ノート:スザンナ・マリア・シバー

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メモ[編集]

  • ダブリンに行った理由について。三澤寿喜『ヘンデル』などには「駆け落ちして」ダブリンに来ていたとあり(pp.143-144)、また裁判沙汰で噂になったのでほとぼりがさめるまでダブリンにいたと書かれているものもあるのですが、どちらもあまり根拠が明らかでありません。わかっているのは1741年にダブリンにいた、ということで、それ以外は推測にすぎないようにも思われるので、ダブリンにいた理由は特に書きませんでした。
  • トマス・アーンの伝記には、1750年にギャリックとシバー夫人の間でもめごとがあったためにドルリー・レーン劇場を去ってコヴェント・ガーデンに移った、という話が書かれてあるのですが、この話もいまひとつ根拠がよくわからないので書きませんでした。本来なら大事な話なので書くべきだと思います。
  • 500ポンドの賠償金について。18世紀の1年間の家賃が10ポンドと書かれているので(Currency, Coinage and the Cost of Living)、500ポンドというのはかなりの高額になりそうです。仮に1ポンド10万円とすると5000万円?

--Pekanpe会話2021年1月2日 (土) 03:52 (UTC)[返信]

ギャリックとシバー夫人の争いの話はおそらく英語版を元にしたのでしょうが、英語版記事に全然出典が載っていないので、とりあえず英国人名事典の記載を元にトマス・アーンの方の記事を書き直しました。--Pekanpe会話2021年1月2日 (土) 09:04 (UTC)[返信]