セレブリティ・スキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セレブリティ・スキン
ホールスタジオ・アルバム
リリース
録音 1997年4月 - 1998年2月
コンウェイ・レコーディング英語版 (ロサンゼルス)
レコード・プラント・ウェスト (ロサンゼルス)
クアッド (ニューヨーク)
オリンピック (ロンドン)
ジャンル
時間
レーベル DGC英語版
プロデュース マイケル・バインホーン英語版
ホール アルバム 年表
My Body, the Hand Grenade
(1997年)
セレブリティ・スキン
(1998年)
ノーバディーズ・ドーター英語版
(2010年)
『セレブリティ・スキン』収録のシングル
  1. セレブリティ・スキン英語版
    リリース: 1998年9月8日
  2. マリブ英語版
    リリース: 1998年12月29日
  3. オーフル英語版
    リリース: 1999年4月27日
テンプレートを表示

セレブリティ・スキン』(Celebrity Skin)は、アメリカ合衆国のオルタナティヴ・ロック・バンドのホールの3枚目のスタジオ・アルバムである。アメリカ合衆国ではDGCレコード英語版、世界各国ではゲフィン・レコードより1998年9月8日に発売された。これは2002年の解散前にバンドが発表した最後のアルバムである。ホールはこれを『プリティ・オン・ジ・インサイド英語版』(1991年)と『リヴ・スルー・ディス英語版』(1994年)でフィーチャーされていた、それまでのノイズグランジに影響されたサウンドから大きく乖離させるつもりだった。バンドはプロデューサーのマイケル・バインホーン英語版を雇い、『セレブリティ・スキン』の収録はロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンでのセッションなどで9ヶ月にわたって行われた。これはベーシストのメリッサ・オフ・ダ・マーが参加したバンドの唯一のスタジオ・アルバムである。ドラマーのパティ・シュメル英語版はアルバムのためにデモを演奏したが、プロデューサーのバインホーンの提案でセッション・ドラマーのディーン・カストロノヴォ英語版に交替した。この問題によりシュメルとバンドの間に溝が生まれ、結果的に彼女はツアーに参加せず、グループとも袂を分かつこととなった。

バンドはカリフォルニアとカリフォルニア州を統一したテーマとし、1997年に「カリフォルニア・アルバム」として構想した曲作りを開始した。ホールのこれまでの作品とは異なり、『セレブリティ・スキン』にはバンド外のミュージシャン数人が楽器演奏で参加しており、特にビリー・コーガンは5曲のアレンジを共作している。オフ・ダ・マーの元バンド仲間のジョードン・ザドロズニー英語版ゴーゴーズのギタリストのシャーロット・キャフィー英語版も1曲に参加している。全曲の作詞を担当したフロントウーマンのコートニー・ラブT・S・エリオットの「荒地」に影響を受けて書いた詩にちなんでアルバムとタイトル・トラックに名付けた。またアルバム全体を通して水と溺死がモチーフとなっている。

『セレブリティ・スキン』はホールにとって最も商業的に成功したアルバムである。アメリカ合衆国のBillboard 200で最高9位、オーストラリア・アルバム・チャートで最高4位、全英アルバムチャートで最高11位を記録した。通算でアメリカ合衆国だけで140万枚以上を売り上げ、またオーストラリアレコード産業協会(ARIA)からダブル・プラチナ認定、ミュージック・カナダ英語版(MC)とアメリカレコード協会(RIAA)からはプラチナ認定を受けている。またタイトル曲「セレブリティ・スキン英語版」はモダン・ロック・トラック・チャートで1位を獲得した。アルバムに対する批評家の反応も概ね好意的であり、『タイム』や『ヴィレッジ・ヴォイス』などの出版媒体で1998年の年末のベスト・ランキング入りを果たした。2013年の『NME』誌選出による最も偉大なアルバムでは265位となり、また書籍『死ぬ前に聴くべき1001枚のアルバム』にも掲載された。

制作[編集]

収録史[編集]

1995年9月、ホールは2枚目のスタジオ・アルバム『リヴ・スルー・ディス英語版』(1994年)のプロモーションのため、1年にわたるツアーの最終公演を終えた[1]。その後の活動休止期間中にホールのメンバーは個々のプロジェクトに取り組み始めた。フロントウーマンのコートニー・ラブは映画『ラリー・フリント』(1996年)のアルシア・フリント役に起用され、ウディ・ハレルソンと共演した[2]。リードギタリストのエリック・アーランドソン英語版ロドニー・ビンゲンハイマー英語版サーストン・ムーアと共に1996年から1997年までの短期間のプロジェクトであるロドニー&ザ・チューブ・トップス英語版に取り組んだ[3]。ベーシストのメリッサ・オフ・ダ・マーリック・オケイセックのアルバム『トラブライジング英語版』(1997年)に参加し[4]、ドラマーのパティ・シュメル英語版レモンヘッズのトリビュート・アルバム『Schoolhouse Rock! Rocks』(1996年)にゲスト参加した[5]

ラブの『ラリー・フリント』のプロモーション後、バンドは『セレブリティ・スキン』用の新曲を書くために再結集した。ラブによると曲の初期バージョンは「あまり良くなかった」、「上手く書けなかった」という[6]。しかしながらバンドがナッシュビルメンフィスニューオーリンズなどのアメリカのいくつかの地域に拠点を移した後、曲は発展していった[7][8]。ニューオーリンズ滞在中、バンドは「オーフル英語版」(1999年)の初期バージョンや後に「ダイイング」や「ヒット・ソー・ハード」に発展する曲など、多くのデモを収録した[8]。これらの作曲と収録の試みの間、ラブは曲がまとまらないと感じており、フラストレーションを募らせていた[9]。アーランドソンは後に「全てがバラバラになっていくと感じた。(中略)あのレコードを作るのは正気の沙汰じゃなかった。各段階で障害があったんだ」と振り返った[9]。方向性が定まっていないと感じたラブはカリフォルニア州を統一したテーマとして使い、作曲を始めることにした。彼女は「方向性を示すため」に「たとえそれが偽物であっても1つのコンセプトでこれを結びつけよう」と回想した[9]。具体的にラブはカリフォルニアを「アメリカン・ドリームのメタファー」として解釈しようとした[9]

ラブの友人で元恋人のビリー・コーガンはこのアルバムのうち5曲の作曲に参加した。

1997年4月、バンドはロサンゼルスコンウェイ・レコーディング・スタジオ英語版[10]でアルバムのレコーディング・セッションを開始した[11]。当初の計画ではブライアン・イーノに次ぐ第2候補であったビリー・コーガンエグゼクティブ・プロデューサーに起用する予定であったが[11]、コーガンは当初は録音プロセスには参加せず、貢献もしなかった。代わりにマイケル・バインホーン英語版は製作責任者として雇われた。アルバムのレコーディング・セッションは8から9ヶ月にわたって様々な場所で行われた。アルバムの大半はコンウェイ・レコーディング・スタジオで収録されたが、追加分はロサンゼルスのレコード・プラント・ウェストとイギリスのロンソンオリンピック・スタジオで行われた[10][12]。最終的なレコーディング・セッションは1998年初頭にクアッド・スタジオで完了した。このセッションは1998年10月の『スピン』誌の記事にあるようにバンドの友人によってビデオ撮影された[13]。オフ・ダ・マーによるとこのセッションは当時のラブの多忙なスケジュールに基づいたものであったという。彼女は「それは彼女のハリウッド期で、 マルボロ・ライトを立て続けに吸い、パーソナル・トレーナーと朝7時にビーチ行き、オーディションを受けていた。彼女は『ラリー・フリント』をやったばかりだった」と回想した[14]

ラブはアルバムでフェンター・ヴィスタ・ヴィーナス英語版のカスタムを演奏した

ラブによると、このアルバムのビジョンはドアーズザ・ビーチ・ボーイズバーズのようなバンドのロサンゼルス伝統の「カリフォルニア・サウンド英語版の解体」であったが[8]、彼女は構成に苦心し、「マンネリ化」していると感じていた[8]。曲の初期音源をビリー・コーガンに送った後、彼は合計12日間スタジオでバンドに加わった[8]。ラブはスタジオでのコーガンの存在を「答えを教えず、自分で問題を解かせる数学教師」に例え[8]フランク・シナトラビートルズの楽曲からメロディやフレージングだけではなくキー・チェンジも勉強させたと述べている:[8]

(ビリーが)私にとって素晴らしいのは、彼が私にしてくれたことはエリックとメリッサとは何の関係もありません。それはわたしのためなのです。私はマンネリ化し、ベッドから出ることさえ出来ませんでした。このレコードを作りたくなかったし、何もしたくありませんでした。私はぼんやりとし、私の刃は鋭くなくなっており、そして彼はおそらくこの惑星上で私に挑める唯一の人物だったでしょう。エリック、メリッサ、パティは私の助けにはなりませんでした。彼らは皆、才能と技術がありましたが、私は彼らと家族的関係の中でバンドをやっていたので本当に私の助けになるだけの部外者ではありませんでした[8]

アルバムの12トラック中、コーガンは5トラックでインストゥルメンタル・ソングライティングを担当している[15]。コーガンに加え、オフ・ダ・マーの元ティンカー英語版のバンド仲間のジョードン・ザドロズニー英語版ゴーゴーズのギタリストのシャーロット・キャフィー英語版が「リーズンズ・トゥ・ビー・ビューティフル」の共同作曲に協力した[16]

『セレブリティ・スキン』の収録の際は様々なギター、エフェクター、機材が使用された。ラブはフェンダーの真空アンプマッチレス・アンプアンペグ・アンプ、そしてラブの亡き夫のカート・コバーンが所有していたランドール英語版のコマンダーを使用した[17]。セッション中のラブの主な使用ギターはカスタムのフェンター・ヴィスタ・ヴィーナス英語版チェット・アトキンスグレッチだった[17]。エランドソンのギター・セットアップはより複雑であり、バインホーンと共にアレンジしたセットアップで多数のギターを様々なエフェクトを通して使用した。彼は『リヴ・スルー・ディス』の収録時でも使ったヴェレノ英語版のギター3本と1968年のフェンダー・テレキャスター、そして「その他多数のギター」を使用した[17]。それぞれのギターからの信号は2つのチャンネルに分けられた。片方のチャンネルにはテック21英語版のサンズアンプ、サージ英語版のモジュラー・システム、ARP 2600英語版、ボーディの周波数シフターを備えたモーグのモジュラー・システムなどを含むヴィンテージのアナログシンセサイザー英語版が含まれた。もう一方には「大量のロー・エンドを提供」するワトキンス英語版のドミネーター[17]と後に製作過程で使用されたジェネレーターが含まれた。収録は1998年2月下旬にロンドンで正式に完了した[18]

ドラム・トラック[編集]

アルバムでクレジットされているものの、パティ・シュメル英語版はデモ用のドラム・トラックを録音しただけであり、最終的なレコーディング・セッションではセッション・ドラマーのディーン・カストロノヴォ英語版に交代した。したがって彼女のドラムは完成したトラックでは使われていない[19]。シュメルによると収録を始めた頃、バインホーンはスタジオで彼女を積極的に「精神的に追い込んで」いたという[20]。録音に携わっていた音響技師のクリス・ホワイトマイヤーによると、バインホーンはシュメルのドラムのテイクを何度も要求し、彼女が演奏している間はサウンドブースの音量を落として新聞を読んでいたという[21]。ホワイトマイヤーはシュメルが2週間以上にわたって1日8時間スタジオでドラムを叩き続けており、バインホーンは「パティが諦めるのを望んでいた」と述べている[21]。シュメルは後にレコーディング・セッションを「アスレチック・トレーニング」にたとえた[22]。シュメルが2週間以上の録音を済ませた後、バインホーンはラブをスタジオに呼び出し、シュメルの「最も弱い演奏」のループを聴かせ[21]、代替案としてカストロノヴォを勧めた[23]。バインホーンはまたシュメルはスタジオで「レッド・ライト・フォーバー」の状態、つまり彼がレコーディングを開始すると自分が何を演奏していたかを忘れてしまうとラブに伝えていた[23]。ホワイトマイヤーは、カストロノヴォがラブや他のメンバーがシュメルのドラム・トラックを聴く前からバインホーンによって収録のための演奏を依頼されており、彼は早い段階から「すべてを計画していた」と主張した[21]

この出来事によりシュメルはスタジオを去り、和解を要求し、バンドとの関係を絶った[24]。数ヶ月後、シュメルは事前の合意によりアルバムのプロモーション写真の撮影に参加したが、サポートするためのバンド・ツアーは拒否した[25]。2002年、ラブはキャリー・フィッシャーによるインタビューでアルバムでのシュメルは交替したことを認めた:

何年も何年も私のドラマーだったパティは2年間ほど(ロサンゼルスの)ダウンタウンでクラック漬けのテント生活をしていた。私はプロデューサーに彼女は最低だと言わせ、テープを聴かせるのを許すという「クラシック・ロック」的なひどいことをした。これはロック界の悪習のようなもので、彼が急造した最低のサウンドテープを聴かせた。彼はずっとある男を子分にしていた。(中略)レコーディング期間中に彼女をバンドから追い出したので、私は彼女の人生を2年間台無しにしてしまった[26]

音楽とアレンジメント[編集]

『セレブリティ・スキン』はホールの音楽スタイルに大きな変化をもたらし、よりメインストリームなオルタナティブ・ロック・サウンドが強調された[14]。『ペーパー英語版』誌のジャエル・ゴールドファインはこのアルバムが「90年代のポスト・グランジパワー・ポップ・サウンドを定義した」と記した[27]。『ローリング・ストーン』誌のジェームズ・ハンターはこのアルバムには「心臓の鼓動の中で銀色から荒々しい音へ」切り替わるギター・サウンドの変化が特徴的であると述べ、「ミニマリストの爆発、慣用的なセンス、そして正確無比なリズム」が溢れていると付け加えた[28]。後に『インデペンデント』はこのアルバムがホールにとってのポップ・ロックの「時代」を切り開いたと紹介した[29]

2018年、ベーシストのメリッサ・オフ・ダ・マーは「それは私が目指したものではなく、コートニーとレーベルが目指していたものだった。 当時の私は『なぜこんな派手なものを作るの?』と感じていたけど、彼女には彼女のアートに対するビジョンがあった」と振り返った[14]。しかしながら『ガーディアン』のレベッカ・ニコルソンはこのアルバムの輝かしいプロダクションには暗い意味があることに気づき、「『セレブリティ・スキン』の美学は競合するアイデンティティの混乱、光沢のある魅力とその怪しげな裏腹の押し引きに巻き込まれている。マイケル・バインホーンのプロデュースの洗練さと、シングルに付随する多額の予算を投じたビデオにもかかわらず、曲は漠然として生々しくシニカルであり、反抗的であると同時に用心深く、使い古されている」と指摘した[30]

歌詞とテーマ[編集]

ラブはアルバムの歌詞を書く際にT・S・エリオットの作品の影響を受けた。

『セレブリティ・スキン』の作詞中、ラブは「素晴らしいフックと濃密な(叙情的な)ビジョンを融合させたい。(中略)私は自分が望む限りひねくれていたいのだが、同時にあなたもそれに合せて口ずさめるようにする」ことを狙った[31]。彼女はT・S・エリオットなど様々な文学作品から影響を受けたと語っている[32]。アルバムのいくつかの曲は複数の文学作品を参照し、時には直接引用している。アルバムのタイトル・トラックはダンテ・ロセッティの『生命の家』(「my name is might-have-been」)[33]ウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』(「So glad I came here with your pound of flesh」)を直接引用している[34]。アルバムの3枚目のシングル「オーフル」はニール・ダイアモンドの「チェリー・チェリー英語版やアメリカの霊歌スウィング・ロウ・スウィート・チャリオット英語版」を引用している[35]

ハリウッドやカリフォルニア文化への様々な叙情的な言及がアルバム全体を通して存在する[31][36]。バンドのデビュー作『プリティ・オン・ジ・インサイド』が「ロサンゼルスの嫌悪すべき側面、軽薄さ、セクシズム、暴力、ドラッグ」を扱っていたのに対し[37]、『セレブリティ・スキン』はロサンゼルスの華やかな要素を、特に当時Aリスト・スターに上り詰めていたラブの視点から考察したものであるが[36]、「そのコンセプトを解体され、彼女の過去の傷を蒸し返すために、公の場での再起という癒やしのかさぶたが剥ぎとられた」[36]。テーマについて語る『ローリング・ストーン』のジェームズ・ハンターはこのアルバムは歌詞が「南カリフォルニアの約束と苦悩に取り憑かれている。売り切れた尻軽女、色あせた女優、妄信的なティーンエイジャー、『サマー・ベイビー』とハンサムな男、これらすべての『美しいゴミ』がアルバムの片隅にひしめいている」と指摘した[28]。ギル・カウフマンはMTVにてアルバムについて「ラブの墜落炎上の歌詞は挑発的で自己言及的なフレーズに満ちており、二重、三重の意味を含んでいるかもしれない」と指摘した[31]

アルバムの作曲とレコーディング・セッションに関する1998年のインタビューでアーランドソンが述べているように、このアルバムのもうひとつの顕著な歌詞と審美的なテーマは水と溺死である[38]。アーランドソンはジェフ・バックリィの溺死や、彼とオフ・ダ・マーの父がそれぞれ肺水腫肺癌で亡くなったことを引き合いに出した[38]。「それは文字通りのことだった」とアーランドソンは述べ、「溺死はこのレコードと私たちが失ったすべての人々のメタファーになった」と続けた[38]。さらに歌詞のモチーフには天使、星々、天国が含まれている[39]。アルバムを通して繰り返されるイメージについてラブは「私は巨蟹宮だ。私は再循環する」と語った[39]

アルバムのタイトルについてラブは当初は『Holy War』と名付けることを望み、彼女はそれが「ミッション・ステートメントだ。それほどまでに気取った、そして重大な声明だ。とてつもなく野心的だ」と感じていた[13]。またアーランドソンはアルバム名を『Sugar Coma』にしたかったが、ラブはそれが「ペデストリアンで、サイクルの終わりを意味する。致命的な何かだ。もし幹部らが気に入ったら、それは悪いことだとわかる」と言って反対した[13]。最終的なタイトル『Celebrity Skin』は1995年のジュールズ・ホランド英語版とのインタビューでラブが予告したものであり、そこで彼女は「多く触れた」ので次のアルバムを『Celebrity Skin』と名付けようと考えていると冗談交じりに語っていた[40]。その後彼女はその名前の由来がロサンゼルスの同名の短命に終わったバンドと、有名人のヌードを掲載した海賊版のポルノ雑誌英語版からであると明かした[40]

発表[編集]

『セレブリティ・スキン』は1998年9月8日に国際的に発売された[31]。これは2002年にホールが解散する前に発表した最後のアルバムとなった[41]。ホールはその後フロントウーマンのコートニー・ラブによって2010年にアルバム『ノーバディーズ・ドーター英語版』を発表するために新メンバーで復活した[42]

シングル[編集]

ホールのレーベルであるDGCレコーズ英語版はアルバムの流出を防ぐために極端な対策を講じたにもかかわらず(事前に入手できた音楽ジャーナリストはアルバム試聴や録音を他者にさせないという「鉄壁」の契約を結んでいた)、1枚目のシングル「セレブリティ・スキン英語版」は予定されていた発売日の3週間前に流出し、ニューヨークのラジオ局のWXRK英語版(92.3 FM)とロサンゼルスのその姉妹局のKROQ-FM英語版(106.7 FM)で1998年7月31日から8月2日にかけて「数十回」流された[43]。DGCの広報担当のジム・マーリスは流出が自らのものであることを否定し、1998年8月3日にWXRKに対して停止通知を出した[43]。それにもかかわらず、サンフランシスコのラジオ局のLive 105英語版(105.3 FM)は翌週末にこのシングルを再び流した[44]

リード・シングルの「セレブリティ・スキン」はアルバムと同日の1998年9月8日に発売された[45][31]。シングルはアメリカBillboard Hot 100で最高85位となり[46]、イギリス、スコットランド、アイスランドではトップ20位入りを果たした[47][48][49]。またアメリカのオルタナティヴ・ソングス・チャートとカナダのロック/オルタナティヴ・チャートでは首位を獲得した[50][51]。このシングルは第41回グラミー賞最優秀ロック楽曲賞英語版最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞(デュオまたはグループ)英語版にノミネートされた[52]。2枚目のシングル「マリブ英語版」は1998年12月29日に発売された[53]。シングルはアメリカBillboard Hot 100で最高81位となり[46]、またオーストラリア、ニュージーランド、イギリスではトップ40位に入った[54][55][56]

「マリブ」はMTV Video Music Awards 1999英語版撮影賞英語版とミュージック・ビデオ製作協会のミュージック・ビデオ撮影貢献賞にノミネートされた[57][58]。シングルはまた第42回グラミー賞で最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞(デュオまたはグループ)にノミネートされた[59]。アルバムの3枚目のシングル「オーフル英語版」は1999年4月27日に発売された[60]。シングルはアメリカのオルタナティヴ・ソングス・チャートで最高13位となり、またARIAトップ100シングル・チャートとイギリス・シングル・チャートにも入った[50][54][47]

アートワーク[編集]

アルバムのライナーノーツにはモデスト・アーチ英語版の写真が掲載されており、水とカリフォルニアというテーマが繰り返し引用されている

アルバムのフロント・カバーには4人のメンバーが燃え盛るヤシの木の前に立っている白黒写真が使われている[14]。この写真はポラロイドであり、当初はテスト撮影のつもりだったが、最終的にカバー・アートとして採用された[14]。アルバムのアートディレクターであるジョー=ママ・ニッツバーグはヤシの木と炎は本物であり、撮影中に突風が吹いて木が倒れたこともあったと回想している[14]。ニッツバーグはアルバム全体のアートワークとパッケージの統一された視覚的テーマはロサンゼルスを人工的な「楽園」として強調することだったと述べた[14]

水と溺死という歌詞のテーマはアルバムのパッケージにも引き継がれており、カバー裏面にはポール・アルベール・ステック英語版の絵画『溺れるオフィーリア』(1895年)をトリミングしたものが掲載されている[10]。ライナーノーツにはモデスト・アーチ英語版(「Water, Wealth, Contentment, Health」と書かれている)とロサンゼルス水電力局英語版の写真が掲載されており[10]、アルバムのテーマであるカリフォルニアへのこだわりが表現されている[14]。ライナーノーツによるとこのアルバムは「ロサンゼルスの盗まれた水と溺れた人々」に捧げており、前者はカリフォルニア水戦争を指している[38]

評価[編集]

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
オールミュージック3.5/5stars[61]
オースティン・クロニクル英語版3.5/5stars[62]
エンターテインメント・ウィークリーC+[63]
ガーディアン3/5stars[64]
インデペンデント4/5stars[65]
ロサンゼルス・タイムズ4/4stars[66]
NME8/10[67]
ローリング・ストーン4/5stars[28]
スピン9/10[68]

『セレブリティ・スキン』は音楽評論家から好意的な評価を受けた。『ヴィレッジ・ヴォイス』のロバート・クリストガウはラブを「女優よりもパンク、ポップスターよりも女優」と評し、タイトル曲と 「オーフル」をアルバムの最も注目すべき曲として挙げた[69]。『オルタナティヴ・プレス』のロバート・チェリーは『セレブリティ・スキン』のサウンドを「緻密にオーケストレーションされたギター、重層的なヴォーカル・ハーモニー、クオンタイズされたドラム、そして光沢のあるスタジオ・マジック」と評し、曲は「1000のAMクラシックのように神経を打つ」と述べた[70]。『オースティン・クロニクル英語版』のマーク・サヴロフはこのアルバムを「最も謎めいた女性による、夏の終わりのクランチ・ポップ」と評したが、ラブの「痛々しく、擬似フロイト的な脈絡」と「マイケル・バインホーンの巧みで南カルなプロダクション」を批判した[62]。『ロサンゼルス・タイムズ』の批評家のロバート・ヒルバーン英語版はアルバムを「荒々しい、感情的な乗り物」であり、「爽快で主流のコーティングよりもはるかに複雑な作品であると信じさせられる」と評した[66]。『NME』のスティーヴ・サザーランドは「『セレブリティ・スキン』が鼻に叩きつけられて最初に思うことは、もう2度とロックンロールのレコードを聴く必要はないかもしれないということだ」と述べ、アルバムのサウンドをフリートウッド・マックと比較した[67]

ローリング・ストーン』のジェームズ・ハンターはこのアルバムを「弾け、飛び跳ね、楽しく、インパクトの強い、ロックを燃料とするポップ」と評し、「あらゆる種類のスターが見えるようなノックアウトサウンドに満ちており、親しみやすく、激しく、同時に親密なものであることが多い」と述べた[28]。一方、『スピン』のジョシュア・クローヴァーはこのアルバムを「引用と参照、物言と修正に満ちたレコード」と呼び、「素晴らしい曲があまりにも多く、これは壮大なポップ・レコードだ」と評した[68]。『ミュージシャン英語版』でもこのアルバム、特にアーランドソンのギターが高く評価され、「アーランドソンの疲れ知らずで偏執的なギターの妙技が『セレブリティ・スキン』にゴージャスなテクスチャーを響くようなパワーを与えている」と書かれた[71]。『エンターテインメント・ウィークリー』のデヴィッド・ブラウン英語版は「この音楽はホールがやってきたこれまでのどの音楽よりも滑らかで、張りがある」と評した[63]。『ガーディアン』のキャロライン・サリヴァンは5つ星満点中3つ星を与え、「ラブとホールは常にテクニックよりもむしろフィーリングが重要だった。(中略)まあ、実際にはテクニックも少しは忍び込んでいるけど。『セレブリティ・スキン』のある部分をこれほど自信に満ち、これほどスムースはサウンドにしたプロセスは何であれ、テクニックとしか言い様がない」と評した[64]

オールミュージックの編集者のスティーヴン・トマス・アールワインは回顧評として、このアルバムを「70年代後半のカリフォルニア・ポップの全盛期を思い起こさせるような、輝くギターとかすんだメロディの釉薬」と書き、5つ星満点で3つ星半をつけた[61]。『ステレオガム』のガブリエラ・クレイモアはこのアルバムの20周年を祝う記事の中で「洗練された退廃的なロック(のレコード)だが、その核心には腐った何かがある。(中略)ホールで最もサウンド的に完成されたアルバムだが、彼らのベスト盤ではない」と書いた[9]。『Drowned in Sound』のトム・エドワーズの回顧評はより批判的であり、「オーフル」を「ゴージャスでピュアなブルース」、「ヒット・ソー・ハード」を「『Retard Girl』以来最高の愛についての曲」と評したが、「いずれにせよ空虚な音楽に満ちた弱いレコードだ」と結論づけた[72]

表彰[編集]

『セレブリティ・スキン』はいくつかの出版媒体での年末のリストで挙がった。『タイム』の1998年音楽のベストでは9位[73]、『スピン』の年間トップ20アルバムでは11位[35]、『ヴィレッジ・ヴォイス』のパズ&ジョップ批評家投票では11位となった[74]。『ロサンゼルス・タイムズ』のロバート・ヒルバーンはこのアルバムを年間トップ10アルバムで5位とした[75]。2013年の『NME』が選ぶ史上最高のアルバム500枚英語版では265位となった[76]。また、書籍『死ぬ前に聴くべき1001枚のアルバム』(2010年)にも掲載された[77]第41回グラミー賞では最優秀ロック・アルバム賞英語版にノミネートされた[52]

商業成績[編集]

『セレブリティ・スキン』は商業的に成功しており、発売から1週間以内に各国でチャートインした。アメリカ合衆国では初週に8万6000枚を売り上げ、Billboard 200で初登場9位となった[78]。アルバムは1998年10月13日にアメリカレコード協会(RIAA)よりゴールド認定され、さらにその後100万枚を超える出荷により12月21日にプラチナ認定された[79]。2010年4月時点でアメリカ合衆国では140万枚を売り上げている[74]

またミュージック・カナダ英語版(MC)からもプラチナ認定を受けており、10万枚を超える売り上げで最高3位を記録した[80]オーストラリアレコード産業協会(ARIA)からはダブル・プラチナ認定を受けており、14万枚を超える売り上げで最高4位を記録した[81]。イギリスでは12万4221枚を売り上げて最高11位を記録し[82]英国レコード産業協会(BPI)よりゴールド認定された[83]。さらにオーストリア・アルバム・チャートで最高15位[84]、スイスのアルバム・チャートで6位[85]、スウェーデンのアルバム・チャートで10位[86]、さらにニュージーランドの音楽チャート英語版で15位となって[87]ゴールド認定も受けた[88]

トラックリスト[編集]

全プロデュース: マイケル・バインホーン英語版[10]。全作詞: コートニー・ラブ[10]
#タイトル作詞作曲時間
1.セレブリティ・スキン英語版コートニー・ラブ[10]
2.オーフル英語版コートニー・ラブ[10]
3.「ヒット・ソー・ハード」コートニー・ラブ[10]
  • ラブ
  • コーガン
  • アーランドソン
4.マリブ英語版コートニー・ラブ[10]
  • ラブ
  • アーランドソン
  • コーガン
5.「リーズンズ・トゥ・ビー・ビューティフル」コートニー・ラブ[10]
6.「ダイイング」コートニー・ラブ[10]
  • アーランドソン
  • コーガン
7.「ユーズ・ワンス&ディストロイ」コートニー・ラブ[10]
  • ラブ
  • アーランドソン
  • オフ・ダ・マー
  • シュメル
8.「ノーザン・スター」コートニー・ラブ[10]アーランドソン
9.「ボーイズ・オン・ザ・レディオ」コートニー・ラブ[10]
  • ラブ
  • アーランドソン
  • オフ・ダ・マー
10.「ヘヴン・トゥナイト」コートニー・ラブ[10]アーランドソン
11.「プレイング・ユア・ソング」コートニー・ラブ[10]
  • ラブ
  • アーランドソン
  • オフ・ダ・マー
12.「ペタルズ」コートニー・ラブ[10]
  • ラブ
  • アーランドソン
  • コーガン
合計時間:
日本盤ボーナストラック[89]
#タイトル作詞作曲・編曲時間
13.「ベスト・サンデー・ドレス」
合計時間:

パーソネル[編集]

クレジットは『セレブリティ・スキン』のライナーノーツと『Hit So Hard: A Memoir』より[10][19]

チャート[編集]

認定[編集]

『セレブリティ・スキン』の認定
国/地域 認定 認定/売上数
オーストラリア (ARIA)[81] 2× Platinum 140,000^
カナダ (Music Canada)[80] Platinum 100,000^
ニュージーランド (RMNZ)[88] Gold 7,500^
イギリス (BPI)[83] Gold 100,000^
アメリカ合衆国 (RIAA)[79] Platinum 1,000,000^

^ 認定のみに基づく出荷枚数

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ シュメルはライナーノーツで公式にクレジットされているが、レコーディング・セッション中に彼女のドラム・トラックはディーン・カストロノヴォ英語版のものに置き換えられたため、彼女のものはアルバムには実際に使われていない[19]

出典[編集]

  1. ^ Nicholls, William (1995年). “Molson rocks Canada's Arctic”. The Nation (Tuktoyaktuk, NWT) 13 (6). オリジナルの2017年3月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170328195152/http://www.ammsa.com/node/20673 
  2. ^ Gutmann, Edward (1996年12月27日). “Milos Forman Explains Why He Made 'The People Vs. Larry Flynt'”. Chicago Tribune. 2012年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧。
  3. ^ Rodney & the Tube Tops”. BBC Music. 2017年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧。
  4. ^ Goldberg, Michael (1997). "Troublizing". Addicted to Noise. Vol. January 1997, no. 3.01. San Francisco. OCLC 49817601
  5. ^ Patty Schemel Credits”. AllMusic. 2017年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  6. ^ Love, Courtney. "We just had written songs, but they weren't very good. We kept on writing and writing, there were ones that were not written well." Extracts from a transcription of an interview on The House in Sydney, Australia in January 1999.
  7. ^ Auf der Maur, Melissa. "We were trying different parts of America to write in like New Orleans and New York, where else? Nashville and Memphis. It really wasn't four years in the making." Extracts from a transcription of an interview on The House in Sydney, Australia, in January 1999.
  8. ^ a b c d e f g h The Interview (CD). Hole. Geffen Records. 1998. PRO-CD-1232。
  9. ^ a b c d e Claymore, Gabriela Tully (2018年9月7日). “Celebrity Skin Turns 20”. Stereogum. 2018年9月14日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g Celebrity Skin (CD). Hole. Geffen Records. 1998. LC 07266。
  11. ^ a b Love, Courtney (1997). "Courtney Love à Rock Express". Rock Express (Interview). Interviewed by Laurence Romance. Neuilly-sur-Seine. We're gonna make a record in April, Billy Corgan's gonna be executive producer. We went through everyone, we went to Brian Eno and he said we don't have to be rock anymore.
  12. ^ Hole Hit London For Album Sessions”. NME (1998年2月5日). 2017年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月20日閲覧。
  13. ^ a b c Weiss, Phillip (October 1998). "The Love Issue". Spin. Vol. 14, no. 10. pp. 90–100. ISSN 0886-3032. Google Booksより。 閲覧は自由
  14. ^ a b c d e f g h Ewens, Hannah (2018年9月4日). “Hole's 'Celebrity Skin' Was A Polished, Perfect Love-Hate Letter To LA”. Noisey英語版. 2018年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月9日閲覧。
  15. ^ Kafuman, Gil (1998年8月6日). “Pumpkins' Corgan Tells Radio Jock He Inspired LP”. MTV News. 2018年9月14日閲覧。
  16. ^ Reasons to Be Beautiful: BMI Work # 4705602”. BMI Foundation. 2013年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月14日閲覧。 (requires manual search).
  17. ^ a b c d "Hole Tones: The Secrets Of Celebrity Skin's Smooth Sound". Guitar World. Vol. 19, no. 1. January 1999. p. 55. ISSN 1045-6295. 2006年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月7日閲覧
  18. ^ Love's Labour At Last: Hole Finish Album in London”. NME (1998年3月1日). 2020年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  19. ^ a b c Schemel 2017, pp. 139–143.
  20. ^ Zulaica, Don (2005年8月5日). “Lived Through That: Patty Schemel”. DRUM! Magazine. 2012年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧。
  21. ^ a b c d Ebersole, P. David (dir.) (2011). Hit So Hard (DVD). Well Go USA.
  22. ^ Schemel 2017, p. 139.
  23. ^ a b Schemel 2017, p. 140.
  24. ^ Schemel 2017, pp. 159, 176–177.
  25. ^ Schemel 2017, pp. 150–156.
  26. ^ Archived at Ghostarchive and the Wayback Machine: Love, Courtney (30 March 2002). "Courtney Love". Conversations from the Edge. Oxygen Networks. YouTubeより2020年4月20日閲覧
  27. ^ Goldfine, Jael (2018年9月11日). “Our 10 Favorite Love-Hate Songs About L.A.”. Paper. 2020年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  28. ^ a b c d Hunter, James (1 September 1998). "Celebrity Skin". Rolling Stone. 2016年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧
  29. ^ Beaumont, Mark (2022年8月19日). “Demi Lovato review, Holy Fvck: A hard rock, horny rebirth album”. The Independent. オリジナルの2022年8月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220818200344/https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/music/reviews/demi-lovato-holy-fvck-review-album-2022-b2146758.html 2022年8月19日閲覧. "...in the style of Hole’s pop-rock Celebrity Skin era..." 
  30. ^ Nicholson, Rebecca (2018年9月21日). “Celebrity Skin at 20: Courtney Love's exposé of Hollywood's seedy underbelly”. The Guardian. 2020年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  31. ^ a b c d e Kaufman, Gil (1998年8月24日). “Courtney Love Bares Soul with Hole's 'Celebrity Skin'”. MTV News. 2020年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  32. ^ Love, Courtney (1995). "Courtney Love". Superock (Interview). Interviewed by Jackie Farry. New York City: MTV. 映像 - YouTube.
  33. ^ Latham 2003, p. 2.
  34. ^ Clover, Joshua (October 1998). "Hole: Celebrity Skin". Spin. Reviews. Vol. 14, no. 10. p. 136. ISSN 0886-3032
  35. ^ a b Eddy, Chuck (January 1999). "Top 20 Albums of the Year". Spin. Vol. 15, no. 1. p. 91. ISSN 0886-3032
  36. ^ a b c Spanos, Brittany (8 September 2018). "'Celebrity Skin' at 20: Hole, Hollywood and the Reinvention of Courtney Love". Rolling Stone. 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月13日閲覧
  37. ^ Von Furth, Daisy (October 1991). "Hole Lotta Love". Spin. Vol. 7, no. 7. p. 32. ISSN 0886-3032
  38. ^ a b c d Schwartz, Jennifer (8 October 1998). "Hole's Eric Erlandson Sheds His Celebrity Skin". Rolling Stone. 2013年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ
  39. ^ a b Farley, Christopher Johnson (24 June 2001). "Love In Bloom". Time. 2020年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ
  40. ^ a b Love, Courtney; Holland, Jools (8 May 1995). "Hole (interview)". Later... with Jools Holland. BBC Two
  41. ^ Saraceno, Christina (24 May 2002). "Hole Call It Quits". Rolling Stone. 2020年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ
  42. ^ Peisner, David (2009年7月9日). “Q&A: Hole's Eric Erlandson”. Spin. 2012年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  43. ^ a b Kaufman, Gil (1998年8月4日). “Marilyn Manson, Hole Tunes Leaked on Radio, Net”. MTV. 2017年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月28日閲覧。
  44. ^ S.F. Station Jumps Gun on Manson, Hole Singles”. MTV News (1998年8月12日). 2017年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月28日閲覧。
  45. ^ Celebrity Skin [Single (CD – MCA #GFSTD 22345)]”. AllMusic. 2020年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  46. ^ a b "Hole Chart History (Hot 100)". Billboard. 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ
  47. ^ a b Hole Official Chart History”. United Kingdom: Official Charts Company. 2012年9月22日閲覧。
  48. ^ Official Scottish Singles Sales Chart Top 100”. Official Charts Company (1998年9月6日). 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  49. ^ Íslenski Listinn (8.10–15.10. 1998)” (アイスランド語). Dagblaðið Vísir (1998年10月9日). 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  50. ^ a b "Hole Chart History (Alternative Songs)". Billboard. 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ
  51. ^ Top RPM Rock/Alternative Tracks: Issue 7080”. RPM (2013年7月17日). 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月27日閲覧。
  52. ^ a b 1999 Grammy Nominees”. NME (1998年11月27日). 2012年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  53. ^ Malibu (CD – MCA #22369)”. AllMusic. 2020年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  54. ^ a b Australian-charts.com – Hole – Discography”. ARIA Top 50 Singles. 2023年10月9日閲覧。
  55. ^ Charts.nz – Hole – Malibu”. Official New Zealand Music Chart. 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  56. ^ Official Singles Chart Top 100”. Official Charts Company (1999年1月30日). 2020年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  57. ^ Errico, Marcus (1999年7月28日). “Korn Reaps MTV Noms”. E! Online. 2017年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  58. ^ KODAK: Martin Coppen Receives Lifetime Achievement Award For Music Video Cinematography”. Kodak (2002年). 2005年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧。
  59. ^ 42nd Annual Grammy Awards List of nominations”. CNN (2000年1月4日). 2011年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。 N.B. The categories are listed on page 1 and the artist on page 2.
  60. ^ Awful: Australian Tour (CD – MCA #97058)”. AllMusic. 2020年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  61. ^ a b Erlewine, Stephen Thomas. “Celebrity Skin – Hole”. AllMusic. 2015年9月27日閲覧。
  62. ^ a b Savlov, Marc (1998年10月9日). “Hole: Celebrity Skin (DGC)”. The Austin Chronicle. オリジナルの2016年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160920132743/http://www.austinchronicle.com/music/1998-10-09/520402/ 2017年4月7日閲覧。 
  63. ^ a b Browne, David [in 英語] (11 September 1998). "Celebrity Skin". Entertainment Weekly. 2008年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧
  64. ^ a b Sullivan, Caroline (1998年9月4日). “High Court”. The Guardian (London, England): p. 19. https://www.newspapers.com/clip/49171830/the-guardian/ 
  65. ^ Perry, Tim (1998年9月5日). “Album Reviews”. The Independent. 2020年3月22日閲覧。
  66. ^ a b Hilburn, Robert (1998年9月6日). “Love Adds Glow to 'Skin'”. Los Angeles Times. オリジナルの2017年3月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170312064718/http://articles.latimes.com/1998/sep/06/entertainment/ca-19879 2017年4月5日閲覧。 
  67. ^ a b Sutherland, Steve (1998年9月4日). “Hole – Celebrity Skin”. NME. 2000年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧。
  68. ^ a b Clover, Joshua (October 1998). "Hole: Celebrity Skin". Spin. Vol. 14, no. 10. pp. 136–138.
  69. ^ Christgau, Robert (1998年). “Robert Christgau: CG: Hole”. Robert Christgau Official Site. 2013年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  70. ^ Cherry, Robert (1998). "Review of Hole's Celebrity Skin". Alternative Press. No. October 1998.
  71. ^ "Celebrity Skin". Musician. No. 236–241. p. 85. ISSN 0733-5253
  72. ^ Edwards, Tom (2003年7月18日). “Hole – Celebrity Skin”. Drowned in Sound. 2014年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧。
  73. ^ "Music: The Best Of 1998 Music". Time. No. December 21, 1998. 1998. p. 97.
  74. ^ a b Harding, Cortney (2 April 2010). "Courtney Love: Fixing a Hole". Billboard. 2014年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧
  75. ^ Hillburn, Robert (1998年12月27日). “It's Not All Bland, It Just Seems So”. Los Angeles Times (Los Angeles, California): pp. 67, 71. https://www.newspapers.com/clip/49173740/the-los-angeles-times/ 
  76. ^ Barker, Emily (2013年10月24日). “The 500 Greatest Albums Of All Time: 300-201”. NME. 2020年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  77. ^ Dimery & Lydon 2010, p. 871.
  78. ^ Boehlert, Eric (16 September 1998). "Hole Debut in Top 10". Rolling Stone. 2013年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  79. ^ a b "American album certifications – Hole – Celebrity Skin". Recording Industry Association of America. 21 December 1998. 2012年4月9日閲覧
  80. ^ a b "Canadian album certifications – Hole – Celebrity Skin". Music Canada. 17 December 1998. 2012年4月9日閲覧
  81. ^ a b "ARIA Charts – Accreditations – 1999 Albums" (PDF). Australian Recording Industry Association. 2012年4月9日閲覧
  82. ^ Key Releases: 08.05.10”. Music Week (2010年5月8日). 2012年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月9日閲覧。
  83. ^ a b "British album certifications – Hole – Celebrity Skin". British Phonographic Industry. 22 July 2013. 2021年7月14日閲覧
  84. ^ a b "Austriancharts.at – Hole – Celebrity Skin" (in German). Hung Medien.
  85. ^ a b "Swisscharts.com – Hole – Celebrity Skin". Hung Medien.
  86. ^ a b "Swedishcharts.com – Hole – Celebrity Skin". Hung Medien.
  87. ^ a b "Charts.org.nz – Hole – Celebrity Skin". Hung Medien.
  88. ^ a b "New Zealand album certifications – Hole – Celebrity Skin". Recorded Music NZ. 2019年6月3日閲覧
  89. ^ Celebrity Skin [Japan – Hole]”. AllMusic. 2021年7月14日閲覧。
  90. ^ "Australiancharts.com – Hole – Celebrity Skin". Hung Medien.
  91. ^ "Ultratop.be – Hole – Celebrity Skin" (in Dutch). Hung Medien.
  92. ^ "Ultratop.be – Hole – Celebrity Skin" (in French). Hung Medien.
  93. ^ "Top RPM Albums: Issue 7048". RPM. Library and Archives Canada.
  94. ^ "Dutchcharts.nl – Hole – Celebrity Skin" (in Dutch). Hung Medien.
  95. ^ "European Top 100 Albums" (PDF). Music & Media. Vol. 15, no. 40. 3 October 1998. p. 14. OCLC 29800226. World Radio Historyより。
  96. ^ "Lescharts.com – Hole – Celebrity Skin". Hung Medien.
  97. ^ "Offiziellecharts.de – Hole – Celebrity Skin" (in German). GfK Entertainment Charts.
  98. ^ ホールのアルバム売り上げランキング” [Hole album sales ranking]. Oricon. 2012年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月16日閲覧。
  99. ^ "Norwegiancharts.com – Hole – Celebrity Skin". Hung Medien.
  100. ^ "Official Scottish Albums Chart Top 100". Official Charts Company.
  101. ^ "Official Albums Chart Top 100". Official Charts Company.
  102. ^ "Hole Chart History (Billboard 200)". Billboard.
  103. ^ ARIA Top 100 Albums for 1998”. Australian Recording Industry Association. 2020年12月16日閲覧。
  104. ^ "RPM's Top 100 CDs of '98". RPM. Vol. 68, no. 12. 14 December 1998. p. 11. ISSN 0033-7064. Library and Archives Canadaより。
  105. ^ "Billboard 200 Albums – Year-End 1998". Billboard. 2 January 2013. 2020年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月16日閲覧
  106. ^ ARIA Top 100 Albums for 1999”. Australian Recording Industry Association. 2020年12月16日閲覧。
  107. ^ "Billboard 200 Albums – Year-End 1999". Billboard. 2 January 2013. 2020年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月16日閲覧

参考文献[編集]

関連文献[編集]

外部リンク[編集]