ナポリ王国の旗

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本項では、南イタリアに存在したナポリ王国の旗について説明する。

ナポリ王国は、時期によって異なる旗を掲げていた。これは、ナポリ王国を誰が支配していたかによる。

歴史上の旗[編集]

使用時期 説明
1282年 - 1442年 この旗は、アンジュー=シチリア家シチリア王国の支配者となり、シチリアとナポリを統治していた時代に用いられていた。
1442年 - 1516年 ナポリ王国はアラゴン王国の支配下に置かれた(アラゴン連合王国)。赤と黄色からなるアラゴンの旗「サニェーラ」が用いられたほか、左図のようにアラゴンの旗と、ハンガリー王国の旗(赤・白の横縞)、アンジューの旗、エルサレム王国の旗(白地に十字)を組み合わせた旗も用いられた。
1516年 - 1700年 ハプスブルク家のカール5世(カルロ1世)がスペインの諸王位とともにナポリ王位に就く。王国は他のスペイン帝国同様ブルグント十字(ブルゴーニュ十字。聖アンデレ十字の一種) (Cross of Burgundyを用いた。
1714年 - 1734年 スペイン継承戦争後、オーストリア・ハプスブルク家神聖ローマ皇帝カール6世がナポリ王国の支配者となった。
1734年 - 1799年 ポーランド継承戦争後、ブルボン家スペイン・ブルボン家)出身のカルロス3世がシチリア王国とナポリ王国を統治した(ナポリ=シチリア・ブルボン朝)。
1799年 フランス革命の影響で成立した革命政権・パルテノペア共和国によって掲げられた青・黄・赤の縦三色旗。この旗はフランスの国旗をモデルとしている。
1799年 - 1806年 パルテノペア共和国は短命に終わり、ブルボン朝による支配が復活した。
1806年 - 1808年 ナポリ王国はナポレオン帝国に征服された。ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルト(ジュゼッペ1世)が王を務めたナポリ王国の旗で、白・赤・黒の横三色旗が採用されたが、横三色旗と同様縦三色旗も使用された。
1808年 - 1811年 ジョアシャン・ミュラ(ジョアッキーノ1世)がナポリ王として統治に当たった時期の第一の旗である。
1811年 - 1815年 ジョアシャン・ミュラのナポリ王国が掲げた二つ目の旗。ミュラは公的には「両シチリア王」を名乗っていたため、かつて両シチリア(ナポリとシチリア島)を支配したオートヴィル家の紋章の色(青地に白と赤のチェック模様の帯)を用いている[1]。枠内の左寄りに紋章が置かれた(市民用の旗では紋章を使わなかった)。
1815年 - 1860年 ブルボン家ナポリ王国を奪回した。1816年以後、両シチリア王国の旗として使用された。

脚注[編集]

  1. ^ Archived copy”. 2008年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月15日閲覧。 Coin of Two Sicilies under Murat's rule

関連項目[編集]