ノート:上山寺

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

確認[編集]

良質な記事の選考で、指摘しましたが、対応のないまま通過したので、確認をお願いしたく、ノートに記載します。内容的に問題があるだろうと思われる部分のみ選考のページから加筆修正のうえ、転記します。

  • 歴史節
    • 5段落目、寺領を接収したのは、「公儀」なのでしょうか。安土桃山時代であれば、接収者もしくはその上位者の管理下に置かれたのではないでしょうか。出典にそう書かれているのでしょうか。
  • 文化財節

以上、出典を確認できる方にお願いしたいと思います。--Kodai99会話2021年11月29日 (月) 14:54 (UTC)[返信]

いずれも出典に書いてある通りの記述であり、修正・補足の余地はないものと存じます。菩薩像懸仏についても同様で、奈良国立博物館がこの1点しか所蔵していないということでも、全ての収蔵品のオープンデータ化を完了しているということでもないのでしょう。--漱石の猫会話2021年11月30日 (火) 12:56 (UTC)[返信]
コメント 参考までに、『丹後国竹野郡誌』(1915年)613頁には大略「天正5年に中野城主が没落、この時に上山寺の寺領も細川越中守に召し上げられた」云々とあるので、「公儀」とは細川氏のことであると思われます。ただし細川氏の丹後支配は天正8年以降と思うので、あくまで寺伝であって歴史的事実かどうかというのはまた別の話でしょうが。--taisai429会話2024年3月30日 (土) 13:29 (UTC)[返信]