ノート:レオン・ワルラス

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今までに重要であるにも拘わらず、掲載されていなかったレオン・ワルラスの項目を付け加えて戴き、有り難うございます。 唯、残念なことに記事に、齟齬と不正確な部分があります。また、ワルラスの紹介としては、かなり不足してはいないでしょうか。例えば、「書きかけ項目」になっているジェボンズの記述と比較しても、著しく差があると考えます。 ワルラスはロザンヌで教鞭を執っていますけれど、フランス国籍は生涯放していません。従って、スイスの経済学者という記述は不正確です。 ジェボンズと面識がないというのは、誤解を招く表現です。ワルラスはジェボンズと頻繁に手紙を交換し、著書の贈呈もしています(『書簡集』を見れば、一目瞭然です。このやり取りによって、両者はGossen(ゴッセン)を限界概念の先駆者であると認めると同時に、二人の「最終効用度」と「稀少性」の概念をそれぞれ独自に発見したことでも一致しています。 経歴中の「信用組合理事」という表現も、実態はそうであったのですけれど、原語から言えば「協同組合銀行」とされるべきでしょう。尚この組織は、J.ーB.Sayの孫のLéon Sayとの共同事業で、ワルラスの意には必ずしもそぐわない「消費協同組合(この表記は当時のもの)」の放漫経営への過剰貸し付けで連鎖倒産をしています。記事中の「銀行員」というのは、倒産後の清算人である銀行家の経営する銀行での残務整理が主たる仕事であったと思われます)。 父のオーギュスト・ワルラスは、中学校の校長もしていました。しかし、主要には視学官として働いていた人物です。その「稀少性」の概念は、レオンのものとは全く異なるもので、「この希少性の概念をレオン・ワルラスも受け継いでいく」という記述は、不正確で誤解を招きます。 土地国有化論については、記事の記述ではフェビアン協会から影響されたという印象を与え、不適切です。土地国有化論のアイディアそのものは、父オーギュストから引き継いでいると記されるべきです。(寡聞にして、ワルラスがフェビアン協会と交流があったと言うことは聴いたことがありません。根拠はどこにあるのでしょう。)サン・シモン主義者とは若いときから、その主張に全面的には賛成しないながら、相当の交流と影響があったようです(自伝の記述による)。 一般均衡論における二財交換での図は、マーシャルの部分均衡論の図に相似しています。しかし、それは表面的なことであって、意味は全く異なりますので、読者に誤解を与えます。ワルラスが最初に限界効用概念を利用して価格の関数としての需給曲線の議論を展開したのは、遅くとも1873年ですから、経済学の数学への応用なりそのグラフによる説明がマーシャルから影響を受けた結果とは思えません。直接的な影響は父とその友人でもあったクールノーであり、レオンはそのことを自伝に記しています。マーシャルが経済学の数学的定式化を始めたのは、恐らく1970年代の初めではあったでしょうけれど、数学の応用自体では、ジェボンズ、更にワルラスが先行しています(因みに、メンガーはその過程分析を重視する立場から、経済学への数学の応用自体に懐疑的でした)。『外国貿易の純粋理論: 国内価値の純粋理論』の刊行は1870年代の末です。(蛇足ながら、マーシャルの項の「供給と需要の関数に対する価格決定について厳格に取り組んだ最初の経済学者」という記述も(最初の、という点で)不適切です。 現在のワルラス研究では、『純粋経済学要論』を元にした研究から、その背景にある思想的研究、特に『社会経済学研究』に移りつつあり、彼の独特の方法論についての説明抜きでは、土地国有化論などの主張も理解出来ません。この点、理論的貢献に関する項目は改善・補足の必要があると考えます。 ”Théorie mathématique du prix des terres et de leur rachat par l'État”の刊行年は、D.Walkerの調査によれば、1881年です。また、参考文献に"Œuvres économique complétes (1987-2005)"(現在では最も重要な基本文献)が抜けています。 この項目についての執筆者の加筆・補足の参考になれば、幸いです。 --Katsura-takashi 2011年9月24日 (土) 09:10 (UTC) --Katsura-takashi 2011年11月6日 (日) 18:31 (UTC)[返信]