スタニスラス・レピーヌ

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スタニスラス・レピーヌ
Stanislas Lépine
誕生日 (1835-10-03) 1835年10月3日
出生地 フランス,カーン
死没年 1892年9月28日(1892-09-28)(56歳)
死没地 フランス,パリ
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スタニスラス・ヴィクター・エドゥアール・レピーヌ(Stanislas Victor Edouard Lépine、1835年10月3日 - 1892年9月28日)は、フランスの画家である。印象派時代の画家で、セーヌ河畔の風景などを描いた。

略歴[編集]

カーンで生まれた。1855年にパリに出た。パリでは1859年にジャン=バティスト・カミーユ・コローの弟子となったが、人々に認められなかったので、友人となった人気のあった画家のアンリ・ファンタン=ラトゥールは再三、生活の援助をしなければならなかった。レピーヌが影響を受けたのはコローとオランダの風景画家、ヨハン・ヨンキントで、手法的には印象派に属しているとは思っていなかったが、1874年にナダールのスタジオで開かれた第1回印象派展と呼ばれるようになる展覧会に何点かを出展した。その後の印象派展には出展することはなかった。サロンなどにも出展を続けたが、最初に展覧会で賞を受けるのは1889年であった。

1892年に貧しさの中で没したので、友人たちが集まって葬儀の費用を捻出しなければならなかった。

作品[編集]

参考文献[編集]

  • Nécrologie dans la revue Encyclopédique Larousse, 1892, p.1771.
  • Encyclopédie Larousse