ノート:クルト・タンク

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戦後のタンク博士[編集]

アルゼンチンゃインドなどで苦労されたように思えるのですが;?

何故、アメリカでご活躍出来なかったのでしょう?

ペーパークリップ作戦とか、ドイツの優秀な頭脳を米国に吸収する事業とか有ったと思うのですが;

フォン・ブラウン博士とか有名ですが、米国人に換わりのいない、ロケット分野、由えなのかなぁ?

タンク博士くらいになると、下っ端では役不足で、さりとて主任設計者は米人で一杯という、ある種

煙たい存在だったのか・・・;

の間に、日進月歩の航空機技術界で旬を過ぎてしまわれた・・・のか。


ウィキペディアはネット百科事典なので、上記のような芸能週刊誌が扱うような事は書きにくいとは

思いますが;


--58.183.155.166 2010年8月5日 (木) 23:52 (UTC)[返信]