ノート:ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

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ヴィじゃなくてウィです。

  • 本人がそう主張していた
  • 訳本での表示も「ウィトゲンシュタイン」

Aphaea 12:29 2004年3月2日 (UTC)

>初期の著作『論考』(論理哲学論考)では論理実証主義を提唱

この部分ですが、論理実証主義を提唱したつもりは 本人にはなかったのではないでしょうか。 (追加)本人にないというより、正確でない気がします。 現在ソースを探しています。Nekomata

>イギリスに渡って哲学研究を始める これでは小学教師辞任以降に始めてイギリスに渡ったと解釈されてしまうのでは。 ラッセルとの交友も学生時代からですし・・・ Nekomata

二点ともそう同意します。Nekomataさん加筆されてはいかがでしょうか。--Aphaea 2004年8月2日 (月) 17:44 (UTC)[返信]

発音[編集]

ウィーンの南部ドイツ方言では 'w'は「ウ」音で発音されるそうです. ですので,標準ドイツ語発音(北方発音)では「ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」,生誕地ウィーンの発音では「ルードウィヒ・ウィトゲンシュタイン」です.--以上の署名のないコメントは、220.144.136.57会話/Whois)さんが 2007-05-17T01:07:43 に投稿したものです(Numberによる付記)。

ドイツ語のWを「ウ」で書いても「ヴ」で書いてもいいとは思いますが、一人の名前に両方の表記が混在しているのは変でしょう。「ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン」か「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」かどちらかにすべきでは。--Number 2007年10月1日 (月) 12:36 (UTC)[返信]

本人の主張を尊重するのならば、「ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン」をメイン・タイトルにするのが宜しゅう御座いましょう。但し本人が生涯「ヴィ」と発音していたのであれば、「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」になさるるが宜しかろうぞ。いづれにせよ、統一表記を心掛けて下さい。 --Hadrianvs et antinovs 2008年4月1日 (火) 02:24 (UTC)hadrianvs et antunovs[返信]

School photograph[編集]

Hi, apologies for not writing in Japanese. In the school photograph, labelling of the boy on the left as Ludwig Wittgenstein was done by the author of a work of pseudohistory. There is no consensus as to the identity of that boy. For more information you are cordially invited to the English Wikipedia at The Jew of Linz. Cheers,--Goodmorningworld 2008年10月18日 (土) 15:07 (UTC)[返信]

逸話について[編集]

ウィトゲンシュタインが、友人に「地獄に行け」と言った、とか、そういう他人を中傷する逸話は、読んでいて不快です。人間ですから、それはいろんなことがありますよ。もう少し、やわらかく書いた方がいいと思います。--Tarokun 2009年3月12日 (木) 09:15 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

すでに幾度かノート上で話題に上がっているように、同一人名の表記に於いてwを二通りに(ウとヴ)表記するのは適切ではありません。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインという表記が特にドミナントな訳ではありませんし、正確な表記を心がけるべきです。

  • ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」(ヴ音に統一)
  • ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン」(ウ音に統一)

のいずれかに統一することを提案します。

  • 反対 「ウィーンの南部の発音がどうの」「本人がどうの」に根拠を示せというのであれば、提案者自身も「正確な表記は統一されたものである」の根拠を示さなければ筋が通らないでしょう。不統一の表記が実際に用いられているのであれば、それはそれでありです。
「正式な発音がどうの」「地方の発音では」とかといった議論よりも、実際に日本語の文献でどう表記されているか、という、手で触ったり数えたりできる証拠に準拠するべきでしょう。基本的に表記ゆれの範囲であれば、いずれかの表記が「ドミナントでない」のであれば、いずれにせよ1つにするしかないわけですから、「いろいろある選択肢の中からこういう根拠でこれにしました、ただしほかにもこういう表記もあります」、ということを本文中で説明すれば済む話です。--柒月例祭会話2014年10月19日 (日) 17:03 (UTC)[返信]
(追記)少なくとも出典・参考文献に挙げられている文献の大半が「ウィトゲンシュタイン」を採用しているわけで、この事実を前に「統一しないとおかしい」というのは理論先行で実際を軽視しているのではないでしょうか。--柒月例祭会話2014年10月19日 (日) 17:07 (UTC)[返信]
表記が不統一であり、「いずれにせよ1つにするしかない」のならば、せめてドイツ語の本来の発音規則に近づけた表記が相応しいと思います。そして、そのような表記はルートウィヒ・ウィトゲンシュタインにせよ、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインにせよ、実際の日本語文献で(複数の人によって)用いられており、決して理論先行ではありません。(例えば著者名表記としてのルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、木村 洋平、丘沢静也、白取春彦が、ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインは 大森 荘蔵、中村昇=瀬嶋貞徳(共訳)が用いている)意識的に「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」という慣用音を採用するならば、「表記」の節を設けて、「慣用であること」と、「日本語文献の慣例ではこの表記が比較的多いが、実際のドイツ語の発音は~である」旨が注記されるべきです。--Ryo 625会話2014年10月20日 (月) 00:56 (UTC)[返信]
このように、「正規の発音で統一しましょう」なんて定めはないのです。ですから、もし改名の可能性があるとしたら、Ryo 625さんは専門的な文献で「ヴィ・ウ」表記よりも「ヴ・ヴ」か「ウ・ウ」のほうが有意に多いことを証明する必要があります。となると、改名の選択肢が「ヴ・ヴ」か「ウ・ウ」のいずれか、なんてことはありえないのです。「ヴ・ヴ」が圧倒的に多いのであれば「ウ・ウ」など考慮の必要もない。
  • 現行 - 鬼界彰夫[1]、黒崎宏[2]、中村昇・瀬嶋貞徳[3]、岡田・・・など。
  • A ウ・ウ - 大森 荘蔵、中村昇=瀬嶋貞徳(※提案者さんは中村=瀬島をここに入れていますが、上で示したように両者による『色彩について』はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン表記ですよ)
  • B ヴ・ヴ - 木村 洋平、丘沢静也、白取春彦
私は改名の提案者ではないので、全書籍を網羅する必要はないし、それをしたいのなら提案者さんがするべきですが、手早く確認できるものを見ていくと、上記の通り、現行どおりの表記が現実に研究者によって用いられているようにみえます。
「表記」の節はおっしゃるとおりです。それは改名を行わなくても加筆できる事柄でしょう。もちろん、そういう指摘をしている出典があれば理想的ですね。(Ryo 625さんが指摘なさったように、「本人はウ音を使った」とかいう点についても出典があるべきでしょうね。)--柒月例祭会話2014年10月20日 (月) 01:57 (UTC)[返信]
(追記)手近な西洋哲学の概説書を4、5冊眺めましたが、「ウィト~」あり、「ヴィト~」ありでしたが、一番多かったのは「ヴィットゲン~」でした。しかしだから「ヴィットゲン~」に改名しろなんて考えません。要するに外国がのカナ表記ですからいろいろな表記があり、単にそういうことを本文にちょっと書いておけば済む話です。--柒月例祭会話2014年10月21日 (火) 09:58 (UTC)[返信]
概ね了解しました。ただまあ記事名自体はとにかく、記事中の表記をルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハンとここまではドイツ音に合わせた表記をしておいてウィトゲンシュタインとするのはおかしいとは思います。今の時代にはYoutubeという便利なものがあるのだから調べればドイツ人の発音も調べられるわけで[4][5]ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタインはちょっとありえないと思うのです。(記事中で常用する呼称はウィトゲンシュタインで異論はありませんが)--Ryo 625会話2014年10月24日 (金) 00:10 (UTC)[返信]
正しい正しくない、ありえるありえない、ではなく、実際にどう表記されてきたか、どう表記されているか、に従うしかないんじゃないでしょうかね。自らそう名乗っているフォルクスワーゲンの日本支社に、「ヴァーゲン」じゃないとおかしいだろ、って言うようなもので。
Ryo 250さんが指摘なさったように、「本人はウと発音した」という部分に出典を要することはそのとおりと思います。
これは完全に当てずっぽうの仮の話ですが、ユダヤ系ドイツ人が外国へ移りWW2を経たときに、W音をドイツ語風に発音することを拒み、英語風に発音した、というのはありうることでしょう。最近の日本語の名前でもそうですが、Mikeと綴って「ヨハンセン」と発音するんだと本人が主張し、周りもそれにしたがって文献に「ヨハンセン」と表記されればそうするしかないわけです。
記事の改名とは別ですが、こうした「名前のカナ表記をめぐるいろいろ」に関して、出典を使って加筆することは有益でしょう。--柒月例祭会話2014年10月25日 (土) 04:04 (UTC)[返信]
コメント 「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」への改名を支持します。出典にはいろいろな表記があるようですが、標準ドイツ語ではこれが正しいということが自明です。柒月例祭さんの「フォルクスワーゲン」の下りですが、今回のケースとは違うものなので参考にならないでしょう。あれは、一企業が「弊社はフォルクスワーゲンです。」と日本語で広報しているだけです。もし、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン本人が「私はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインです。」と日本語で書いて、それで定着していたのであればその例えは正しいかもしれませんが、そうではないでしょう?--野坂さとる会話2014年11月15日 (土) 13:31 (UTC)[返信]
コメント「何が正しいか」を明らかにしたいのなら、野坂氏やRyo625氏にはウィキペディアの編集ではなく『ヴィトゲンシュタインか、ウィトゲンシュタインか 〜20世紀最高の哲学者のカナ表記を巡る論考』とでもいった<研究論文>を書くことをお勧めします。Wikipediaは間接的な証拠とそれに基づく推論による真実を書く場所ではないからです(Wikipedia:ウィキペディアは何でないかをご覧ください)。ウィキペディアの編集や議論においては、直接的な根拠となる出典(例えば「日本では『ウィトゲンシュタイン』という表記も見られるが『ヴィトゲンシュタイン』という表記が一般的である」という記述のある文献)を明記する必要があります。理解のほど、よろしくお願いします。--Taro Yokoji会話2016年4月7日 (木) 14:57 (UTC)[返信]

名前のカナ表記に関する提案[編集]

記事名に関する議論は中断しているとはいえ、合意形成には至っていません。確かに「記事の改名」ではないものの、この合意が完成していない段階で「名前のカナ書き」を独断で修正するのは編集強行というものです。ちゃんとやりましょう。

Wittgensteinという綴りについて、日本では慣習的にウィトゲンシュタインと音写されることがある。」との記述はフェアではありません。(利用者:Taro Yokojiさんのご指摘通りです。)なぜならば、既に上の議論で明らかなように、記事の主題の人物であるLudwig Josef Johann Wittgensteinの名前のカナ転記については、日本語文献では「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン」「ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン」「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」「ヴィットゲンシュタイン」など、多様なスタイルがあるからです。「・・・ことがある」という言い回しは確かに1表記だけに限定されていると示唆するものではないと解釈することもできますが、それ1つしか書かないのであれば恣意的に情報を選別していることになります。さもなくば『・・・ことがある』とする直接的な出典を示す必要があります。一番いいのは、全てを書くことです。

そこで、記事の節構成を修正を提案します。冒頭文はWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に照らすと冗長であり、概要説を設けて大部分を移します。冒頭文は次のとおりとします。

 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(独: Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 - 1951年4月29日)は、オーストリアのウィーンに生まれ主にイギリスのケンブリッジ大学で活躍した哲学者である。後の言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。

これ以下はひとまず「概要」節へ移します。そのうえで、概要節内の末尾に「名前の表記」という子節を設け、そこに日本語でのカナ表記に関する説明を集約します。そこでは以下のようなことを書きます。

  • Wittgensteinがオーストリア生まれであること。
  • のちにイギリスへ移ったこと。
  • 注釈1から注釈3の内容(発音に関すること)
  • 日本語文献では「ウィ」「ヴィ」「ヴィット」など多様な転記が見られること
  • この記事内では便宜上「○○」に統一すること

このように記事の始まりに近い位置で、多様なカナ転記について説明し、「便宜上統一表記をする」と宣言したうえでならば、記事内のカナ表記をいずれかに統一することに同意します。--柒月例祭会話2016年4月7日 (木) 03:57 (UTC)[返信]

賛成 導入部のスリム化については全面的に賛成です。カナ転記の問題についても、どちらでも良いのでとにかく統一しつつ、㭍月例祭氏の提案されたように記事内で諸々のカナ転記がわが国に存在することをひたすら説明してゆくのが良いと思います。もちろん、恣意的な標本を挙げて「Youtubeでネイティヴスピーカーがどう発音しているから[6]」、「慣習[7]」、「日本語文献の慣例ではこの表記が比較的多いが、実際のドイツ語の発音は~である[8]」、「標準ドイツ語では〜[9]」といった間接的な根拠を元に編集するのは独自研究ですので避けなければなりません(実際の編集[10]では恣意的な標本すら挙げられていませんが)。私が最初に「どちらでも良いので」と申し上げましたのは、実際に国内の専門家の中でも表記が割れている問題についてWikipediaが独自に判断をするべきではないからであり(Wikipedia:独自研究は載せないを参照してください)、記事内でそれぞれの表記を用いた専門家(文献)を列挙すること(つまり出典とともに事実をひたすら書くこと)が我々にできる必要かつ十分な作業だと思います。--Taro Yokoji会話2016年4月7日 (木) 14:35 (UTC)[返信]
賛成 お叱り真摯に受け止めます。他に異論のある方がいなければ柒月例祭さんの提案された形式の記述で良いと思います。--Ryo 625会話2016年4月8日 (金) 09:11 (UTC)[返信]


済み一週間以上、反対意見がなかったので合意形成とみなし、柒月例祭さんによる「名前のカナ表記」案を本文に反映させました--Ryo 625会話2016年4月27日 (水) 21:35 (UTC)[返信]