑多な内容がなぜ与えられているのか、ということを理解するためには、そもそも性質を表す言葉である、という点を理解しておくことが有益である、と考え、その説明を冒頭に挙げました。
言い換えると、主権の内容として統治権だけを念頭に置くのであれば、主権=権利で構わないのですが、その他の内容を含めるとすると、「主権=権利」という方程式は怪しくなってくる、ということです。
そこで、性質と権利がどう違うかということが問題になりますが、だいたい、「甲さんは右利きだ」と「甲さんは車を持っている」の違いだと考えればよいと思います。甲さんは、車を自分で乗って使うこともできますが、他人に譲渡したり、貸したりできます。車の管理を誰かに委任したり、車を誰かに信託したりすることもできます。しかし、甲さんは、「右利き」を譲渡したり、貸したり、ということはあり得ません。「右利き」の管理を委任したり、「右利き」を信託したり、ということも考えられません。
統治権ないし高権は権利なので、車と同じように売ったり貸したりできます。例えば、ロシアがアメリカにアラスカの統治権を売ったり、イギリス帝国が香港の統治権を租借したり、ということがありました。委任統治・信託統治のように、委任や信託もできます。この意味で主権を使う場合には、権利といってもよいです。
しかし、対外独立性については、例えばバルト三国がソ連に併合されたという例を考えてみると、対外的に独立である権利を譲り渡したのではなく、統治権の一部をソ連に譲渡した結果、対外的に独立ではなくなった、という性質の問題だと思います。対外独立「権」ではなく対外独立「性」と定義されるのは、権利ではなく性質だ、ということの表れだと思います。
ただ、自由を「自由権」という風に権利であると構成することも実際よく行われているので、そういうのとパラレルに考えれば、「権利」だといえなくもないですが、余り厳密な使い方ではないように思われます。
第二点については、おっしゃるとおりだと思います。公法学はまともに成立したのがかなり新しい時期に属することなので(17、18、19世紀くらい)、政治学のほうがもちろん先輩です。もっとも、昔は、これが政治学でこれが公法学、というセクショナリズムはなかったわけで、ボダンは政治学の人間で公法学の人間ではない、という風に考えるのは妥当ではないとも思います。いずれにせよ、政治学なり国際政治なりを付け加えることには賛成です。
T. Nakamura 20:08 2004年4月25日 (UTC)
以下は上のT. Nakamuraさんへの返答。
1.「権利と性質の違いについて」:「性質」の説明については、T. Nakamuraさんのご説明に納得・賛成します。しかし、「権利(Right)」が必ずしも譲渡可能であるとは、思っていません。むしろ、国連憲章の前文、Article 1(4)、Article 55(c)、世界人権宣言(1948年)などで定められている権利である人権(Human Rights)は譲渡の不可性が前提になっているものだと思ってます。
2.「統治権は権利だが、はたして統治権は『売ったり貸したり』することができるか」について:統治権が権利だというのは理解します。しかし、それの売買はむしろ不可だと思います。なぜなら、統治権には、ある一定の「領土」に居住する人民への支配も統治権に含まれるからです。現在の、民主主義政治のもとでは、統治権を持つのが「人民(国民)」であろうと、「人民の代表(国会議員)」であろうと、統治権を持つものは「人民」から 委任 され(言葉正しくないかも..)、またその統治権が対象とするものには「人民」も含まれるからです(もちろん、ある人を全てに渡って統治するというわけではありません。その「ある人」の権利もまたある程度、憲法などによって保証されてるので)。これはホッブズ(系譜)以外のだいたいの社会契約論も前提としていることです(例:ルソー、ロック)..と思ってます。また、「イギリス帝国が香港の統治権を租借」は間違いでしょうか?統治権の租借という言い方は正確でないように聞こえるので。(租借に何が伴おうとも、租借自体は基本的に「領土」を借り上げ、その土地にたいして統治権を持つこと、と理解してます。つまりそこにすむ人民を直接の対象にしている訳ではない。)
3.「法体系のなかで主権は権利か」について:詳しい説明を下さって、どうもありがとう御座います。勉強になりました。上に長々と色々書きましたが、これがメインですね^^;) 。2.で書いたように、統治権(対内主権)が権利だという説明はT. Nakamuraさんの説明に納得します。で、「対外主権(対外独立性)」ですが、Nakamuraさんはバルト三国の例を挙げて、「性質」だとお書きになってますね。んー..、これは自分も(今考えていて)「性質」かな..と納得させられそうです。ただ、国連憲章 Article 2(1)(=the principle of the sovereign equality)が前提とするsovereignty、「主権」を考えたら「権利」では?とも思い、迷ってます。
4.「『権利ではない』がそもそも論」について:(これもメインですね..)なるほど、T. Nakamuraさんの説明に納得しました。自分が思ったのは、「本来」はあくまで形容詞の説明だけに係っているものと思い込み、「権利ではない」はそこから導かれる主権全般としての説明だと勘違いしていたようです。
5.まとめ:「政治学」を付け加えるべきと、提案しましたが、どうもリンク先を見るとあまり良くまとまっているとは言えないような状況なので、私が適当なころを見計らって入れようと思います。どうも、今考えてみて、「権利 Right」が法律(強制力が疑問視される国際法や慣習法を含めるかどうかは別としても)で確立されているものとしての権利と、政治学的権利が少しずれているような感じもしています(とくに3.の対外主権ですね)。で、まぁ、最初に私が質問した時の「主権は権利ではないのか?」と言う質問から発展してきたことですが、主権(全般的な)が権利かどうかは自分も怪しく思うようになってきたので(上3.)、留保します^^;)。で、T. Nakamuraさんやこのノートを見てる方が今したらお願いなのですが、上記の4.で触れたように、私の勘違いですが、もう少し分かりやすい言い方は無いかと自分も思案中ですが、今のところ思い浮かばないので、いい言い換え(元の形容詞からは権利と言う意味は無い、の。)がありましたら、変えて下さい。ほかに書くこともあったような気がしましたが、忘れて思い出せないので、ここに後で追加するかもしれません。Hans castorp81 19:20 2004年4月26日 (UTC)
こんにちは、Hans castorp81さん。興味深く読ませていただきました。
ひととおりご理解していただけたようで幸いです。まだ迷ったり考えたりしている段階だということですので、また疑問点などあればいつでもおっしゃってください。
今のところ疑問点としてあがっているのは、1と2だと思いますが、この点について回答しておきます。
1について。「人権」が権利の一種であり、また、「人権」には不可譲性がある、というのはその通りだと思います。国際法でも、国内法でも、ともにそうです。日本国憲法12条には、保持義務が明文で規定されていますね。
これをどう考えるか、ということになりますが、権利は原則として譲渡可能であるが、例外として譲渡不可能になる、という風に考えればよいと思います。実際、債権なんかも、原則として譲渡できるのですが、例外として不譲渡特約を締結することも可能で、その場合には、譲渡できなくなります(銀行の預金債権など)。
論理的にも、(1) αは集合Aの要素である、(2) αはxではない、という二つの命題から、(3) ゆえにAはxでない、を導くことはできないかと思います。
ちなみに、日本国憲法97条は、人権を「信託」しているという表現を使っていますね。
次に、2について。もちろん、現在の民主制を前提としたらそうですね。しかし、いずれもロシアが帝政だったころの話で、実際 アラスカはいくらかのお金と引き換えに売ったものですし、清も戦争に負けたために香港を租貸しました。日本も千島樺太 をロシアと交換したりしましたし、関東州膠州湾に租借地を持っていました。租借の効力は、土地だけでなく人にも直接に及ぶようです。美濃部達吉『憲法撮要』133頁以下に租借地に関する法的分析があるので、興味があれば読んでみてください。
ちなみに、趣旨を明確にして分かりやすく書き直すことは、良いことだと思います。私も特にこれという案はないので、良い案が浮かんだら適当に書き換えていただいて構いません。
T. Nakamura 00:05 2004年4月27日 (UTC)
T. Nakamuraさんの毎回速い(にも関わらずポイントをつく)ご返答に驚かされます。
私は法学を学んでいるわけでもないので、T. Nakamuraさんの記述は勉強に成りますし(「なるほど」という...)、またそれは以下の私の意見が「法学」のなかで受け入れられているのか、いないのか、分かりませんが...権利の性質を単一的に見るのが自分には受け入れがたいですね。つまり「例外」ではなく、譲渡可能と譲渡不可能な権利の二つがある、と。もちろん、これは微小な問題でありますし、「主権」とも段々離れてしまいましたし...。^^;
「委任」ではなく「信託」なのですね。失礼しました。また「租借」については、法律の専門家でないので、これ以上反論できません。^^; いや、もちろんその領土に住む人に(直接)影響を及ぼすのは重々承知なのですが、それが「租借」という法律用語に含まれているのかなと思い、意見を出しました。包括的な意味での「主権」が権利かどうかは、前回言いました通り、私も(Nakamuraさんの上記の意見のため)怪しむようになって来たため、保留します。どうも(「主権」と直接は関係ない自分の質問にも)おつきあい下さいましてありがとう御座いました。また、政治学で扱う場合の権利と法(学)での権利の同一性に疑問を持ちつつあると書きましたが(特に対外主権)、今後それについて何か気がつくことがあったら、T. Nakamuraさんのノートに書き込みをすると思いますので、その時はよろしくお願いします。では。Cheers : ) Hans castorp81 06:54 2004年4月28日 (UTC)