ノート:ボク少女

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「おいら」と言う人もいますね。--以上の署名のないコメントは、218.222.55.137会話/Whois)さんが 2004年4月5日 (月) 02:45 (UTC) に投稿したものです。[返信]

「俺」なんて言う人も結構現実にいますよね。っつーかうちの姉が・・・。--以上の署名のないコメントは、221.12.231.220会話/Whois)さんが 2005年5月7日 (土) 02:37 (UTC) に投稿したものです。[返信]

公の場で一人称「ボク」を使用している著名人女性、というのはもしかすると結構いるのかもしれませんが、私の知るかぎりでは渡辺明乃だけ(しかも常に「ボク」です)なので、実例として上げておきました。

もっとも、「おいら」と聞くとくまいもとこが思い浮かぶ私ですので、どの程度アテになるのかは我ながら疑問ですが。--KAWASAKI Hiroyuki 2005年7月14日 (木) 15:44 (UTC)[返信]

判定基準は?[編集]

FF5のファリスなんかは一人称『ボク』でもなければ少女というような年齢でもないですよね?--60.56.219.215 2006年4月16日 (日) 11:47 (UTC)[返信]


ベルばらのオスカルは?作中に幼年期も描かれているしなぁ…--219.116.149.171 2006年10月12日 (木) 11:30 (UTC)[返信]

オスカルの一人称は「私」だと思いますが…

俺とかおいらは花魁とかが使う由緒正しい男女共用の一人称ではないだろうか。それに比べ僕(ぼく)というのは幕末に作られた一人称で本来男性にのみ限られるもの。姉御とボーイッシュを一つにまとめるのは無理があるように思える。ボク少女と「俺女」は混同すべきでない概念ではないだろうか。Sionnach 2007年1月5日 (金) 19:45 (UTC)[返信]
ボク少女から俺女オレ少女?)を分割しますか?(オイラ少女はどうなる?)--春野秋葉 2007年1月14日 (日) 10:36 (UTC)[返信]

成人女性でも「俺」「おいら」を使う人は、一般女性にも結構いるとおもいます。(事実、私の友人達がそうですし。いや、彼女らはおたくでもなんでもないですよ。私はそうですが。)方言とかは関係なく。でも、たしかに俺より僕を使う女性のほうが違和感あると思います。あと国語辞書によると、おいらは「俺」から転じた言葉だそうです。なのでおいらも俺女に加えてもよいのでは?以上の署名の無いコメントは、219.122.247.40会話/whois)氏が[2007年1月14日 (日) 12:01]に投稿したものです。

私の高校時代のクラスメイトにボクを使ってた女性いましたね。私の義母はオレって言います。どちらも結構いるのかな。さて、今「俺女」はここ「ボク少女」にリダイレクトされているようですが別途「僕女」という項目もあるようなので、どちらかというとそちらにリダイレクトして、そちらで解説すべきかも知れません。つまり今、項目が「僕女」「俺女」「ボク少女」と3つあるようなのですが、現行の解説を見ると、フィクションの世界のことを主にボク少女に書いてあって現実の世界のことを主に僕女に書いてあるようなので、いっそ、そのように2項目で交通整理した方がすっきりするかも、とも思うのですが、どうでしょう?「オレ少女」「オイラ少女」もフィクション世界なら「ボク少女」の項目で、「おいら女」は「俺女」と一緒に「僕女」の項目で書いていいのかも。--Lumi 2007年1月17日 (水) 20:30 (UTC) ミーとゆう、一人称も男女兼用だと思いますよ。あと、ついでに魔人探偵脳噛ネウロの怪盗Ⅹが出生時女性であることから一人称が俺であることからこの項目に記載しました。--219.211.176.3 2007年11月2日 (金) 18:05 (UTC)ミナ(匿名)[返信]

分割の提案[編集]

記事がそろそろ冗長になってきたので、『ボク少女の一覧』に分割することを提案します。
また、テンプレートを貼ったりしませんが、僕女と記事統合する価値もあります。
--@KH利用者ページ会話投稿記録 2007年7月4日 (水) 09:32 (UTC)[返信]

反対します。こんな一覧に必要性があるのか、そこから考え直すべき。 -- NiKe 2007年7月4日 (水) 09:35 (UTC)[返信]
切り離す、という意味では賛成します。その存在を積極的に支持する気はないですけど、それがないと延々と追加する人間が止められないのでは?--Ks 2007年7月8日 (日) 14:27 (UTC)[返信]
あんまり賛成しないなぁ・・・。「一人称がボクである」女性ならなんでもかんでも追加してきてできた一覧だと思う。もっと「一人称がボクであることが有名な、または何らかの特別な意味を含む」女性にできるなら絞り込むべき。一覧ではなく例にとどめておくべきだと思うんだけどね。--121.83.2.52 2007年7月10日 (火) 10:17 (UTC)[返信]

改めて分割の提案を。NiKe様のような反対意見はありますが、その意図と現状とで差が大きいと思います。このままでは追加されるばかりで、記事の内容が改善されません。よそを見ても、一覧には追加されるばかりで、これを止めるのはほぼ不可能でしょうから、まだしも分割したほうがましかと。--Ks 2007年7月24日 (火) 23:54 (UTC)[返信]

では、近日中に分割致しましょうか?
Ksさんの指摘通りであれば、分割記事の冒頭に「ボク少女の記述があまりにも長くなった為、分割されたものです。」、との注意書きを添えておくべきであると思われます。
--@KH利用者ページ会話投稿記録 2007年7月27日 (金) 03:03 (UTC)[返信]
カテゴリにするのがいいような気がする。(尤も、そうなると個々の記事を作ることが必死になるわけですが。)まぁ、現実的に考えて、分離でもしないと増える一方なんで分割もやむなしと考える。(これらの記述をまるまま削除するなんてことできるはずないし。) --Lonchi Awotsuki** 2007年8月6日 (月) 03:24 (UTC)[返信]
いくつか例として挙げる必要性はありますが、本文中にもいくつか名前が挙がっていますし、いっそのこと全て削除するべきではないでしょうか?あのように単に名前を羅列するのはWikipediaの意義に反すると思います。アニメや漫画のゲストキャラまで追加しているようでは全く意味がありません。ボクっ娘はかなり一般的になってきているので、このままでは新しいアニメや漫画の数だけ名前が追加されていく事にもなりかねません。--邪狩 2007年8月8日 (水) 02:31 (UTC)[返信]
ノート:アンチヒーロー/過去ログ2。記事アンチヒーローでも同様の問題を抱えていました。議論の内容が類似しているため、参考としてリンクしておきます。--ザン9 2007年8月25日 (土) 17:31 (UTC)[返信]
自分は一覧の除去に一票投じます。百科事典として必要なものは「ボク少女とは何か」であり、ボク少女の一覧となれば、「ボク少女百科事典」でやるべき。それが存在するかどうかしりませんけど。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2007年8月28日 (火) 06:38 (UTC)[返信]

ブロガーでも過剰な人物一覧が問題になり、議論の末削除され、その後4か月経ちましたが「一覧必要派」による再記述とかはありませんね[1]。人物説明でリンクを張った際に「一覧があるなら追加しておこう」と軽く思うだけで、積極的に必要と思う人はそう多くないという事かもしれません。--Y-taro 2008年1月24日 (木) 10:54 (UTC)[返信]

統合の提案[編集]

表明権はありませんが賛成。--121.83.2.52 2007年7月10日 (火) 10:17 (UTC)[返信]
とりあえずKsさんの意見を支持してしばらく保留の方向で良いと思う。--121.83.2.52 2007年7月13日 (金) 10:00 (UTC)[返信]
  • 現時点で反対。どういう方向になるのか良く分からないので、両者の内容をもう少し充実させてからでも遅くないでしょう。何より、現時点ではあちらには「似て非なる」と表記されています。もしそうであれば、統合するわけには行かないですね。その辺を加筆なさってからではどうかと思います。--Ks 2007年7月12日 (木) 01:45 (UTC)[返信]
その「似て非なる」くだりの記述は、『要出典』とありますけどね……。
それに、統合とはいったって、『僕女』は、『ボク少女』へのリダイレクトにするべきかとも……。
--@KH利用者ページ会話投稿記録 2007年7月12日 (木) 21:48 (UTC)[返信]
KH様のおっしゃることには、現時点では説得力がありません。二つの項を合わせる理由に具体性が無いからです。現時点で表明されている理由は「思うところあって」だけです。私自身は、この二つの項が別に存在すべき、との理由は持ち合わせておりませんが、それぞれ独立に作られたからにはそれなりの理由があったのではないかと思います。現時点では内容にも重複がありません。ですから、さらに書き進めると重複して来る、ということであれば、それが分かるような理由を具体的におしめし下さい。できれば、どちらかに加筆してそれを明らかにして下されば良いとも思います。まあ、どちらもたいして内容が無いから合わせて一つで充分だ、ならそれもありでしょうが、それならそれでそうおっしゃっていただければ有り難いです。--Ks 2007年7月13日 (金) 00:57 (UTC)[返信]
誠に失礼致しました。
「どちらもたいして内容が無いから合わせて一つで充分だ。」、ともいう意味合いですが、『僕女』というあまりにも小さな記事があるよりかは、その『僕女』の内容を全て、『ボク少女』に吸収してしまった方がスマートだと考えていますし、上でも書いたように、どちらかといえば、『ボク少女』に述べられるべき記述ですから(上手く説明出来ていなくて、申し訳ありません。)。
具体的な案としては、『ボク少女』の記事本文に、「これに類似したような言葉として、『僕女』なるものがある。一般的にジェンダーに関する保守的な論客に、否定的に見られがちである。インターネット上でもネナベの一種として存在する。」、というようなものを考えております。
それから、分割については、賛成意見、反対意見が拮抗しているような気もしますね。
--@KH利用者ページ会話投稿記録 2007年7月13日 (金) 02:34 (UTC)[返信]
賛成。というか、僕女の記事自体スタブ未満であり字引的だし削除の対象になりえる可能性も。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2007年7月13日 (金) 02:38 (UTC)[返信]
(賛成)突撃氏を支持。そもそも僕女が存在している意味が分からない。統合後、当該記事をこちらへのリダイレクトにすることが望ましいと考える。 --Lonchi Awotsuki** 2007年8月6日 (月) 03:14 (UTC)[返信]
黙ってりゃわからないんでしょうけどそうも行きませんので。特定版削除依頼をすべきでしょうね。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2007年8月8日 (水) 08:30 (UTC)[返信]

そうでしたか。
では、暫く、議論の行く末を見守りたいと思います。
--@KH利用者ページ会話投稿記録 2007年8月23日 (木) 21:56 (UTC)[返信]

interwiki[編集]


「・・・だよ」が男性の言葉遣い?[編集]

『「・・・だよ」は明らかに男性の言葉遣い』と言う見解には賛同しかねます。地方によるかもしれませんが、東京出身の私はちっとも男性的とは感じません。当該ゲームはプレイした事がありますが、文法的には断定の「だ」+詠嘆の「よ」と言う形で使われていると思いますが、この使われ方であれば男性的とは言えないのではないでしょうか。同じ「・・・だよ」でも他の組み合わせによっては男性的になるかもしれませんが・・・。それと、少なくとも当該部分は書き方が一部の人間にしか解らない書き方をしており、百科事典として不適切であると思います。--邪狩 2007年8月8日 (水) 03:08 (UTC)[返信]

疑問、質問[編集]

H×Hのカルト=ゾルティックって少女でしょうか?--219.211.176.3 2007年11月2日 (金) 18:08 (UTC)ミナ(匿名)[返信]

再度、一覧除去提案[編集]

上の議論が停滞していますが、ボクが改めて一覧の除去(実在・架空とも)を提案しますよ。
昨日、過去の100版、おおよそ3ヶ月ちょいにわたる履歴をみましたが、ほとんどがちまちまとキャラを追加していくだけの編集で、それ以外の有意な編集は以下のわずか5版くらいしか確認できませんでした(一覧内のリンク修正等はカウントしてません。見落としがあれば突っ込んでください)。いたずらに版を増大させリソースの浪費を招いているのは明らかです。

コメント依頼にも提出しました。ご意見をお願いします。--怪盗蓬月 2008年3月14日 (金) 09:21 (UTC)[返信]

(コメント依頼から)一覧の除去に賛成します。ボク少女を語る上でボク少女の一覧が必要とは思えません。--Personofedo 2008年3月14日 (金) 09:54 (UTC)[返信]

ご賛同ありがとうございます。もう1週~1か月程度は猶予期間をおきます。

追記です。つい先ほど編集されたばかりで申し訳ないのですが、ぼくはこの編集で追加された「代表例」も記述すべきではないと思っています。「代表例」などというものは主観の域を出るものではなく、編集者の好みで追加されor書き換えられ、無駄な版の増大、および編集合戦を引き起こすことは想像に難くありません。正直なところ、ぼく自身今挙げられているキャラが代表であるとは到底容認できず、『魔導物語』のアルル・ナジャに書き換えようかとさえ思ってしまいました。--怪盗蓬月 2008年3月17日 (月) 06:28 (UTC)[返信]

(代表例も不要)恐らく怪盗蓬月さんの挙げている版の編集は検証可能性を満たさないでしょう。仮に検証可能性を満たしていたとしても、怪盗蓬月さんのおっしゃる通り編集合戦を誘発するだけだと思います。--Personofedo 2008年3月17日 (月) 06:43 (UTC)[返信]
ですから、例を挙げるとすれば、そのキャラオリジナルのではなく、ぼく女関連の議論についての出典がある場合に限るとかしないとだめでしょうね。--Ks 2008年3月17日 (月) 07:13 (UTC)[返信]

代表例を追加した本人です。
出過ぎた真似をして、申し訳ありませんでした……。
当該記述は、消しておきます。
--@KH利用者ページ会話投稿記録 2008年3月17日 (月) 13:20 (UTC)[返信]

一覧を除去しました。十分な猶予期間は置いたつもりです。またそれに伴いCategory:架空の人物の一覧を外しました。再度人名、キャラ名の掲載を希望する場合は改めて議論をお願いします。このたびはご意見ありがとうございました。--怪盗蓬月 2008年4月4日 (金) 03:47 (UTC)[返信]

お疲れ様でした。そして作業、ありがとうございます。--おーた 2008年4月4日 (金) 15:15 (UTC)[返信]

本文記事における独自研究[編集]

それから。本文も独自研究でほとんど削除対象かな、と。たとえば「歴史」で手塚治虫『三つ目がとおる』(1974年初出)の和登サンがボク少女の源流であるかのような書き方をされているけれど、同じく1974年には高橋亮子が少女コミックで『つらいぜ!ボクちゃん』という作品を連載しています。この例をみていると少女漫画・少女小説でもう少し前例があるような気がしています。(これは私の個人見解だから本文には書きませんけど。)

で、この『つらいぜ!ボクちゃん』を見ていると、「女性キャラクターにこの男性的一人称を敢えて使わせるのは、そうすることによってそのキャラクターの女性性を逆に際立たせる効果をねらっている」のとは、まったく違って、主人公の性的未熟さを象徴する表現としての「ボク少女」でありました。(男兄弟に囲まれて育った女の子が、子供時代に「ボク」を自称するのは昔から結構多かったと記憶しています。)だもので、「女性性を際立てる」というのはダウト。二次情報源を示していただけないかぎり、削除であろうかと。

「現実にこれらの言葉を使う女性は、男性としての性自認を持っているとは限らないが、自分の社会的性別に違和感を感じていることも多い」に至っては、「本当かよ?」という疑問符が一杯出てくるので、これも二次情報がない限り削除させてください。本当に「ボク少女」には社会的性別に違和感持っている人が多いんですか?「違和感をもっているから「ボク」という一人称を使っているんだろう」という執筆者の主観表明だけのような気がします。

ということで、相当部分が削られてスタブ記事とならざるを得ないというのが私の見立てなんですが、二次情報源が出典として示されない限りそれも致し方ないことだとご了承願えればと思います。--おーた 2008年3月17日 (月) 13:50 (UTC)[返信]

(追記)上で指摘した部分に要出典タグをつけました。出典が出なければ、一覧が除去されるタイミングで除去します。それから概要の冒頭文ですが、Tomboyは辞書を引いてもらえば分りますが、「お転婆」という意味もあって「ボク少女」とは少しズレます。文意も少し混乱しているのでもっと簡単に書いたほうが良いでしょう。

  • (文案)男性用一人称代名詞を使用する女性のこと。類似語に僕女(ぼくおんな)、俺女(おれおんな)がある。

ここに限らず、文章の整理もそのときに行いたいと思います。--おーた 2008年3月20日 (木) 07:19 (UTC)[返信]

同感です。昨日この記事を読むとき、"なんでここにtomboyが出る?"と迷ってしまいました。--A02 2008年3月22日 (土) 07:00 (UTC)[返信]
ということで、異論も出なかったので本文を編集します。--おーた 2008年4月4日 (金) 15:17 (UTC)[返信]

「四季の歌」の「ぼく」が女性である状況証拠[編集]

これは「愛を語るハイネのような ぼくの恋人」という歌詞から推定が可能です。「ハイネ」はドイツ語で男性の名前。この歌詞では多分、詩人のハイネだと思います。
--124.100.255.38 2008年5月6日 (火) 04:24 (UTC)[返信]

本来、作詞者の荒木とよひさは「愛を語るハイネのような ぼくの友達」という歌詞を書いたようです。従って、「ぼく」が女性であるという推定は間違いといえると思います。 ソース:http://past.momoya.co.jp/anime/tenji26.html --yamashina kiyoharu 2008年5月6日 (火) 12:56 (UTC)[返信]

「本来はこういう歌詞だった」という話は、「このような歌詞で歌われた」という話を否定するものではないですよ。作者の意図がどうあれ、「愛を語るハイネのような ぼくの恋人」と歌われたという(そしてそれがヒットしたという)事実は、女性が一人称として「ぼく」を使用して違和感がなかったと十分に推定せしめるものです。
なお、124.100.255.38さんの要出典タグ削除については差し戻しさせていただきました。要約欄にも書きましたが「要出典」は「この詩が作られた当事、女性の一部には「僕」を自称するのが流行っていたという。」という文章に付けられたものです。もう、お分かりかとは思いますがWikipedia:検証可能性を満たす出典をよろしくお願いします。--おーた 2008年5月6日 (火) 13:40 (UTC)[返信]
とりあえず、根拠が明確でないとの指摘なので、要出典ごと削除いたしました。--124.100.255.38 2008年5月6日 (火) 21:16 (UTC)[返信]
うーん。性急すぎるんじゃないですか?もうひとつの「要出典」案件を残して、こちらだけ全削除という理由は何ですか?--おーた 2008年5月6日 (火) 21:38 (UTC)[返信]
ということで、いったん差し戻しました。この記事は、大幅に整理をかけていますがその際には、
  • かなり疑わしく出典がない記述は削除、
  • 出典は今のところないがひょっとしたら出てくるかもしれない記述については要出典付きで残す、
  • 出典がなくとも大方の人には納得できる記述についてはそのまま残す、
という処置をとっています。現在、要出典がついてるのは2箇所でそれほど目くじらを立てることも無いのではないでしょうか。「半年ぐらいでも様子を見て出典が出てこないなら削除」ぐらいの対処で丁度良いような気がします。--おーた 2008年5月9日 (金) 21:15 (UTC)[返信]
半年を越して一年が経ち、他の部分での出典の裏づけの無い記述復帰が始まってしまったので、除去しました。IP氏による異論は出ていましたが、二次資料ではないことと具体的な文案が示されていないことからやむを得ないと判断しました。--おーた 2009年6月24日 (水) 13:39 (UTC)[返信]
戻します。「四季の歌」に関しては、すでに指摘があるとおり、単なる間違いなので(この歌の場合、作者の了承を得ないままレコーディングされたという特異な事情がある)、例として適切ではありませんが、この時期(具体的に言うと1960年代後半から70年代前半に掛けて)女性の一部には「僕」を自称するのが流行っていたと言うのは事実です。ウーマンリブ運動が当時日本でも注目を浴び始めた時期で、ジェンダーに対する考え方の1つとして、「僕」、「俺」の一人称を使うのが女性の間で流行ったのです。具体的な例の典型的な物としては、その当時、活動していた歌手の森田童子が上げられます。彼女はほとんどの楽曲で「僕」の一人称を使っています。他にも、その頃の中島みゆき谷山浩子の歌にも「僕」の一人称を使っている歌がありますよ。--218.41.10.192 2008年12月24日 (水) 04:55 (UTC)[返信]

『リボンの騎士』について[編集]

>『三つ目がとおる』(1974年初出)の和登サン >1974年には高橋亮子が少女コミックで『つらいぜ!ボクちゃん』

初めまして・・・、『少女達の戦歴』(青弓社1998)を出典として記した記事を問答無用で削除されてしまった者です。『リボンの騎士』は1963年の作品ですぜ。宝塚をヒントにした作品ということも手塚治虫本人の言として紹介されてます。少なくとも、商業誌でそういう主張、研究があったことは事実なわけで、それを無断削除とは・・・。逆に、現在本文にある記述には逐次出典が張られているわけでもなく、いったいみなさんがWikipediaのルールをどうとらえているのか困惑しているところです。--210.139.182.173 2009年1月2日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

横から失礼。これは削除の際のコメントをご覧ください。要するに、体裁が整った形で加筆してくれ、という話ですね。基本的に参考文献は下に出すとか、その際に記入すべき項目とかあります。その辺確かめて後加筆ください、ということですね。でも、一気に消すこともない気はしますが。--Ks 2009年1月2日 (金) 19:57 (UTC)[返信]
こんにちは。とりあえず削除した者です。せっかくですので節を独立させます。
確かにもう少しこのノートなりで説明すべきところを、概要コメント欄の説明だけで削除したのは、乱暴だったかもしれません。申し訳ない。改めて説明させていただくと、この記事は過去に無責任な書き込みが多かったために記述を大幅に整理した経緯があります。その結果、ほとんど出典らしきものも無いままに一次資料だけで書かれたスタブ記事の状態となっていますから、今回のIP:210.139.182.173さんの出典付加筆は大変にありがたく歓迎されるものです。ただ、Ksさんにも説明いただきましたが、体裁として不十分なのと、どの部分が出典で確認されうる記述なのかが不明なのでそこをはっきりさせていただきたいと思いました。私が確認したいのは、
  • 単なる男勝りではなく、少女のエロティシズムとボーイッシュな人物像が融合した「ボク少女」の成立過程については、その源泉を宝塚に求める説が有力であるについて、ことに「ボク少女」という文言で『少女達の戦歴』に言及があるのか。
  • リボンの騎士』でサファイアは「ボク」と言っていたのか。言ってたとすればそれはマンガ版からなのか、アニメからなのか。
の2点です。IP:210.139.182.173さんの記述では「ボク少女」と斉藤環の言ういわゆる戦闘美少女がごっちゃになっているような印象をもったことから、出典を確かめておきたいなと思うに至りました。了解ください。また、『少女達の戦歴』青弓社は、Amazonなどで確認する限り5人以上の著者からなるアンソロジーのようです。ですから、誰の発言を出典とするのかは最低限明らかにしていただきたいのと、出来ればページ数や、該当箇所の引用をお願いしたいと思います。「何を細かいことを」と思われるかも知れませんが、本項で怪しげな独自研究を削除整理した人間としてはそこまでやっておかないと「俺達の記述は削除されたのに、なぜあいつの記述は通るんだ」みたいな話になってしまいますので、ご理解お願いします。--おーた 2009年1月3日 (土) 06:40 (UTC)[返信]
この部分について、結局加筆者からは引用箇所が明示されませんでしたが、機会があったの『少女たちの戦歴』を手に入れて、該当する記述があるかどうかの確認を行いました。結果をまず報告すれば「そんな記述は無かった」です。このムック本の特集は、いわゆる「戦闘美少女」についてであって「ボク少女」についてではありません。(この二つをごっちゃにする人はたまに見かけますが、そういう人は百科事典を編集しないで欲しいです。)もし、私が見落としている記述があるのなら、それは指摘していただきたいとは思いますが、とりあえずこの記述は削除のままでよろしいかと思います。--おーた 2009年8月22日 (土) 08:09 (UTC)[返信]
出典の確認お疲れ様です。そうでしたか。ただ、漫画及びアニメでのサファイア王女が、ボク少女の定義に当てはまるキャラクターであることは(現在原作が手元になく確認していませんが、Google等で確認する限り)確かだったはずですので、「模倣され他の作品にも影響を与えた著名なキャラクターの一人」として紹介することはできないでしょうか? --Kanohara 2009年8月22日 (土) 11:51 (UTC)[返信]
どうなんでしょうか。『リボンの騎士』でサファイアが「ボク」と言っていたにしても、それは男性を装った状態で言っている訳です。女性として「ボク」を言っている訳じゃないですよね。それは「ボク少女」とは違うのではないでしょうか。それよりも何よりも、そういうことは二次文献を基にして提案していただけませんか?--おーた 2009年8月22日 (土) 12:52 (UTC)[返信]
ううむ、「男装キャラクターはボク少女の定義に含まれない」という言説は聞いたことがありませんし(出典を示して「男装少女はこの定義に含めないとする言説もある[1]」のように併記することには反対しませんが、仮にそのような出典があるとしても眉唾に思えます)、個人的には、ある作品の登場人物が「僕」「俺」のような一人称を使っているという事実自体は、一次資料に基づいてよいケースに該当するだろうと考えています(この場合の一次資料は、『リボンの騎士』の漫画やアニメがそれに該当するでしょう)。まあ、私自身は別の議論で述べたように、フィクションにおけるボク少女のルーツがサファイア王女であると断定することや、手塚治虫の発明であるかのように述べること自体には疑念を感じますが、「少なくとも漫画などでは1970年代前後から……」という部分に出典がない点には危惧も感じており、この辺りの記述を存続させるとすれば、何らかの「著名なボク少女」の具体例の提示は必要だと考えています(実際、先程の編集でElwood Linkさんによって{{要出典}}を追加されてしまいました)。「例えば戦闘美少女として多くの追従作品、亜流キャラクターを生んだサファイア王女は、男装し男性一人称を用いる女性キャラクターである」のような記述ではどうでしょうか。--Kanohara 2009年8月23日 (日) 02:46 (UTC)[返信]
男性に変装している人間が、男性の使う一人称代名詞を使うのは当たり前だと思いますけど。それをボク少女に含める理由が私には分からないです。それすらもボク少女に含めるというのは、、、やっぱり二次文献お願いします。--おーた 2009年8月23日 (日) 06:55 (UTC)[返信]
まあそのように「ボク少女」の詳細について網羅した文献があったなら、こうして議論をする必要もないのですが。さて、大辞林(goo辞書)の定義によれば、ボク少女の同意語である「ボクっ娘」はネット利用者の俗語(インターネットスラング)として定義されているようです。「ボクっ娘」をインターネット発祥の言葉と定義することについては、個人的には疑念を感じますが、とにかく俗語であるからにはそれほど厳密な定義はないのでしょう。また、男装キャラクターと言えど、受け手(読者、視聴者、ゲームプレイヤー)に真の性別が明かされているのなら、そのキャラクターは受け手から女性と認識されているはずであり、男装か否かはあまり関係がないものと考えます。
試しに、Googleで蒼星石天上ウテナといった、男装しており一人称が「僕」である少女キャラクターについて「キャラクター名+ボクっ娘」の検索キーワードでヒット数を調べてみたのですが、それなりのヒット数が得られました。これは決して信頼できる情報源に値するものではありませんが、個人的な実感でもある「男装しているか否かは、ボク少女の定義にはあまり関係ない」という解釈は、実状にそれほど反していないものと考えています。これらの用法が誤用であるとする言説や出典も聞いたことがありません。
なお、リボンの騎士を含むボク少女のルーツに関しては、「同人用語の基礎知識」さんの解説が詳しいですが、同サイトは出版された著書もあるものの個人のサイトであり、外部リンクの選び方の基準からすると(書籍や学術論文などと同等の水準を保っているか否かで)人や項目によって判断が分かれるかも知れないがグレー、今回のような議論の余地のある記述の出典とするには個人的にアウト、と感じています。このサイトや、このサイトと同等の水準のものが書籍として出版されていれば、私なら出典として重宝するのですが。ちなみに同「同人用語の基礎知識」さんのサイトではサファイア王女を、男性一人称を用いる女性キャラの初期の傑作として紹介し、ボク少女の歴史を語る文脈で取り上げつつも、今日に繋がるボク少女のルーツとしては別のキャラクターを挙げているようです。--Kanohara 2009年8月23日 (日) 20:54 (UTC)[返信]

2009年6月のkonoharaさんとパオールさんの編集について[編集]

申し訳ないのですが、6月18日付けのkonoharaさんの編集と、6月24日付けのパオールさんの編集について大幅な除去を行いました。いったん、このノートで議論させてください。もともとこの『ボク少女』はコメント依頼にも出されて、独自研究の疑いが強くもたれていました。そこで、かなりの部分が除去された上で「まあ、そのような説はあるのかもしれないが文献による裏づけが無いね」という部分を「要出典」としたという経緯があります。半年置いて、何も出ないなら削除されてもやむを得ないかなと思いながら一年以上放置され、今回の記述追加・コメントアウトの除去となったことについては、過去の編集に関わった者として多少の責任を感じました。その立場からの編集ということをご理解いただければと思います。

出典追記は基本姿勢として大いに歓迎するところではありますが、それと同時に出典の裏づけの無い記述のコメントアウトが戻されるだとか、「出典」がつけられながら「要出典」タグが付けられるだとか、文献としてはあまり信頼性がおけない宝島社のムックがあげられているなどいくつかの疑問があります。ことに、この項目ではいわゆる斉藤環の言う「戦闘美少女」と「ボク少女」の混同がずっと気になっていました。神経質すぎるのかもしれませんが、引用されている文献で「ボク少女」に文意の通りに言及されているのか、それを明示していただけないでしょうか。よろしくお願いします。--おーた 2009年6月24日 (水) 14:05 (UTC)[返信]

私がタグをつけたのは要出典ではなく{{要検証}}タグです。ノートでの議論を読む限り、コメントアウト部分について求められているのは出典の提示ではなく、記述が出典に則った内容であるか否かであるとか、そもそも出典となる記述自体が信頼できるのかといった検証作業であると理解したので、要出典タグとは意味合いの異なるこのタグを選びました。私個人としては、書籍を明確に特定できる形で出典が示されている記述を、その本を自分は読んだことがないとか現在入手困難であるとかいった理由で消して回るのは、自分の無知を棚に上げた記事の破壊行為と紙一重であり、(荒らしの常習犯への対処であるならばともかく)もう少し慎重になるべきだと考えています。確かに私自身も『少女たちの戦歴』の記述を確認していないので、他人のことはとやかく言えないのですが、出典が提示されている記述は書き込まれてすぐにコメントアウトされ、ソースを確認しなければ誰の目にも留まらない状態に長期間置かれており、問題があるように感じました。個人的には、「……有力である」という文を「……という説もある」というような形に修正して、同じ書籍を持っていて検証を行える方が登場するのを待つのが適切だったのではないかと考えています。
宝島社のムックについては、手元にまともな資料が他になかったため、やむを得なく使用した面はあるのですが、一応は書籍の形で出版されたものであり、また内容についても現実との大きな乖離があるとは感じられず、「サブカルチャー界隈では確かにそのような用語が使われており、比較的ありがちな特徴として受け取られているようだ」ということの根拠としてはこの程度で十分だと考えています。記事冒頭に{{独自研究}}が貼られているということは、ボク少女という概念自体が初版執筆者の造語なのではないかと疑われており、本記事の存続自体が危ぶまれている状態であると理解しますが、goo辞書には大辞林を出典とするボクっ娘の項目が存在しており、個人的には記事自体が虚構もしくは特筆性を満たさない状態にあるとは考えていません。
おーたさんが気にしている宝島社のムック「空想美少女大百科 電脳萌え萌え美少女大集合!」の記述内容ですが、出典元の著者はムックの執筆に携わった23名の著者の一人として登場し、2ページに渡ってボク女の記事を執筆しています。記事は「ボク女」の定義に始まり(この部分は記事内で{{Cite book}}内に引用を示しているので、ご確認ください)、筆者がボク女の中でも特にどのようなタイプのキャラクターに萌えており、なぜ自分がそのようなキャラクターが好みなのかという話題を展開しています。その後、著者が知人の女性に「ボク女が好き」とカミングアウトしたところ、嫌な顔をされたという体験を引き合いに出し、
このことからもわかるように、「ボク女」は現実世界にはほとんど見られない。だからこそ空想の世界に求めるのだ。変な例えだが、ゲームでレアアイテムを探す感覚。条件が悪ければ悪いほど、出会ったときの喜びも大きいのだ。 — 花井拓登、「『空想美少女大百科 電脳萌え萌え美少女大集合!』 宝島社〈別冊宝島〉、1999年1月、122頁。
と述べています。ここまでが1ページで、残りの半分は『エターナルメロディ』のサブキャラクター、セロが男の子か女の子なのかという話題を中心に展開しています。記事の大半はキャラクターを解説するための脚注や画像に費やされており、コラム自体はあまり長くありません。個人的には、もう少し信頼性の高い出典を待ち望んでいますが、記事が存続するための最低限の出典としては、このようなもので十分ではないでしょうか。--Kanohara 2009年6月24日 (水) 15:59 (UTC)[返信]
こんにちは。まず私の考え方をお伝えしておくと、「こうしたサブカルチャー系の項目については項目自体を無闇に削除する必要も無いけれど、無責任な書き込みを誘発させないように余計なことは書かない方がよい」です。「あ、この程度で良いならオイラも書いちゃお~」てなノリで書かれる方々にあまり隙は見せないほうがよいのではないでしょうか。メンテが大変ですから。その上で、私が削除した箇所について個別に論じさせてください。
まず、
この詞が作られた当時、女性の一部には「僕」を自称するのが流行っていたという[要出典]。現在ではチャット掲示板などで故意に性別を隠すために男性用一人称である「俺」が使用される場合もある[要出典]
は、長らく出典が出なかったので削除としました。特に後半は、記事の中では付け足し的文章ですから。次に、
{{要検証範囲|単なる男勝りではなく、少女のエロティシズムとボーイッシュな人物像が融合した「ボク少女」の成立過程については、その源泉を宝塚に求める説が有力である。とりわけ、日本コミック文化の父・手塚治虫が『リボンの騎士』において、宝塚の男形をヒントに、さっそうとした男装を身に纏い活躍しつつ可憐な美少女でもある王女サファイアを描いたことが大きく、これが今日に至るまで多くの追従作品、亜流キャラクターを産んだ原因であるとされる。(おーた注:文末に斉藤環・荷宮和子他の『少女たちの戦歴』が文献として参照)
ですが、「要出典」であろうが「要検証」であろうが私の意見は同じです。文献があげられていながら検証されていないというのは、やはり読者に変な誤解を与えかねないです。そして、ここは私が一番気にしている点なのですが、この本の中に本当に「ボク少女」が記事の文意の通りに言及されているのかが疑問な訳です。引用者の強引な「解釈」が含まれていないだろうかという心配もあります。そして記事の上で検証を呼びかける形にするのは、先にも述べた理由(安易な書き込みを誘発しやすい)で賛成しません。コメント依頼や、関連プロジェクトへの呼びかけなどで対処するのが良かろうと思います。それから削除はしませんでしたが、
サブカルチャーでは、キャラクターの個性を際立たせる特徴としてしばしば用いられる。頻出する理由については、現実には希少な個性であるためにフィクションの世界に求められるのだとする解説もあるがはっきりしていない。
(以下はKonoharaさんによる参照箇所)このことからもわかるように、「ボク女」は現実世界にはほとんど見られない。だからこそ空想の世界に求めるのだ。変な例えだが、ゲームでレアアイテムを探す感覚。条件が悪ければ悪いほど、出会ったときの喜びも大きいのだ。花井拓登『空想美少女大百科 電脳萌え萌え美少女大集合!』 宝島社〈別冊宝島〉、1999年1月、122頁
についても述べておきます。まず、引用箇所の花井拓登さんというのはどういう方なのでしょうね?ざっと検索しても、著作は無いようです。宝島社のムック本は素人のマニアの原稿を素通しで載せるようなところがありますから、やはり注意は必要でしょう。また、この花井さんの文章は「ボク少女は「レアアイテム」だから人気がある」という趣旨ですが、レアアイテムもしくは希少な個性なら「ボク少女」以外にもいくらでもありますが(本を食べる少女、採血が趣味の女子大生etc.)、その中で何故「ボク少女」が頻発したのかは説明できていません。ということで、この箇所も「この程度の出典でよいのか」と読者に思わせ、安易な書き込みを誘発させてしまう危険性が大変に高いと思います。私はあんまり感心していません。--おーた 2009年6月24日 (水) 23:06 (UTC)[返信]
著者が何者であろうと、書籍として出版されている以上はWeb上のいち意見よりも適切な出典だろうと考えますが、頻出する理由の説明としては心もとないという意見についてはもっともなので、著名な美少女ゲームのシナリオライターでもある涼元悠一氏の著書を出典にして、作劇上の必要性という観点から説明する形に修正してみました。これにしても、もっと奇抜な一人称を差し置いて「ボク」が頻出するのかという説明にはなっていないのですが、以前のものよりはよい形ではないかと考えています。そもそも萌え属性というのは嗜好に関する事柄であるため、ボク少女に萌えている人たちの個々の内心では「ボク少女のどのような部分に魅力を感じているのか」は明白であるはずで、それを「なぜ頻出するのか分からない」と説明していた以前の形は、あまり望ましくないと考えています。
記事の存続について。おーたさんが「この項目自体を無闇に削除する必要は無い」と考えていても、それはおーたさん個人の考えに過ぎず、事実本項目は他者からは独自研究に過ぎない内容と見なされており、より多くの出典を確保することは重要でしょう。気軽な気持ちで記事を書くような方々に隙は見せないほうが良い、という点には大いに同意するのですが、今までの表現は逆に隙だらけで、かえって「なぜ自分がボク少女キャラクターを好むのか」「ボク少女のルーツは誰か」という知識を披露したくなる欲求を煽っているかのようにも思えます。私としては、隙を見せないためには文献による出典を示し、「Wikipediaに書いてよいのは検証可能な事実のみであり、独自研究は載せない」という姿勢を明らかにすることの方が重要だと考えています。
なおボク少女の起源について、個人的にはフィクションにその起源を求める言説自体が眉唾であると思っているのですが、『少女たちの戦歴』に関する加筆を行った115.163.186.87氏が三時間前に同一IPから行われた『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の編集について、たまたま手元にあった出典と照らし合わせたところ、ほぼ出典に即した(丸写しと言い換えてもよい)内容となっていることを確認しているので、少なくとも虚偽の内容を書くような執筆者ではないだろうと信頼しています。一方で、そのような言説の存在が指摘されているにもかかわらず、「それらを特定できる信頼の置ける資料はない」というのは、失礼ながら自説にこだわるおーたさんの独自研究なのではないかという疑念も感じています。Wikipediaが字引ではなく百科事典である以上は、起源に関する言説が存在するのであればそれに触れなければならないようにも感じられ、個人的にはパオールさんの記述内容と併せて、このような形で記述できればよいと考えているのですが。
「現在ではチャットや掲示板などで故意に性別を隠すために男性用一人称である「俺」が使用される場合もある[要出典]」の部分については、まあチャットや掲示板で性別を明らかにしたくない人は「あたし」などは使わないでしょうし、これは常識の範囲内として出典は要らないだろうと考えるのですが、それらを「ボク少女」と称してよいのかどうかという点では疑問ですし、蛇足だという意見には同意します。ただ、個人的には方言や江戸時代の表現と併せて「本項目では扱わない」例の一つとして、存在の真偽自体は問わない形で記述してよいのではないかと感じます。--Kanohara 2009年7月1日 (水) 15:12 (UTC)[返信]
記事を存続させたいと考えてあれこれ記述なさる意欲は尊重したいと思いますが、信頼できない文献を使って書くことは、後々記事が荒れる原因になりますので止めておいた方が良かろうと考えます。花井拓登さんの文書を出典として、ボク少女が頻出する理由を書くのは「心もとない」のではなくて「ロジックがおかしい」というレベルであり、そのような文献を動員してまで記事を守ろうとする方向に疑問を呈しています。
それから、私は「ある程度、この領域について知っている人から見て異議も出ないだろう」と思われる範囲まで記述を縮小しました。「起源はよく分かっていない」としたのはそのような理由です。誰も、分かっておられないようでしたのでね。しかし、konoharaさんがそれに「要出典」をつけられたのであれば、それなりの判断根拠をお持ちなのでしょう。「起源は良く分かっていない」こと自体に疑念が突きつけられているのであれば、それは削除しておいたほうがよろしいでしょう。私の手で、削除します。
また、「四季の歌」については「サブカルチャーで頻出する『ボク少女』」の記事としては完全に脇筋です。こういうのに拘泥して、本文中でうだうだ書く必要はありません。それこそ、知ったかぶりがごちゃごちゃ書き加える要因になります。元来「ボク(僕)」というのは明治時代の書生言葉として成立し、書生が圧倒的に男性であったことから男性一人称として定着しますが、明治後期頃に始まる高等女子学校文化の中では女性一人称としても使われたことがあったようなのです。1900年代から始まる少女雑誌の変遷を追った専門書に目を通してみましたが、残念ながらそのような記述を見つけることができませんでした。今後そのような記述が見つかればその旨、書き足させていただくつもりではありますが、「昔には女性一人称として「僕」が使われていたこともあった」一例としての簡単な記述になるでしょう。本項の趣旨が「「僕」が男性一人称として定着している社会であるのにも関わらず、サブカルチャーで頻出する「ボク少女」」である以上、そのあたりの過去をごちゃごちゃ書く必要はどこにもないからです。--おーた 2009年7月7日 (火) 13:34 (UTC)(正確を期すために一部推敲、すみません。)--おーた 2009年7月8日 (水) 13:44 (UTC)[返信]
(追記)前節で報告しておきましたが、115.163.186.87氏の出典は駄目でした。予想通り、「戦闘美少女」と「ボク少女」の混乱です。--おーた 2009年8月22日 (土) 08:14 (UTC)[返信]
私が「信頼の置ける資料はない」という文につけたのは「要出典」ではなくて「要検証」で、記事から除去された幾つかの出典は本当に信頼が置けないものなのか、今一度検証する必要があると考えました。
前述のように、個人的にはボク少女をあたかも手塚治虫或いは他の何者かの発明で、起源が存在し、今後研究が行われればそれを特定できる可能性があるもののように記述することには疑念を抱いています。私の小学生時代の同級生にも、男兄弟に混じって育ったらしく自分をボクと呼称する女の子がいましたし、また戦争を扱った作品などで時々出てくる、治安の悪化に対する防衛策として親が女の子供を男装をさせて自分をボクと言わせるような描写も、実際の出来事としてあったのだろうと考えています。そのような現実にあってボク少女の初出作品を求めるのは、雲をつかむような話でありましょう。ですが、後の作品に大きな影響を与え流行を生み出した著名なボク少女というものなら存在しているでしょうし、そのことに関する研究や考察、専門家のコメントといった文献があるなら、それらの言説をまとめた内容は百科辞典として魅力的な内容になるだろうと考えています。また、百科事典として「ボク少女」の社会的な位置づけを記述するに当たっては、「僕」という一人称の歴史や、大衆文化という意味ではサブカルチャーの一角を構成するポピュラー音楽におけるボク少女というのも、主題となる事柄を多角的に紹介する上で関連性のある事柄だろうと考えています。もちろん、出典の示されない独自研究などは削除すべきですが。--Kanohara 2009年7月8日 (水) 23:07 (UTC)[返信]

ボク少女の多様性について[編集]

FGOでボクっ娘が話題になったことからこちら記事を閲覧。 過去に議論があり、活発な頃、どういう記事だったのかを今は見ることができない。

しかし、文献にないことは書けないという前提での今の記事であるとすれば、美少女ゲーム等に登場するボクっ子のルーツを知るという意味で、月宮あゆに触れられていないという点が不十分であるように思われた。結果的に、宮沢賢治作品から連なる系譜についても触れられていない。

>「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 >「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。 >「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)

萌え(単に記号的なかわいさではなく、ある種の壮大な悲哀を背景にした)とか、泣かせる系のシナリオの多くは、星の王子さまであるとか、こうした宮沢賢治作品を源流として憧れている側面がきっとあるはずである。ファン同士の会話では、やはりこういう作品群が好きだった。サブカル評論がそこに言及できていないというのも残念な話である。

話かわって、シュタインズ・ゲートでは、ボーイッシュキャラの阿万音鈴羽はボクっ娘ではなく、シュタインズ・ゲートのボクっ娘キャラは、漆原るかである。なので、フェミニンキャラにボク人称を与えるという事例は確かにあるなと納得する一方で、要は複数キャラの個性の区別がつけれればいいのかという可能性や、女性声優の声質的にボクの響きが良ければ採用するといった可能性もあるため、評論家が論じるに値する概念かどうかも今や疑わしい。

要するに何がいいたいかというと、オケアノスのキャスターは一人称はボクではないのに、すばらしいボクっ娘であるということだ。そして彼女への性格付けはボーイッシュや性倒錯ではなく、ジョバンニ・カムパネルラに通ずる、想いのまっすぐさ、透明感が唐突に現れて、ああこういうキャラだったのか胸が痛む、つまり萌える、という現象面にある。誰か評論に書いてくれ……。 --Hakodatesuzume会話2017年12月13日 (水) 10:52 (UTC)[返信]

2022年3月18日からの「Hex'2018」氏による文面削除について[編集]

3月18日、Hex'2018 氏により、編集内容欄に一切何の説明もない形で一部文面の削除が行われました。その時は「単なる誤編集の可能性もある」と判断し、3月22日付で私が差し戻しております。
ところが再度、4月2日に同一部分の削除(+隣接1段落も同時に削除)が行われるに至りました。今回も編集内容欄は空欄です。(今さっき、再度差し戻しました。)
こうなっては意図的な悪戯としか思えないのですが、当面どう対応すべきでしょうか?--Delmonta_Iijima会話2022年4月4日 (月) 18:21 (UTC)[返信]